テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
ヤリーロ
PLATE — ЯРИЛО
SLAVI · スラヴ神話
ЯРИЛО

ヤリーロ

ヤリーラ · ヤリロ · ヤルィラ

Andrey Shishkin CC BY 3.0

東スラヴ・南スラヴの春の祭りに現れる若い神。白馬にまたがり麦の穂と人の首を携えた姿で語られ、夏には藁人形の「葬式」が出された。古代の神であったかどうかは今も争われている。

01

解説

概要

ヤリーロ(Ярило、ヤリーラとも)は、東スラヴと南スラヴの春から初夏の民俗祭礼に現れる、若者の姿をした神格である。名は「春」「若い生命力」「荒々しさ」を意味する原スラヴ語の語根 *jarъ に由来する。スラヴ神話豊穣神として紹介されることが多いが、この神には他の主要な神格と決定的に違う点がある。キリスト教化以前の史料に、その名がまったく現れない。

文献に名が見えるのは1765年、ヴォロネジ主教ティーホン(のちのザドンスクのティーホン)が市内の祭りを弾劾した記録が最初である。原初年代記にも、西スラヴを記したバンベルクのオットー伝や『スラヴ年代記』にも、ヤリーロの名はない。19世紀の神話学がこの民俗行事を古い神の残影と読んで以来、彼を神格とするか、儀礼のなかで演じられる役柄と見るかで、評価は割れたままである。

由来と物語

19世紀半ばのベラルーシで記録された姿は具体的である。白い外套をまとった若者が白馬にまたがり、頭に花冠を戴き、左手に麦の穂を、右手に人の首を持つ。祭りの日は4月27日とされた。ロシアやウクライナでは、春の最初の種蒔きの頃に村の娘たちが集まり、最も美しい娘にこの扮装をさせて白馬に乗せ、周りを花冠の娘たちがホロヴォート(輪舞)で囲む。演じたのは若い男ではなく娘である。夏になると、同じ神の「葬式」が出された。藁で人形をこしらえ、嘆きと笑いの入り混じるなかで野に埋め、あるいは流す。春に迎え、夏に葬る。これがヤリーロ祭の骨格である。クロアチア北部やスロヴェニア南部には、聖ゲオルギオスの日に「緑のユライ」を迎えるよく似た行事があり、名目上はキリスト教の聖人祭でありながら、構造はこれと重なる。

この断片から一つの神話を復元しようとしたのが、クロアチアの言語学者ラドスラヴ・カティチッチとヴィトミル・ベライである。イヴァノフとトポロフの先行研究を承け、彼らはこう組み立てた。ヤリーロは雷神ペルーンの末子で、生まれた夜に冥界の神ヴェレスに奪われ、その家畜を守って育つ。春には死者の海を渡って戻り、双子の姉妹モレーナと結ばれる。この聖婚が大地を実らせる。しかし収穫のあと彼は妻を裏切り、殺されて冥界へ帰る。カティチッチは民謡に残る「ユライの歩むところ、野は産む」という押韻表現を、この帰還を語る古い定型句の名残と見た。ただし、これは復元であって原典の物語ではない。伝えられているのは祭りの手順と歌であり、右の筋書きは比較神話学の手つきでそこから引き出された仮説である。

図像と象徴

古代の図像はない。この神について語れる造形は、祭りの扮装そのものである。白い外套と白馬は、光と若さ、そして冥界からの帰還を示すとされる。左手の麦の穂は明快で、彼の一生が麦の一年に重ねられていたことを示す。難物は右手の人の首である。刈り取りの象徴とも、犠牲の痕跡とも読まれるが、いずれも解釈にとどまる。花冠と輪舞は、境を閉じて内側に豊穣を囲い込む所作として、スラヴ圏の春の行事に広く見られる。

同じ語根を負うポラーブの神ヤロヴィトについては、ヴォルガストの聖ペトリ教会に二枚の石板が残る。長衣の男が右手に槍を掲げる姿が彫られ、穂先の位置にはのちにマルタ十字が刻み直されている。ヤリーロ本人の像ではないが、この語根を負う神が実際に彫られた数少ない例である。なお本ページに掲げた図版は2016年に描かれた絵画であり、民俗資料に基づく近代の想像図であることを断っておく。

系譜と関係

原典に系譜はない。関係が論じられるのは、もっぱら名を通してである。ポラーブ・スラヴの軍神ヤロヴィト(ラテン語資料では Gerovit / Herovith)は、ヴォルガストとハーフェルベルクで崇められ、バンベルクのオットー伝によれば、その神殿には戦時にしか持ち出されない黄金の盾があった。ヘルボルトはこの神をローマのマールスに当てている。ヤリーロとヤロヴィトを同一の神の東西の形と見る研究者(ギェイシュトル、ザロフら)がいる一方、ウォミャンスキやウルバンチクのように両者の結びつきを根拠薄弱とする立場もある。確かなのは語根 *jarъ を共有すること、そして双方の祭りが4月15日前後に置かれていたことだけである。

カティチッチとベライの復元では、ペルーンの子、ヴェレスの養い子、モレーナの双子の兄弟にして夫という位置を与えられる。民俗の層では、この役をキリスト教の聖ゲオルギオス(ユライ、ユーリー)が引き継いだ。

文化的足跡

ヤリーロの名を広めたのは民俗学ではなく舞台である。オストロフスキーの戯曲『雪娘』(1873年)は、雪娘の死によって長い冬が終わる物語を、ヤリーロを戴くベレンデイ族の国に置いた。リムスキー=コルサコフはこれを歌劇に仕立て(1882年初演)、雪娘が陽に溶けたのち、人々がヤリーロを讃える11拍子の合唱で幕を閉じる。序幕にはマースレニツァの藁人形が擬人化されて登場する。1913年の『春の祭典』でも、台本を書いたニコライ・レーリヒの構想では、選ばれた乙女が踊り死ぬことはヤリーロとの婚姻として理解されていた。ゲームや漫画に春の神として登場することもあるが、その造形は民俗の記録よりも、この再構成と創作の層に属している。

02

領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
ヤロヴィト スラヴ神話 同源
原スラヴ語 *jarъ と接尾辞 -vitъ を共有する同源。同一神とみる説(ギェイシュトル、ザロフ)と結びつきを否定する説(ウォミャンスキ、ウルバンチク)が並立する
03

資料

Wikidata
Q1144150 — 骨格データの出典
Commons
Yarilo — 図像カテゴリ