ブレス
ブレシュ · エオフ・ブレス · Eochu Bres
トゥアハ・デ・ダナーンの王。フォモール族の父を持ち、圧政と饗応の怠りによってアイルランド最初の風刺詩を浴び、王位を追われた。
解説
概要
ブレス(Bres)は、アイルランド神話に登場するトゥアハ・デ・ダナーンの王である。本名はエオフ(Eochu)で、エオフ・ブレスと呼ばれる。フォモール族の王子エラハを父に、トゥアハ・デ・ダナーンのエリウを母に持つ、両族の血を引く存在であった。
『マグ・トゥレドの戦い』を書き留めた写字生は、ブレスを「美しい」の意と解した。アイルランドの美しいものはすべて「ブレスのようだ」と言われるだろうという父の予言に結びつけた解釈である。ただしこれは後付けの語源かもしれず、本来は「争い」「打撃」「騒音」を意味する語根に遡るとみられている。
神話・物語
第一次マグ・トゥレドの戦いで王ヌアザが片腕を失った。肉体の欠けた者は王たりえないという掟により、ヌアザは退位する。フォモール族との融和を期して王に立てられたのがブレスであり、ダグザの娘ブリギッドが妃となって、子ルアザンが生まれた。
しかしその治世は圧政であった。ブレスはトゥアハ・デ・ダナーンにフォモール族への貢納を課し、隷属同然の労役を強いた。オグマは薪を運ばされ、ダグザは砦の周りに堀を掘らされた。加えて彼は饗応の義務を怠る。王の館を訪れた者の刀に脂がつかず、息が麦酒の匂いを帯びなかったと、トゥアハ・デは不平を並べた。もてなしを欠くことは、アイルランドの王にとって単なる吝嗇ではなく資格の欠如である。
詩人カルブレが彼を責める詩を作った。アイルランド最初の風刺詩とされる。この日を境に、ブレスのすることはことごとく狂いはじめる。やがてディアン・ケヒトとクレーニュが作った銀の腕を、ディアン・ケヒトの子ミアハが妹アルウェズの助けを得て生身の腕に替え、ヌアザは王位に復した。ブレスは追放される。
父エラハに助けを求めたが、エラハは応じなかった。正しいやり方で保てなかったものを、不正なやり方で得る権利はない——そう言って、息子をフォモール族のもう一人の指導者バロールのもとへ送り出す。第二次マグ・トゥレドの戦いでフォモール軍を率いたブレスは敗れ、戦場で無防備なところをルーに見つかって命乞いをした。
その後の運命は稿本によって割れる。古い写本では、農耕——いつ耕し、いつ種を蒔き、いつ刈るか——を教えることを代償に助命された。この知識はもともとトゥアハ・デが持たなかったものとされ、敗者が勝者に与えた唯一のものとして語られる。一方ディンシェンハスは死を語る。ルーは三百頭の木の牛を作って苦い赤い毒水を満たし、搾乳を装ってブレスに差し出した。もてなしを拒めないゲッシュに縛られた彼は三百杯を飲み干し、そのまま息絶えたという。『アイルランド来寇の書』はこの一件を簡潔に記し、液体を汚水とする。
図像と象徴
古代・中世を通じて、この王を描いた図像は伝わらない。当サイトも主画像を掲げない。
物語が与える標識は、容貌と徳の落差そのものである。七歳で十四歳の背丈になったという早い成長は英雄の徴であり、名は美を意味すると解された。それでいて彼に欠けていたのは、王を王たらしめるもの——気前のよさと饗応であった。刀につく脂と麦酒の匂いという、いかにも具体的な不平の並べ方に、この物語の関心がよく表れている。王の徳が土地の実りを保証するというアイルランドの王権観にとって、ブレスは反面教師として置かれた人物である。
系譜と関係
父はフォモール族の王子エラハ、母はトゥアハ・デ・ダナーンのエリウ。『トゥレンの子らの運命』は父をバロールとする異伝を伝える。妃はダグザの娘ブリギッド、子ルアザンは、ゴヴニュを暗殺しようとして返り討ちに遭った。
両族の血を引く王という設定は、この物語の要である。トゥアハ・デとフォモールは単純な善悪の対ではなく、通婚し血を交える隣人として描かれる。ルーもまたフォモール族バロールの孫であり、ブレスと同じく二つの血を引いていた。両者の違いは血ではなく、王としての振る舞いにある。
なお、暴君像は一枚岩ではない。ディンシェンハスの詩「カルン・フイ・ネト」はブレスを情け深く高貴な人物と讃え、トゥアハ・デの花、愛の呪文の使い手、けっして憂い顔を見せぬ者と呼ぶ。同じ人物が資料によってまったく違う顔を見せる例である。
文化的足跡
ブレスの物語は、アイルランドの王権観を語るときに必ず引かれる。王が正しければ土地は実り、王が不正であれば土地は荒れるという理解(フィール・フラヘヴォン、王の真実)を、失格の側から描いた物語だからである。同時に、詩人の風刺が王を退位させうるという観念の最初の記録でもあり、中世アイルランドで詩人が持った力の裏づけとして繰り返し引用されてきた。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。