鋳造工房の画家によるキュリクス(前490〜480年、ベルリン古代美術博物館蔵 F2294)/撮影 BIBI SAINT-POL、パブリックドメイン
構想して造る神、記して数える神
エジプトのプタハは、メンフィスの創造神であり、工匠の神である。メンフィス神学と呼ばれる文書は、プタハが心で世界を構想し、舌でそれを言葉にすることで創造したと語る。手ではなく、心と言葉で造る。プタハは工匠の守護者でありながら、その創造は設計であって労働ではない。
同じエジプトのトートは、書記の神であり、暦と数と文字の発明者である。死者の審判では心臓の計量を記録する。トートは造らない。記し、数え、記録する。
一つの体系のなかで、技と知はこのように分かれている。造る者と、記す者。プタハが設計図を引き、トートが帳簿をつける。エジプトの神々の分業は、エジプトの官僚制の分業を映している。
三職に割る
ケルトの工匠神は、本サイトで十二柱と、体系規模のわりに突出して多い。理由の一つは、ケルトが工匠を職種で割ったことにある。
『モイトゥラの戦い』において、トゥアハ・デ・ダナンの三工匠神が武器を作る。鍛冶のゴヴニュが槍の穂先を鍛え、青銅細工のクレイジュネが鋲を作り、木工のルフタが柄を削る。三つの工程が三柱の神に割り振られ、一本の槍が三柱の手を経て完成する。
この分割は、ケルト社会において鍛冶・金工・木工が別の職能集団であったことを示している。工匠神が何柱いるかは、その社会が「作る」という行為をいくつの職に分けていたかの記録である。ローマのウゥルカーヌスは一柱で火と鍛冶を担い、ギリシアのヘーパイストスも一柱である。地中海では工匠は一柱だが、ケルトでは三柱だった。
足の悪い鍛冶神
ヘーパイストスは、足が悪い。母ヘーラーに嫌われてオリュンポスから投げ落とされたとも、ゼウスに投げ落とされたとも語られる。北欧のヴェルンドは、王に捕らえられ、逃げられないよう足の腱を切られて鍛冶場に閉じ込められる。
鍛冶神に足の障害が語られる例は複数の体系にある。これを、青銅器時代の鍛冶職人が砒素中毒によって末梢神経を冒され、足を引きずったことの記憶とみる説がある。砒素銅は初期の青銅に多く含まれ、その精錬は職人の身体を蝕んだ。説は確定していないが、鍛冶という職能が、神話のなかで身体の代価を伴って語られてきたことは確かである。技は、代価なしには手に入らない。
知恵の中身は違う
本サイトの知恵の神は六十七柱ある。だが「知恵」という語が指す中身は、体系ごとにかなり違う。
ヘルメースの知恵は、盗む知である。生まれた日にアポローンの牛を盗み、足跡を逆向きにつけて追跡を欺いた。オデュッセウスの知恵は、勝つための算段である。木馬を考案し、キュクロープスに「誰でもない」と名乗って逃れる。これらは策略であり、記録でも思索でもない。
トートとナブーの知恵は、記す知である。ナブーはマルドゥクの書記であり、運命の書板を記す。その名は「告げる者」を意味する。北欧のオーディンの知恵は、代価を払って得る知である。ルーン文字を得るために九夜ユグドラシルに吊るされ、ミーミルの泉の水を飲むために片目を差し出した。
盗む知、勝つ知、記す知、贖う知。同じ役割のもとに、これだけ違うものがある。
ヒンドゥーの三十四柱
知恵の神六十七柱のうち、三十四柱がヒンドゥー神話に属する。半分である。
第10章の軍神と同じ構造がここにもある。三十四柱の多くは神ではなく、聖仙(リシ)である。ヴァシシュタ、ヴィシュヴァーミトラ、ヴィヤーサ。ヴェーダを見た者、叙事詩を編んだ者、王に助言する者。インドでは知恵は神の職能である以前に、人間の修行の到達点であり、その到達者が神々と並ぶ位置に置かれた。
神としての知恵の神はサラスヴァティーとガネーシャであり、これは他の体系と変わらない。三十四柱という数は、インドが「知恵ある人間」を神話のなかに大量に記録したことの反映である。
知と呪術は分かれない
役割の共起で、知恵と魔術を兼ねる神格は七柱ある。オーディン、トート、ヘカテー、エンキ。これらの体系では、知ることと操ることは同じ行為だった。
トートは文字の神であり、その文字は呪文である。エンキは知恵の神であり、その知恵は呪術と儀礼の知である。オーディンのルーンは、文字であると同時に魔術の記号である。知恵が呪術から分かれるのは、文字が呪文から分かれたときであり、それは多くの社会で、かなり後のことだった。
一柱か、三柱か
工匠神と知恵の神を一柱に集めた例もある。アテーナーは知恵と工芸と戦の女神であり、機織りの守護者であり、都市の守護者である。ケルトのブリギッドは詩と鍛冶と癒しの女神である。この二柱は、技と知と守護を一つの手に握っている。
ケルトが工匠を三柱に割り、同時にブリギッドに三職を集めたのは矛盾ではない。ゴヴニュたちは工程の神であり、ブリギッドは技そのものの神である。工程は分かれ、技は一つである。
役割ページの「鍛冶・工匠神」と「知恵の神」は、それぞれ三十四柱と六十七柱を並べている。並べたとき、その神が何を作り、何を知り、その知恵に代価を払ったかを見てほしい。作ることと知ることの境界は、社会ごとに違う場所に引かれている。