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イシス
PLATE — ISIS
AEGYPTVS · エジプト神話
ISIS

イシス

Isis

授乳するイシス青銅像・第3中間期〜末期(前1070〜343年頃)/The Metropolitan Museum of Art CC0

エジプト神話の女神。殺された夫オシリスを蘇らせ、その子ホルスを産んで守る。魔術と王権の女神であり、やがてエジプトを離れてローマ帝国全域に広がった、古代地中海で最も遠くまで届いた神格である。

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解説

概要

イシス(ꜣst / Isis)は、エジプト神話の女神である。オシリス神話の中心にあり、殺された夫を蘇らせ、その子ホルスを産んで育てる。魔術に長け、王権を支え、死者を守る。エジプトの神々のうち最も広く、最も長く祀られ、最後にはローマ帝国の全域に及んだ。

日本語のイシスはギリシア語形 Ἶσις を経た名で、エジプト語での音はアセトに近い。名は玉座を表す象形文字で綴られ、女神はその玉座を頭に載せた姿で描かれる。ここからゼーテはイシスを玉座の神格化と見たが、綴りが厳密には一致しないこと、玉座が神格化された証拠に乏しいことを理由に、これを退ける研究者もいる。名が資料に現れるのは第5王朝以降で、エジプトの神々のなかではむしろ新しい。

神話・物語

ヘリオポリスのエネアドでは、ゲブヌトの子としてオシリス、イシス、セト、ネフティスが並ぶ。セトが兄オシリスを殺し、その遺体を切り刻んで撒いたとき、イシスは妹ネフティスとともに各地を巡って断片を集め、繋ぎ合わせた。これがミイラ造りの原型と観念される。彼女は夫に息を吹き返させ、その短い蘇りのあいだにホルスを孕む。オシリスは以後、死者の国ドゥアトの王となった。

ただし、エジプトの資料はこの話を一度も通して語らない。物語は『ピラミッド・テキスト』や『死者の書』の呪文、讃歌の断片的な言及から再構成されたものである。筋の通った物語として読めるのは、後2世紀のプルタルコス『イシスとオシリスについて』だけで、これはギリシア語で、中期プラトン主義の解釈を施して書かれた。遺体が十四に断たれたことも、男根を魚が呑んだことも、この後代のギリシア語の語りに属する細部である。

ホルスを産んだイシスは、セトの目を逃れてデルタの湿地に子を隠して育てる。この時期の話には、七匹のサソリ女神を従えた放浪や、毒に倒れた幼子を呪文で癒す場面が伝わる。イシスの魔術を語る話でとりわけ名高いのは、ラーの秘名を奪う一篇である。彼女は土と老いた太陽神の唾から蛇を作って噛ませ、苦しむラーが真の名を明かすまで癒すことを拒み、得た名をホルスに渡した。彼女は「百万の神々よりも賢い」と讃えられた。

『ホルスとセトの争い』では変身して近づき、セト自身の口から不利な裁定を引き出してみせる。同じ話でホルスは母の首を刎ね、イシスは牛の首をすげて生き延びる。牛角の冠の由来を説く挿話である。

図像と象徴

基本の姿は、玉座の記号を頭に載せ、筒形の衣をまとってパピルスの杖とアンクを持つ女性である。葬送の場面ではネフティスと対になり、腕を顔にあて、あるいは棺へ差し伸べて嘆く。二人はしばしばトビの姿、または翼をもつ女として描かれる。トビの鋭い声が泣き女に、屍を探して飛ぶさまが姉妹の捜索に重ねられた。

新王国期以降、イシスはハトホルの牛角と日輪の冠を取り込み、玉座の記号と重ねて戴くこともある。護符としてはイシスの結び目が女神の標章となった。そして前1千年紀には、玉座に座してホルスに乳を含ませる授乳のイシスの小像と護符が、おびただしい数作られる。

ギリシア・ローマ期の像はヘレニズム様式になり、属性は大きく増える。螺旋状の巻毛と、胸元で大きく結んだ外套——もとは普通のエジプトの衣服が、エジプト外では女神の標識になった——が定型となり、手にはシストラムを持つ。運命を司るイシス・フォルトゥーナは舵と豊穣の角を、航海のイシス・パリアは帆のように孕んだ外套をまとう。牛角は縮小され、ギリシア人とローマ人にはしばしば三日月と解された。ロバート・ビアンキが言うように、イシスは誰にとっても何にでもなり、どのようにも表しうる女神だった。

系譜と関係

ホルスの母は、もともとはハトホルであった。イシスがその座を占めたのはオシリス神話の成立と関わっており、両者は習合して属性を交換した。冠が移ったのはその結果である。

エジプトを出たイシスは、インテルプレタティオ・グラエカによって次々と読み替えられた。ヘロドトスは、失った家族を捜して地上をさまよう点からデーメーテールに擬えている。アプロディーテーやイーオーとも同一視され、フェニキアではアスタルテと結ばれた。プトレマイオス朝のアレクサンドリアでは、オシリスに代えてセラピスが配偶者に据えられ、クレオパトラ7世は「新しいイシス」を名乗った。

読み替えは遠くまで及んだ。タキトゥスは『ゲルマーニア』で、スエビ族の一部が「イシス」を祀ると記す。船を標識とするゲルマンの女神を見誤ったものらしいが、ローマ人にとってイシスとは、船を伴う異国の女神の総称に近かったのである。

文化的足跡

前2世紀にはデロス島を経てイタリアへ達した。ローマの受け入れは一様でない。元老院がカピトリウムの祠を壊させ、アウグストゥスは市の宗教的境界の内側での祭祀を禁じたが、外側は許した。ティベリウスは信徒を追放し、フラウィウス朝は一転して庇護者に据える。異国のものでありながら許容されるという位置が、そのまま制度に現れている。やがて神殿はペトラからロンディニウムにまで建った。

祭のうち最も名高いのが、模型の船を海へ運ぶナウィギウム・イシディス(3月)と、オシリス捜索を演じるイシア(10〜11月)である。ギリシア語のアレタロギアは女神自身に功徳を名乗らせ、彼女は「万の名をもつ者」と呼ばれた。アプレイウス『黄金の驢馬』第11巻は、その入信儀礼を伝える唯一のまとまった記述である。信徒は帝国人口のごく一部だったが、奴隷から皇族まであらゆる階層に及んだ。女性の関与は他の祭祀より目立ち、ハイメ・アルヴァルはローマの著述家がこの祭祀を風紀の面から非難したことを、夫の管理の外に出る場への警戒と読む。

フィラエ神殿はヌビアの信徒に支えられ、少なくとも5世紀半ばまで祭司団と祭を保った。エジプトで最後まで機能した神殿である。

授乳のイシス像がマリアの図像に影響したかは、決着していない。トラン・タム・ティンは、イシスの授乳像の下限が4世紀、マリアの授乳図の上限が7世紀だと指摘し、ヒギンズは関係があってもエジプト内に限られるとする。一方マシューズらは、古代末期の板絵におけるイシスの姿勢が複数のマリア図像に及んだと見る。近代に入るとブラヴァツキー『ヴェールを脱いだイシス』以降、この女神は秘教的な「永遠の女性」の記号として引き直された。よく引かれるサイスの碑文——過去と現在と未来のすべてであり、何人もその衣を上げた者はないと語る一節——も、もとはプルタルコスとプロクロスがネイトの像の銘として伝えたもので、彼らがネイトをイシスと重ねたために女神の言葉として広まった。

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領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
デーメーテール ギリシア神話 同一視
インテルプレタティオ・グラエカ。ヘロドトス『歴史』第2巻は、失われた家族を捜して地上をさまよう母神としてイシスをデーメーテールに擬えた。
イーオー ギリシア神話 同一視
ヘレニズム期以降のギリシア人は、牝牛あるいは角をもつ女という図像の一致からイーオーをイシスと重ねた。子エパポスは聖牛アピスに当てられる。図像の類似に基づく後代の interpretatio graeca であり、信仰の起源を共有するものではない
ネイト エジプト神話 同一視
プルタルコス『イシスとオシリスについて』はサイスの女神を語るなかで、この女神をイシスと重ねて伝える。近代の「ヴェールを被ったイシス」の主題はこの一節に発する。
サテト エジプト神話 同一視
増水の到来を告げる星ソプデト(シリウス)を介した習合。エレファンティネの水と星の観測が土台
フォルトゥーナ ローマ神話 同一視
帝政期の習合。モディウス・舵・豊穣の角を併せ持つ「イシス・フォルトゥーナ」の小像が家庭祭壇に多数作られた(ポンペイのメナンドロ家の護符など)。全面的な同一視ではなく、図像と機能の重なりによる部分的なもの。

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資料

Wikidata
Q79876 — 骨格データの出典
Commons
Isis — 図像カテゴリ