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バルドル
PLATE — BALDR
NORÐR · 北欧神話
BALDR

バルドル

バルダー · バルドゥル · バルデル

AM 738 4to, 36v(アイスランド語写本、1680年頃) PUBLIC DOMAIN

北欧神話の神。オーディンとフリッグの子で、白く輝く容貌と雄弁で知られる。ヤドリギに貫かれて死に、その死が世界の終末ラグナロクの引き金となる。

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解説

概要

バルドル(Baldr / Baldur)は、北欧神話の神。アース神族に属し、オーディンフリッグの子である。『スノッリのエッダ』はこの神を「最も善き者、誰もが讃える者」とし、その姿は白く輝き、あまりに白いので一種のカミツレが「バルドルの睫毛(バルドルスブラー)」と呼ばれるほどだと記す。館の名はブレイザブリク、そこには穢れたものが何一つありえない。

ただしバルドルは、司る領分によってではなく、ひとつの死によって記憶されている。北欧神話でこの神が果たす役割は、殺されることである。

名の語源は定まっていない。古ノルド語の baldr は「大胆な」を意味する形容詞と同形で、ゲルマン祖語 *balþaz に遡る。「君主・英雄」を指す古ノルド語 mann-baldr、古英語 bealdor もこれに連なる。ヤーコブ・グリムは1835年、リトアニア語 baltas「白い」との比較から「輝く者」の意を推し、19世紀にはこの神を光の神とする理解が広まった。ただしルドルフ・ジメクは、*balþaz 由来の語義が示す勇猛な性格が資料に見えるバルドル像と噛み合わないと注意している。古英語のベルダイグ(Bældæg)、古高ドイツ語のバルダーが同族形にあたる。

神話・物語

『古エッダ』は、この神の死を語り尽くさない。『巫女の予言』は数節で死と復讐に触れ、『バルドルの夢』はオーディンが死者の巫女に息子の運命を問う場面だけを描き、『ロキの口論』ではロキが「彼が二度と家へ帰らぬのは自分のせいだ」と言い放つ。筋を知っている聴き手を前提とした書き方である。

まとまった物語を伝えるのは『ギュルヴィたぶらかし』のほうである。バルドルが自らの死を告げる悪夢を見たため、母フリッグは世界のあらゆるもの——火、水、金属、石、樹、獣、鳥、毒、病——にこの子を傷つけないと誓わせた。不死身になったバルドルに物を投げつけるのが、神々の新しい遊びになった。ただ一つ、ヴァルハラの西に生えるヤドリギだけが、若すぎるという理由で誓いを求められていなかった。ロキがそれを聞き出し、ヤドリギから投げ矢を作って、盲目ゆえに輪の外にいたヘズに握らせ、その手を導く。バルドルは貫かれて倒れた。

葬送は船フリングホルニで行われた。船が動かないため女巨人ヒュロッキンが呼ばれ、狼にまたがって現れ、一押しで滑らせると地が揺れた。妻ナンナは悲嘆のあまり息絶えて共に焼かれ、オーディンは腕輪ドラウプニルを亡骸に添えた。火を槌で聖別したトールは、足元を走り抜けた小人リトを蹴り込んで焼いている——理由は語られない。オーディンが息子の耳に何を囁いたかは、のちに巨人ヴァフスルーズニルへ突きつける解けぬ謎として使われる。

フリッグの願いを受け、ヘルモーズがオーディンの馬スレイプニルで九夜のあいだ北へ下り、死者の国の女王ヘルに返還を求めた。ヘルは、生きとし生けるものすべてが彼のために泣くならば返そうと答える。世界は泣いた。ただ一人、洞穴の女巨人セックだけが泣かず——スノッリは「あれはロキだったのだろう」と付け加える——バルドルは戻らなかった。彼が地上に現れるのはラグナロクののち、新しい大地に、ヘズとともに帰るときである。

12世紀末のサクソ・グラマティクス『デンマーク人の事績』は、まったく別の話を伝える。バルデルスは半神の戦士で、ノルウェー王の娘ナンナをめぐって人間の英雄ホテルスと争う。オーディンとトールが加勢してもホテルスには勝てず、森の神ミミングから得た魔法の剣で脇腹を刺され、三日苦しんで死ぬ。無垢な神ではなく、恋敵に敗れる戦士である。どちらが古い形かは決着していない。デンマークの伝承では後者が語られていた、という以上のことは言えない。

10世紀の古高ドイツ語で書かれたメルセブルクの呪文第二番には、ヴォーダンらが馬の脱臼を癒す場面に「バルデル」の名が現れる。北欧圏の外でこの神に触れる数少ない資料と見られてきたが、並記される「フォル」との関係も含め、解釈は定まっていない。

図像と象徴

バルドルには持物がない。武器も、聖獣も、印もない。『詩語法』が挙げるこの神のケニングは「オーディンとフリッグの子」「フリングホルニとドラウプニルの所有者」「ヘズの敵」「ヘルの友」——いずれも所有物か、他者との関係である。造形の手がかりを、詩人自身が持っていなかったことになる。

にもかかわらず、この神をめぐる図像には異教期の証言がある。980年代にウルヴ・ウッガソンが詠んだ『フースドラーパ』は、アイスランドの首長オーラーヴ・パーイがヒャルザルホルトに建てた館の壁面装飾を言葉でなぞったスカルド詩で、現存する十二の詩節・半節のうち五つがバルドルの葬列に充てられている。板絵か彫刻かは意見が分かれるが、キリスト教化以前のアイスランドで、この葬送が壁を飾る主題であったことは動かない。装飾そのものは失われ、詩だけが残った。

移住期(5〜6世紀)の金製ブラクテアート——円形の薄い護符——にバルドル神話を読む解釈もある。カール・ハウクは、C型に見える馬と宙に浮く人頭をメルセブルクの呪文の治療場面に、三人の人物が並ぶB型をバルドルの死に結びつけた。影響力の大きな読みだが、ブラクテアートに神名が刻まれた例は一つもなく、同定はあくまで図像解釈にとどまる。

17〜18世紀のアイスランド語写本——AM 738 4to、SÁM 66、NKS 1867 4to——に至って、ようやく人の形をしたバルドルが現れる。ただしこれらは羊皮紙の余白に添えられた素朴な線描であり、異教期の造形を伝えるものではない。

今日思い浮かぶ「白く美しい若者」の像は、18世紀末のデンマークで作られた。ヨハネス・エーヴァルの歌劇『バルドルの死』(1773年執筆、1775年印刷、1778年初演)が題材をサクソから採り、ヨハネス・ヴィーデヴェルトが印刷版の挿絵を描いた。1814年には王立美術アカデミーで北欧の歴史と神話を教えることが定められ、その延長線上に、C・W・エッカスベア『バルドルの死』(1817年、アカデミー入会作品)が置かれる。19世紀にはドイツ語圏でエーミール・デプラー、ヨハネス・ゲールツ、W・G・コリングウッドが同じ場面をくり返し描いた。北欧神話の図像としては珍しく、造形の系譜が近代の一国の美術政策までたどれる例である。

系譜と関係

父はオーディン、母はフリッグ。妻はネプの娘ナンナ、子は神々の争いを裁く神フォルセティである。スノッリによれば、争いを収めて和解させる法と誓約の役目を担うのはこのフォルセティであって、テュールではない。兄弟に盲目のヘズ、そして復讐者ヴァーリ——オーディンと巨人の娘リンドのあいだに生まれ、一夜で成人してヘズを殺した——がいる。使者ヘルモーズもオーディンの子とされる。

一方でバルドル自身には、崇拝の痕跡がきわめて薄い。ノルウェーのバレスホル(1356年の記録に a Balldrshole)など、この名を含むとされる地名はいくつか挙がるが、確実な例は少なく、神殿や祭祀の記録はない。トールの槌形護符が千点単位で出土するのと比べれば、対照は際立つ。物語のなかでこれほど中心にある神が、信仰の痕跡をほとんど残していない。

アングロサクソンの王統譜では、ベルダイグがウォーデンの子として置かれ、ケント・ベルニシア・デイラ・ウェセックスの王家がその子ブロンドに遡るとされる。スノッリも『エッダ』の序文で「我らがバルドルと呼ぶベルデグ」と書いており、両者を同じ神と見ていた。

文化的足跡

19世紀の比較神話学は、この神を植物の精霊と読んだ。J・G・フレイザーは『金枝篇』で、ヤドリギに宿る樹の生命と、それを断つことによる王の死という図式にバルドルを組み込んだ。今日この読みは支持されていないが、ヤドリギを特別な植物とする感覚は、この本を通じて広く定着した。なお、ヤドリギはアイスランドには自生しない。スノッリは、自分では見たことのない植物を物語の要に据えていた可能性がある。

無垢な者が殺され、世界の終わりののちに甦るという筋書きに、キリスト教の影響を見る説は古くからある。一方、異教期のフースドラーパがすでに葬送を主題としている以上、物語の骨格そのものは前キリスト教期に遡るという反論も強い。スノッリが13世紀のキリスト教徒であったことと、彼が用いた素材が古いこととは、両立する。

コペンハーゲン、ストックホルム、レイキャヴィークには、この神の名を冠した通りがある。日本ではゲームや漫画を通じてこの名に出会う読者が多いだろうが、そこで与えられる「光の神」という肩書きは、原典の記述よりも19世紀の解釈に近い。原典が語るのは、光そのものではなく、誰にも憎まれなかった者が最も愚かな手で殺されるという一点である。

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領分・別名

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承点線=異伝・別系統

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資料

Wikidata
Q131658 — 骨格データの出典
Commons
Baldr — 図像カテゴリ