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MUNDUS MYTHICUS · CH. 05 · THE SUCCESSION OF THE GODS

神々の世代交代

父が子に倒され、子がまた自分の子に倒される。ヘシオドスが語るウーラノス、クロノス、ゼウスの三代は、あまりにも有名である。だが同じ三代の物語が、ヘシオドスより五百年以上前のヒッタイトの粘土板に刻まれていた。これは、神話の伝播が年代と地理と筋書きの三点で検証できる、数少ない事例である。一方、北欧と日本にも「前の秩序が新しい秩序に譲る」物語があるが、それらは世代交代ではない。

PLATE ゼウス誕生の浮彫を持つ台座
ゼウス誕生の浮彫を持つ台座, ローマ期.
ゼウス誕生の浮彫(ローマ期、カピトリーノ美術館蔵)/撮影 MARK LANDON, CC BY 4.0

三つの世代交代

ヘシオドスの『神統記』は、こう語る。天の神ウーラノスは子らを地の底に閉じ込め、末子クロノスが母ガイアの与えた鎌で父を去勢して王となる。クロノスは子に倒されるという予言を恐れて生まれた子を次々に呑むが、末子ゼウスだけは石とすり替えられて助かり、成長して父に呑まれた兄姉を吐き出させ、ティーターンたちとの戦いに勝って王となる。

ヒッタイトの粘土板に残る『クマルビの歌』は、こう語る。天の王アラルは九年の後にアヌに倒され、アヌは九年の後にクマルビに倒される。クマルビはアヌの男根を噛み切って呑み込み、その結果として身籠り、嵐の神テシュブを産む。テシュブはクマルビを倒して王となる。クマルビは石を呑む場面も持つ。

バビロニアの『エヌマ・エリシュ』は、こう語る。原初の水アプスーティアマトから神々が生まれ、騒がしい子らを滅ぼそうとしたアプスーはエアに殺される。ティアマトは怪物の軍勢を作って復讐を図り、若い神マルドゥクがこれを倒して、王権と引き換えに世界を作る。

三つは似ている。天の神が倒され、倒した者もまた倒され、嵐と雷を持つ若い神が最終的な王になる。

伝播が言える事例

第2章で立てた基準に照らす。この類似は同源か、並行か。

ここでは、同源と言える。根拠は三つある。第一に年代。『クマルビの歌』の粘土板は前十四〜十三世紀のもので、内容はさらに古いフルリ人の伝承に遡る。ヘシオドスは前七百年ごろである。ヒッタイトのほうが五百年以上早い。第二に地理。ヒッタイトはアナトリアにあり、ギリシアとは海を隔てて隣接する。前一千年紀の初頭にフェニキアやキプロスを経由して東方の物語がギリシアに入ったことは、他の主題でも確認されている。第三に筋書きの細部。父の去勢、末子による打倒、石を呑むという奇妙な挿話——この三点が二つの体系で一致する。とくに石を呑む挿話は、独立に思いつく類の細部ではない。

さらに中継点がある。フェニキアの伝承を伝えるビュブロスのフィロンは、エールが父ウーラノスを去勢したと記している。アナトリアとギリシアのあいだにあるフェニキアで、同じ去勢の物語が語られていた。

年代、地理、筋書き、中継点。四つが揃ったとき、伝播の主張は検証にかけられる。ギリシアの世代交代譚は、東方から来た。これは第2章で警告した誘惑ではなく、誘惑を退けたうえで残る事実である。

しかし、そこまでである

ここで線を止める。ヒッタイトからギリシアへの経路は言える。だが、そこから『エヌマ・エリシュ』まで一本の線でつなぐことはできない。

『エヌマ・エリシュ』には去勢がない。石を呑む挿話もない。マルドゥクはティアマトの子ではなく何世代も隔てた子孫であり、倒すのは父ではなく原初の母である。共通するのは「若い嵐の神が古い秩序を倒して王になる」という骨格だけであり、その骨格は西アジアに広く分布している。カナンのバアルが海の神ヤムを倒す物語も同じ骨格を持つが、そこには世代交代がない。

メソポタミアとヒッタイトとギリシアが、緩やかに一つの文化圏をなしていたことは確かである。だがその圏内で、どの物語がどの物語から派生したかを言うには、細部の一致が要る。細部が一致するのはヒッタイトとギリシアのあいだだけである。「主権神話は西アジア共通」と言えば、それは正しいが、何も説明していない。

世代交代ではないもの

「前の秩序が新しい秩序に場所を譲る」物語は、他の体系にもある。だがそれらを世代交代の変種として読むと、それぞれの物語が持つ別の形が見えなくなる。

北欧のアース神族とヴァン神族の戦いは、二つの神族の戦争である。オーディンの率いるアース神族と、ニョルズフレイフレイヤのヴァン神族が戦い、どちらも勝てずに和睦し、人質を交換する。ヴァン神族の三柱はアース神族のもとへ移り、アース神族からはヘーニルミーミルが送られる。これは倒す物語ではなく、統合する物語である。世代もなく、父も子もない。二つの神族が一つになる。

日本の国譲りは、交渉の物語である。高天原から遣わされたタケミカヅチ大国主に国を譲るよう求め、大国主は子の事代主に答えさせ、事代主は従う。もう一人の子タケミナカタは力比べを挑んで敗れる。大国主は、自分のために大きな社を建てることを条件に国を譲る。力が背後にあるが、決着は取引である。譲った側は殺されず、出雲に祀られ続ける。

エジプトのホルスセトの争いは、裁判の物語である。オシリスを殺したセトと、その子ホルスが王位を争い、神々の法廷が八十年にわたって審理する。決着は戦いではなく判決である。インドのデーヴァアスラの争いは、終わらない。どちらも最終的な勝者にならず、争いは周期的に繰り返される。

倒す。統合する。交渉する。裁く。繰り返す。同じ「秩序の交替」でも、これだけ違う形がある。

勝者が語る

最後に、これらの物語が誰の側から語られているかを確かめる。

ヘシオドスの三代は、ゼウスの側から語られている。ウーラノスは子を閉じ込めた暴君であり、クロノスは子を呑む暴君であり、ゼウスは正当な王である。だがクロノスの時代は、別の伝承では黄金時代と呼ばれ、人々が労苦なく暮らした時代だった。倒された神の時代が理想として記憶されているのは、語り手が常に勝者の側にいたわけではないことを示している。

『エヌマ・エリシュ』はマルドゥクの神殿で新年祭に朗誦された。バビロンの主神がなぜ神々の王なのかを説明する文書であり、マルドゥクの台頭はバビロンの台頭と重なる。国譲りは、天皇家の正統を語る『記紀』の一部であり、出雲が大和に従った歴史の神話的な表現である。

世代交代譚は、新しい秩序が自らを正当化する物語である。だから常に、新しい神の側の文書として残る。倒された側の物語は、黄金時代の記憶のように断片で残るか、まったく残らない。第1章で述べた「記録者は当事者ではない」という原則は、ここでは「記録者は勝者である」という形をとる。

主権がどう移ったかを読むことは、誰がその移動を書き残したかを読むことである。