山の神
山を司る神格のファセット。ただしこの役割は、はじめに一つ確かめておかなければならない。山が神なのか、それとも神の住む場所なのか、である。似て見えて、まったく別のことを言っている。
ギリシアのオリュンポスは神々の住まいであって、山そのものは神ではない。ヘーシオドスの『神統記』は、ガイアが天ウーラノスに続いて「高い山々」を産んだと記すが、この山々は系譜に名を連ねるだけで、祭祀も物語も持たない。舞台としての山と神格としての山が、早い段階で分かれている。ギリシア人が山の神を持たなかったわけではない。それは外から来た。小アジアのキュベレーは「山の母」と呼ばれ、イダやディンデュモンという山の名を添えて呼ばれる女神である。
インドでは山が人格を得る。ヒマヴァットはヒマラヤそのものの神格で、パールヴァティーの父とされる。パールヴァティーの名は「山の娘」を意味し、夫のシヴァはカイラーサ山に住む。世界の中心には須弥山(メール)が立ち、その周りを日月が巡る。ここでは山は、住処であり、系譜であり、宇宙の軸でもある。
日本では、山そのものを拝む形が濃く残った。オオヤマツミは「大いなる山の神霊」を名に負い、全国一万社を超える社に祀られる。三輪山のように本殿を持たず山自体を神体とする社もあり、山岳信仰では、山の神が春に里へ降りて田の神となり、秋に山へ帰るという去来の観念が語られてきた。中世以降は仏教と結んで修験道が形づくられ、山に籠ることが行として体系化される。富士のコノハナノサクヤビメのように、後世になって特定の山と結びつけられた神もある。
第三の形もある。山が神でも神の住処でもなく、神の仕事の跡である場合である。スコットランドとアイルランドのカリアッハベーラは、大地をまたいで歩くとき背負った籠から落ちた岩が積もって山になったと語られ、槌で丘と谷を打ち出したともいう。ベン・ネヴィスは彼女の玉座とされ、スカイ島のベン・ナ・カリヒェ、ミース州のスリーヴ・ナ・カリヒェ(老女の山)と、その名を負う地形は両島に数多い。ここでは山を拝むのでも山に登るのでもなく、山の形そのものが神の行為の記録として読まれている。黒森の女神アブノバのように、山塊の名がそのまま神名になった例もある。
アンデスでは、個々の山がアプーと呼ばれる霊として今も供物を受ける。抽象的な「山の神」ではなく、あの山この山が固有の名で崇められる点に特徴がある。中国では五岳が国家祭祀の対象となり、なかでも泰山は死者の魂が集まる山とされ、その主宰者である泰山府君はやがて冥界の官僚へ転じた。メソアメリカでは山は水を蓄える器とみなされ、トラロックの祭祀は山頂で営まれた。山は雨の出どころだからである。
図像化は難しい。山を描いても神には見えないため、多くの体系は像を作らないほうへ向かう。日本の神奈備や磐座、アンデスの山頂の供物所のように、山そのものが拝む対象になる。人格化する場合は、老いた王の姿(ヒマヴァット)か、山を背にして立つ姿がとられる。共通するのは、頂と麓を分けて扱うことである。麓に社を置いて頂を遥かに拝む形は、地域を越えて繰り返し現れる。
注意がいる。「世界山」「宇宙軸」という一語で束ねたくなるが、須弥山と泰山とオリュンポスが同じものを指しているわけではない。宇宙の中心を説く山、死者の集まる山、雨を蓄える山、神の住む山——担っている役割はそれぞれ違う。山が高く、遠く、天に近いという事実はどこでも同じだが、そこから何を引き出すかは、その社会が山に何を頼っていたかで決まる。狩る山と、掘る山と、水を得る山と、越えねばならない山は、同じ山ではない。