テーセウス
テセウス · テーセウス · Theseus
アテーナイの英雄王。ミーノータウロスを討ち、アッティカを統合した。アテーナイが自らの国家像を託した人物である。
解説
概要
テーセウス(Θησεύς / Thēseus)は、アテーナイ王アイゲウスとトロイゼーンの王女アイトラーの子である。実の父をポセイドーンとする伝えもある。ミーノースのミーノータウロスを討ち、アッティカ各地の村落を一つの都市国家に統合した王として語られる。
彼の物語は、その多くが前6世紀末から前5世紀にかけて整えられたとみられている。ホメーロスの言及はごくわずかで、道中の怪物退治を六つ並べる構成はヘーラクレースの十二功業を明らかに範としている。民主政期のアテーナイが、ドーリス人のヘーラクレースに対抗する自前の英雄を必要としたという理解が広く受け入れられている。
神話・物語
アイゲウスは子を得られず、神託を求めた帰路にトロイゼーンでアイトラーと交わった。去るにあたり、彼は剣と履物を大岩の下に隠し、子が自力で持ち上げられるようになったらアテーナイへ寄越せと告げる。十六歳でそれを果たした彼は、海路の安全を勧められながら陸路を選んだ。
途上で彼は六人の悪者を、それぞれが用いた方法で殺す。棍棒のペリペーテース、松の木で人を裂いたシニス、クロミュオーンの牝豚、足を洗わせて蹴り落としたスキーローン、格闘を強いたケルキュオーン、そして寝台に合わせて人を伸ばし切り縮めたプロクルーステース。相手の手口をそのまま返すという型で統一されており、意図的に構成された連作であることがわかる。
アテーナイでは、父の妻となっていたメーデイアが正体を見抜いて毒を盛ろうとしたが、父が剣に気づいて未遂に終わる。マラトーンの牡牛——ヘーラクレースがクレータから連れ帰ったあの牡牛——を捕らえたのち、彼はクレータへの貢ぎの少年少女に自ら加わった。
クレータで王女アリアドネーの助けを得てラビュリントスの怪物を討ち、糸を辿って脱出する。彼女を連れて帰る途中、ナクソス島に置き去りにした。帰路、無事なら白帆を揚げるという約束を忘れて黒帆のまま入港し、それを見た父アイゲウスは海に身を投げた。エーゲ海の名はここに由来するとされる。
王となった彼は、アッティカ各地の評議所を廃してアテーナイに一つの政庁を置いた(シュノイキスモス)。パナテーナイア祭とイストミア大祭の創始も彼に帰される。民主政の起源を語るとき、アテーナイ人はしばしばこの統合を出発点に置いた。
その後の生涯は失敗が続く。アマゾーンの女王を娶って生まれた子ヒッポリュトスは、継母パイドラー——アリアドネーの妹——の恋を拒んで死ぬ。友ペイリトオスとともにヘレネーを攫い、さらにペルセポネーを奪おうと冥界へ下って(カタバシス)石の椅子に囚われた。ヘーラクレースが彼だけを引き剥がして助け出す。帰国したときアテーナイは他人の手にあり、逃れたスキューロス島で王リュコメーデースに崖から突き落とされて死んだ。
図像と象徴
前6世紀末以降、彼の事績を円環状に並べた「テーセウスの環」と呼ばれる図像形式が生まれた。本ページの主画像は前5世紀後半のアッティカ赤絵式キュリクス(絵師アイソーン、マドリード国立考古学博物館 11365)の内面で、アテーナーの見守るなかミーノータウロスを引き出す彼を描き、外周に道中の六つの功業が配される。中心の一つと周囲の連作という構成は、ヘーラクレースの功業を並べる図像から直接受け継がれたものである。
前475年、キモンはスキューロス島から彼の遺骨と伝えられるものをアテーナイへ運び、テーセイオンに納めた。英雄の遺骨を都市が招き寄せる慣行の、最もよく知られた実例である。
系譜と関係
父はアイゲウス、あるいはポセイドーン。母アイトラー。妻はアマゾーンの女王アンティオペー(ヒッポリュテーとも)、次いでミーノースの娘パイドラー。子はヒッポリュトス、アカマース、デーモポーン。
オイディプースをコローノスに迎え、アドラーストスの求めに応じてクレオーンからアルゴス勢の遺体を取り戻したのも彼である。テーバイ伝説においては、アテーナイの正義を体現する外部の王として現れる。
文化的足跡
プルタルコス『英雄伝』は彼をローマのロムルスと対にして論じた。建国者としての性格が、この対比によって定着している。
「テセウスの船」——部材をすべて取り替えた船は同じ船かという問い——は、プルタルコスがこの英雄の船をアテーナイ人が修復し続けたと記したことに由来する。同一性をめぐる哲学の定番の問いが、彼の名で呼ばれ続けている。