スケッロス
スケッルス · スケロス · Sucellos
ガリアで崇拝された槌の神。長柄の槌と丸腹の壺を手に、ガリア風の短衣をまとった姿で表される。名は「よく打つ者」の意で、女神ナントスウェルタと対で祀られた。
解説
概要
スケッロス(Sucellus)は、ローマ支配下のガリアとその周辺で崇拝された神である。名は奉献碑文にしか残らず、古典文学には一度も現れない。ベルンハルト・マイアーの数えでは名を刻んだ奉献は十点ほどにすぎないが、この神を描いたとされる像は百点を優に超える。名を伴う作例を手がかりに、名のない「槌の神」と総称される図像群がスケッロスと同定されてきたためである。信仰はローヌ川とソーヌ川の流域に集中し、ライン地方、ブリタンニア、ドナウ流域にも点在する。
名はガリア語の接頭辞 su-(よい)に -cellos を継いだ形と解され、印欧祖語 kel-d-(打つ)に遡らせて「よく打つ者」「よい槌を持つ者」と訳されてきた。手にした槌をそのまま名とした神ということになる。ただしブランカ・マリア・プロスペルは第二要素を kel-(守る)とみて「よく守る者」と読み、定説は一つに定まっていない。
神話・物語
物語は伝わらない。大陸のケルトが神話を文字に残さなかったため、知りうるのは碑文と像に限られる。碑文は中部・東部ガリアとゲルマニア諸州に多く、ブリタンニアとダキアに離れた例がある。多くは名を単独で呼ぶが、ウォルムスとアウグストでは「スケッルス・シルウァーヌス」と併記され、マインツではスカエルス(Sucaelus)の形でユピテルの添え名として現れる。奉献者は、碑文から見るかぎり有力者ではなく市井の層である。ヤン・ド・フリースがこの神を、畑と家畜小屋と家庭に日々の実りを与える存在と結論したのは、この点を重く見たからであった。
図像と象徴
図像の型は驚くほど安定している。髭を蓄えた壮年の男が、巻毛を垂らし、帯を締めた短衣にフードと脚衣か長靴という、ガリア風の身なりで立つ。裸で表される地中海の神々とは対照的である。多くは左手に長柄の槌を持ち、笏ほどに長いその柄を地に着ける。もう一方の手には取っ手のない丸腹の壺(オッラ)を載せる。主画像のブロンズ小像(サン=ジェルマン=アン=レー国立考古博物館蔵、2〜3世紀)はこの型の典型で、槌の柄は別造りの心棒を差し込んで表す。
壺の代わりに鎌・小刀・剣・棍棒・財布が置かれる例があり、まれにパンパイプを伴う。足もとにガリア樽やアンフォラが添えられ、短衣に星象とも読める文様が散ることもある。犬はしばしば付き従い、アルザスのオーバーゼーバッハやダキアのヴァルヘイでは三つの頭をもつ。ニーム周辺では犬と蛇が並び、鴉が加わる作例もある。
規模で群を抜くのが、ガバリ族の地ジャヴォル出土の石像である。高さは一七〇センチを超え、ガリア風の装いにコルヌコピア、樽、アンフォラ、葡萄、犬を配し、背面には木工具一式が刻まれている。槌の読みは一つに定まらず、ミランダ・オールドハウス=グリーンは、冬のあとの大地を打って目覚めさせる所作、あるいは病と飢饉を打ち払う道具とみる。ポール=マリー・デュヴァルは、差し出された壺のほうを豊かさの記号、コルヌコピアのケルト版と解した。
系譜と関係
対をなす女神はナントスウェルタである。ド・フリースは二柱が並ぶ記念物を十三点数えた。最も明確なのは、1895年にサルブール(メス近郊)で見つかった祭壇で、DEO SVCELLO NANTOSVELTE の銘のもと二柱が並び立ち、足下に鴉が彫られている。
ローマとの関わりで確かなのはシルウァーヌスとの習合である。槌と壺はシルウァーヌスの記念物にも現れ、スケッロス名の奉献を欠くナルボネンシスでは、この神がスケッロスの持物を帯びて表される(インテルプレタティオ・ロマーナ)。デュヴァルはここから、森と栽培地の実りをつかさどる神という像を引き出した。
一方、冥界の神とみる説がある。三つ頭の犬、そしてカールスルーエ周辺の祭壇でアエリクラやプロセルピナと対で現れることが根拠で、カエサルの伝える「ガリア人が自らの祖と称した神」ディス・パテルに当てる読みもここから出た。ただしデュヴァルは、公然と同一視された例がないことと父性の欠如を挙げてこれを退け、ジュリア・バラッタは、ディス・パテルとアエリクラの名を刻むズルツバッハの浮彫に槌も壺も犬も見えないことを指摘した。
アイルランドのダグザを島嶼側の対応とみる説も古いが、ド・フリースは、棍棒が例外的にしか描かれず、それもヘルクレース像からの借用であること、小さな壺を豊穣の大釜と等置できないことを挙げて退けた。ベルナール・セルジャンは槌と木製品を軸に、この神をもともと木工の神、ガロ=ローマ期には樽作りに特化した鍛冶・工匠神と読む。
文化的足跡
スケッロスは、名の残らない図像群に名を与える鍵として、ガリア宗教の研究史に特別な位置を占めてきた。百を超える「槌の神」像をどう扱うかが、そのまま大陸ケルトの神々をどう再構成するかという問いになるからである。ピエール・ランブレヒツがこの神をガリア宗教の最高神にまで押し上げ、ド・フリースが碑文と像の語る慎ましい姿と相容れないとして退けたのも、その振れ幅の現れといえる。像はリヨン、サン=ロマン=アン=ガル、ストラスブール、サン=ジェルマン=アン=レーの各館に収まる。