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MUNDUS MYTHICUS · CH. 04 · COSMOLOGY AND THE OTHERWORLD

世界の構造

世界の始まりを語ったあと、神話は世界の形を語る。天は何層か、地の下に何があるか、死者の国はどこにあるか。この見取り図は、それを描いた人々が実際に見ていた地形と切り離せない。ナイルに沿った民の世界は南北に伸び、海に囲まれた民の他界は水平線の向こうにある。本サイトで山の神が八柱、水の神が六十九柱という非対称も、この章の入口になる。

PLATE ユグドラシル(AM 738 4to, fol. 44r)
ユグドラシル(AM 738 4to, fol. 44r), 1680年.
アイスランド写本 AM 738 4TO(1680年、アルニ・マグヌッソン写本研究所蔵)/WIKIMEDIA COMMONS、パブリックドメイン

垂直の軸

多くの体系は、世界の中心に一本の軸を立てる。

北欧ではユグドラシルである。世界樹と呼ばれるこの巨大な梣の木は、三本の根を神々の国と巨人の国と死者の国に下ろし、梢に鷲が座り、根元でニーズヘッグが齧り、ラタトスクが幹を駆け上り駆け下りて両者の悪口を運ぶ。木は世界を貫き、世界の諸領域は木の各部として配置される。

インドと仏教では山である。須弥山は世界の中心にそびえ、その周囲に四つの大陸が置かれ、神々は山の頂と中腹に住む。中国では崑崙が西の果てにあり、西王母が住む。エジプトには、原初の水ヌンから最初に現れた丘があり、神殿はその丘を模して建てられた。

樹、山、丘。いずれも、平らな世界に垂直を導入する装置である。神々は上に、死者は下に、人は中間に置かれる。この三層構造は、多くの体系で共通している。

水平の区分

垂直の軸と並んで、水平の区分がある。

ギリシアの世界は、オーケアノスという大河に取り囲まれた円盤である。その外側は世界の果てであり、太陽はオーケアノスから昇ってオーケアノスへ沈む。北欧の人間の世界ミズガルズは、外側を海が囲み、海にはヨルムンガンドが横たわって自らの尾を噛んでいる。中つ国と外の海。人の住む場所と、その向こう。

アステカとマヤは四方位で世界を区切る。四つの方角にそれぞれ色と樹と神が配され、中心に第五の点が置かれる。東は赤、北は黒、西は白、南は黄——色の配当は文献ごとに揺れるが、四方に区切るという骨格は一貫している。中国も五行によって四方と中央を配し、四神が四方を守る。

垂直の軸が「上と下」を作り、水平の区分が「内と外」「四つの方角」を作る。世界の見取り図は、この二つの組み合わせである。

死者の国はどこにあるか

見取り図のなかで最も体系ごとの違いが出るのは、死者の国の置き場所である。

地下に置く体系がある。メソポタミアの冥界は地の下にあり、ギリシアのハーデースの国も地下である。ヘシオドスは、タルタロスは天から地に落ちる距離と同じだけ地の下にある、と書いた。日本の黄泉も地の下であり、イザナギは坂を下ってそこへ行く。

西に置く体系がある。エジプトの死者は西へ行く。太陽が沈む方角であり、ナイルの西岸に墓が並ぶ。ドゥアトは地下でもあり西でもある——太陽が夜のあいだに通る道である。

海の彼方に置く体系がある。ケルトのティル・ナ・ノーグは西の海の向こうにあり、船で行く。アイルランドの航海譚は、この他界を探す旅の物語である。ポリネシアでは、死者の魂は祖先の来た方角へ海を渡って帰る。日本にも常世の国があり、海の彼方にあって、スクナビコナはそこへ去った。日本は地下の黄泉と海の彼方の常世の両方を持っている。

天上に置く体系もある。北欧の戦死者はヴァルハラへ上り、それ以外の死者はヘルの国へ下る。上と下に分かれた行き先を持つのは、第13章で見たとおり、死に方で行き先を分けた体系である。

地形が神話を決める

ここまでの違いは、それを語った人々が住んでいた土地と、切り離せない。

エジプトの世界は南北に長い。ナイルが南から北へ流れ、その両岸に人が住み、東は日の出、西は日没である。天の女神ヌトは東から西へ弧を描き、太陽を夕方に呑んで朝に産む。地の神ゲブは南北に横たわる。エジプトの世界像は、ナイルの谷をそのまま天に映したものである。

ポリネシアの世界は水平線である。島から見える陸地はなく、あるのは海と空と、海の向こうにあるはずの故郷である。死者が海を渡って帰る先は、祖先が海を渡って来た方角である。他界が水平線の向こうにあるのは、すべてが水平線の向こうから来たからである。

北欧の世界樹は、森の民の世界である。ギリシアのオーケアノスは、地中海を航海した民が「その向こう」を海として想像した結果である。世界の形は、目に見える地形の延長線上に描かれた。

山はなぜ神になりにくいか

本サイトの役割で、山の神は八柱しかない。水の神は六十九柱である。海と川と泉は次々に神になったのに、山は神になりにくかった。

これは山が重要でなかったからではない。山は世界の軸であり、神々の住処であり、天への階梯である。だがそのために、山は「神が住む場所」になっても、「神そのもの」にはなりにくかった。オリュンポスは神々の山であって、オリュンポスという神はいない。須弥山も同じである。水は流れ、人の生活に入ってくるから、川そのものが女神になった。山は動かず、人を寄せつけず、神々の側に留まった。

日本は例外的に山の神を多く持つ。大山祇神、山の神、そして個々の山を神体とする信仰。日本列島が山だらけで、山が生活の隣にあったことによる。山が神になるのは、山が生活のなかにある土地だけである。

樹と山は交換可能か

最後に、垂直の軸としての樹と山を、同じものとみなしてよいかを確かめる。

世界樹と世界山は、機能の上では似ている。どちらも世界を貫き、上と下を結ぶ。だがこの類似から、両者を同じ観念の変種とみなすのは、第2章で警告した誘惑である。ユグドラシルは根と梢と幹を持ち、それぞれに住人がいて、木は蝕まれ、いつか倒れる。須弥山は不動であり、周囲を大陸と海が同心円状に取り巻く。一方は生きて朽ちる有機体であり、他方は幾何学的な秩序である。

樹の世界は変化し、山の世界は変化しない。北欧の世界がラグナロクで終わるのは、世界が木だったからかもしれない。世界の形は、世界の運命も決めている。第17章で見た終末の形——循環か直線か——は、世界を何で作ったかと無関係ではない。

役割ページの「山の神」に並ぶ八柱を読むとき、その山が神々の住処なのか、神そのものなのかを見てほしい。八柱という少なさは、山が人から遠かったことの記録である。