ミン
メネウ · メヌ · メン
上エジプトの豊穣神。勃起した男根を握り、右腕を高く掲げるミイラ状の姿で表される。コプトスとアクミームを拠点とし、収穫祭と東方砂漠の交易路を司った。ギリシア人はパーンに擬した。
解説
概要
ミン(mnw / Min)は、上エジプトの豊穣神である。先王朝期(前4千年紀)にさかのぼる古い神で、コプトス(現キフト)とアクミーム(ギリシア名パノポリス)を拠点とした。
図像は三千年にわたってほとんど変わらない。体をミイラのように布で包み、二枚の高い羽根冠を戴き、左手で勃起した男根を握り、右腕を高く掲げて殻竿を持つ。『ピラミッド・テキスト』にいう「東方で腕を掲げる者」は、この神を指すとみられている。エジプトにおいて生殖の力は、王権と収穫を保証する公の力であった。
神話・物語
物語よりも、祭礼と職掌に記録が残る神である。
フリンダース・ピートリーがキフトで発掘した二体の巨像は、現在アシュモレアン美術館にある。前3300年頃、ナカダII期末からIII期初頭に置かれ、エジプト最古級の記念碑的彫刻とされる。その表面にはミンの記号とともに、ノコギリエイの吻とプテロケラ属の貝殻という海の産物が刻まれていた。この神が紅海方面のプントから来たとする伝承と符合する、と指摘されてきた。
中王国期にホルスと結ばれてミン・ホルスとなり、新王国期にはアメンと結ばれてミン・アメンとなる。自らを母に孕ませて生まれ直すカムテフ(「己が母の牡牛」)の称号は、もとミンのものであり、アメンがこれを引き継いだ。テーベの神学がコプトスの神学を取り込んだ痕跡である。
収穫期の初めにはミン祭が催された。神像を神殿から担ぎ出して畑へ運び、王が最初の穀束を刈る。裸で行う競技を伴い、なかでも大きな柱をよじ登る種目が重んじられた。新王国期の戴冠儀礼でも、王がミンの前で種を蒔く所作を行っている。
公の祭祀に与れない人々の訴えも残っている。デイル・エル=メディーナの家々の入口には、男根形の奉納品や小像が置かれた。子を授からないことは嘆かわしい事態とされ、こうした形で神に願われたのである。ミンの像の男根に触れて懐妊を祈る習慣は、今日まで続いている。
図像と象徴
肌は黒あるいは緑に塗られる。黒はナイルの残す黒土、すなわち肥沃を示す色である。額からは赤い紐が地面まで垂れる。脚を布で包む表現はプタハやオシリスと共通し、大地に属する神の徴とされる。
聖獣は白い牡牛で、祠の上には牡牛の角が飾られた。隼も聖鳥に数えられる。
そしてレタスである。古代エジプトのレタスは背が高くまっすぐ伸び、切ると乳白色の液を出した。この見た目から精力の源と考えられ、ミンへの供物とされ、供えたのちに男たちが食べた。神殿にレタス畑が設けられることもあり、図像でミンの背後に段状に描かれる植物がこれにあたる。先王朝期の祭具にはベレムナイト(矢石)の化石が用いられたが、のちの徴は白い牡牛、返しのついた矢、そしてレタスの床に定まった。
本サイトが主画像に掲げるのは、コプトスのミン神殿から出た第17王朝インテフ5世治世の浮彫(前1630年頃、アシュモレアン美術館蔵)である。
系譜と関係
「ミンへの讃歌」は、この神をオシリスとイシスの子、イプウ(アクミーム)に祀られる者、ゲブトゥ(コプトス)の「腕強きホルス」と呼ぶ。一方でイシスは母であると同時に妻ともされ、コプトスの神殿には神妻としてイシスが祀られた。カムテフの神学において、この循環は矛盾ではない。ほかに妻としてイアベトとレピトの名が伝わる。
プタハと習合したのちは、東方砂漠で働く鉱夫や隊商の守護神ともなった。コプトスは紅海へ向かうワディ・ハンママートの起点であり、この神は交易路そのものの守り手でもあった。生殖の神が同時に砂漠の道の神であるのは、どちらも「実りをもたらす往還」を担うからだと説明されている。
文化的足跡
ギリシア人はミンを牧神パーンに擬し(インテルプレタティオ・グラエカ)、アクミームをパノポリス「パーンの都」と呼んだ。山羊と葦笛の神と、殻竿を掲げるミイラ形の神とでは造形が似ても似つかないが、生殖と豊穣という機能の重なりが同定を成り立たせている。
近代以降の紹介では、この神の造形をもっぱら性の表現として扱い、猥雑さの側から語る向きがあった。だが王の戴冠と収穫の祭に組み込まれていたことが示すとおり、ミンが担ったのは私的な情欲ではなく、国土の実りを更新する公的な力である。図像の露骨さは、その力が抽象ではなく生存の条件だったことの反映にすぎない。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。