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MUNDUS MYTHICUS · CH. 09 · EARTH, FERTILITY AND THE TURNING YEAR

大地と季節

冬に消え、春に還る神の物語は、どの体系にもあるように見える。ペルセポネー、タンムーズ、オシリス、バルドル。十九世紀の学者はこれらを一つの「死んで蘇る神」にまとめた。だが結末を読むと、四柱はそれぞれ別の場所に行き着く。豊穣神は本サイトで百四十柱、役割のなかで軍神に次いで多い。それは豊穣が、何とでも結びつく職能だからである。

PLATE エレウシスの大浮彫(デーメーテール、ペルセポネー、トリプトレモス)
エレウシスの大浮彫(デーメーテール、ペルセポネー、トリプトレモス), 前440〜430年.
エレウシスの大浮彫(前440〜430年、アテネ国立考古学博物館蔵)/撮影 TIMETRAVELROME, CC BY 2.0

消えて、還るか

ペルセポネーは冥王に攫われ、母デーメーテールが嘆いて大地が実らなくなり、一年の三分の一を冥界で、残りを地上で過ごす取り決めによって季節が生まれた。『ホメーロス讃歌』が伝えるこの物語は、消えて還る神の、もっとも整った形である。

メソポタミアのタンムーズ(ドゥムジ)は、冥界に下ったイナンナの身代わりとして地下へ送られ、姉ゲシュティンアンナと半年ずつ交代で冥界に留まる。これも往復である。

だがエジプトのオシリスは、還らない。弟セトに殺され、妻イシスが身体を集めて蘇らせるが、蘇ったオシリスは地上に戻らず、冥界の王となる。地上を継ぐのは息子ホルスである。北欧のバルドルも還らない。宿木の矢に射られて死に、ラグナロクで世界が一度終わるまで、冥界に留まる。

四柱は「消える」点で似ている。だが、ペルセポネーは往復し、タンムーズは交代し、オシリスは冥界に留まって王になり、バルドルは世界の終わりまで待つ。結末が、全部違う。

フレイザーの誘惑

第2章で述べたフレイザーの『金枝篇』は、この四柱を「死んで蘇る植物神」という一つの型にまとめた。穀物は刈られ、種は地に埋められ、春に芽吹く。神の死と再生は、この農耕の周期の神話化である、と。

この説明は、ペルセポネーとタンムーズには当てはまる。だがオシリスは穀物の神であると同時に王権と冥界の神であり、その死は農耕の周期ではなく、王の死と継承の物語である。バルドルに至っては、農耕との結びつきが原典にない。「光の神」という後代の解釈を外せば、バルドルは美しく愛される神が理不尽に殺される物語であり、それ以上ではない。

型は、結末を消すことで成り立っている。本サイトが四柱を別々の記事に置き、それぞれの結末を書くのは、消されたものを戻すためである。

大地は母か

大地の神は女神である、という通念がある。ギリシアのガイア、インドのプリティヴィー、そして無数の「地母神」。本サイトの役割で大地の神と豊穣神を兼ねる神格は十七柱あり、これは役割の共起として最多である。大地と豊穣は、確かに結びつきやすい。

だがエジプトでは逆である。大地の神ゲブは男神であり、天の女神ヌトがその上に弧を描く。他の多くの体系では天が父で地が母だが、エジプトでは天が母で地が父である。ナイルの氾濫が大地を潤す土地では、大地は受け取る側であっても、女性である必要はなかった。

「地母神」という語は便利だが、大地が母であるのは一つの傾向であって、法則ではない。第7章で太陽の性別について述べたことが、ここでも成り立つ。

豊穣は何とでも結びつく

本サイトの豊穣神は百四十柱で、軍神に次いで二番目に多い。そして豊穣神が兼ねる役割を見ると、富が十四柱、愛が十一柱、戦が十一柱、水が十四柱である。豊穣は、富とも愛とも戦とも水とも結びつく。

北欧のフレイは豊穣と平和の神であり、同時に富をもたらす。妹フレイヤは豊穣と愛と魔術の神であり、戦死者の半分を受け取る。ローマのマールスは軍神として知られるが、農夫カトーが畑の浄めのために祈る相手はマールスであり、その原初の職能は農耕の守護だった。戦と豊穣は、境界を守ることにおいて一つになる。

豊穣が何とでも結びつくのは、豊穣が具体的な対象を持たない職能だからである。雷は雷であり、海は海だが、豊穣は「よく実ること」であって、実るものは穀物でも家畜でも子でも富でもよい。だから豊穣神は、その社会が何を「実り」と呼んだかによって、姿を変える。

穀物か、家畜か

ローマの豊穣神は本サイトで二十柱と最も多い。ケレースサートゥルヌスフローラポーモーナオプス。播種、開花、果実、収穫、貯蔵。ローマ人は農耕の局面ごとに別の神を立てた。エジプトが太陽を時刻で割り、ギリシアが水を場所で割ったように、ローマは豊穣を作業で割った。

これに対し、牧畜を主とする社会では、豊穣は家畜の繁殖である。北欧のフレイの聖獣は猪と馬であり、ケルトの豊穣神の多くは牛と結びつく。穀物の神と家畜の神は、同じ「豊穣」でも、祈られる内容が違う。

仏教に豊穣神はいない

本サイトの仏教の項目は百四十を超えるが、豊穣を役割とする神格は一柱もない。第3章で見た創造神の不在と対をなす、この体系のもう一つの空白である。

これは、仏教が農耕儀礼の神格を持たなかったことを示している。インドの神々を天部として迎え入れたとき、仏教は帝釈天や弁才天を護法の位置に置いたが、豊穣を祈る対象としては置かなかった。仏教が地域に根づいた土地では、豊穣の祈りは土着の神々——日本では稲荷——が担い続けた。仏教と土着信仰の分業は、ここに最もはっきり現れている。

季節を持たない神話

最後に一つ。消えて還る神の物語は、季節のある土地の物語である。ペルセポネーの往復はギリシアの冬と春であり、タンムーズの交代はメソポタミアの乾季と雨季である。

赤道に近く、季節の変化が乏しい土地では、この型の神話は薄い。大地は常に実り、神が消える必要がない。豊穣神が「消えて還る」のは、大地が消えて還る土地だけである。役割ページの「豊穣神」を読むとき、その神が消えるかどうかで、その土地の気候が分かる。