サテト
サティス · サテト女神 · セテト
エジプト最南エレファンティネの女神。ナイルの増水を注ぐ者であり、矢を射て国境を守る戦の女神でもある。クヌム・アヌケトとエレファンティネ三柱神をなす。
解説
概要
サテト(sṯt / Satis)は、エジプト神話の女神である。エジプト最南のエレファンティネ島を拠点とし、クヌム・アヌケトとともにエレファンティネ三柱神をなす。
名の語根 sṯ は「射る」「注ぐ」「投げる」を意味し、どの職掌を強調するかによって「射る女」とも「注ぐ女」とも訳される。この二重性がこの女神の性格をそのまま言い当てている。彼女は増水の水を注ぐ者であり、同時に矢を射てエジプト南辺をヌビアから守る戦の女神でもあった。「矢のごとく走る者」という添え名は、川の流れの速さを指すとも解される。
神話・物語
祭祀の最古の痕跡は、サッカラの階段ピラミッドの下から出た第3王朝の壺に記された名である。『ピラミッド・テキスト』では、エレファンティネから運ばれた四つの水壺で死んだ王の身体を清める役を負う。清めの水がエジプトの南端から来るという観念が、この段階ですでにある。
もとはテーベの軍神モンチュと対をなしていたとされ、のちに蛙の女神ヘケトに代わってクヌムの配偶神の位置に入った。二柱のあいだに生まれた娘がアヌケトである。クヌムがラーと習合すると、サテトはハトホルに代わってラーの目の一相を担うこともあった。配偶神の交替と習合の連鎖のなかで、この女神の位置は何度も組み替えられている。
戦の女神としては、鋭い矢で王の敵を射殺してエジプトの南の国境を守るとされた。豊穣の女神としては、伴侶を求める者の願いを聞くとされる。武と実りが一柱に同居するのは、国境の神にはめずらしくない配置である。
図像と象徴
上エジプトの白冠(ヘジェト)の両脇にレイヨウの角を差した、独特の冠を戴く女性像が定型である。エジプトの女神が戴く冠のうち、角と白冠を組み合わせるのはこの女神だけといってよく、同定は冠でつく。身に添うシースドレスをまとい、弓矢を携える姿、アンクや笏を握る姿、清めの水壺を差し出す姿がある。レイヨウそのものとして表されることもあった。
名を記すヒエログリフにも変化がある。初めは亜麻布の肩紐の記号で書かれたが、のちに矢の刺さった獣皮の記号——アヌケトの名にも使われる符号——に置き換わった。文字の側でも、二柱の女神の距離が縮まっている。
象徴は矢と、流れる川である。本サイトが主画像に掲げるのは、ルーヴル美術館蔵のサテト像(N 5031)である。
系譜と関係
クヌムの妻、アヌケトの母。ただし三柱の続柄は資料により揺れる(エレファンティネ三柱神)。
習合の相手は水と星に集まる。増水の到来を告げる星シリウスの女神ソプデトと重ねられ、さらにイシスとも結ばれた。シリウスの明け方の再出現が増水の始まりと重なるという観測が、この結びつきの土台にある。インテルプレタティオ・グラエカでは、ギリシア人はサテトをヘラに、ローマ人はユノーに当てた。エジプト側の性格(射手・水の注ぎ手)とはあまり重ならない同定であって、interpretatio が機能の一致ではなく地位の一致でも行われたことを示している。
文化的足跡
エレファンティネのサテト神殿は先王朝期の聖所の上に建てられており、その方位がシリウスの出現方向に合わせられていたとする指摘がある。神殿は中王国のメンチュヘテプ2世の時代に整えられ、以後たびたび建て替えられた。セヘル島(古名セテト)も彼女の名を負う。
前5世紀、エレファンティネにはペルシア帝国に仕える傭兵のユダヤ人共同体があった。彼らが残したアラム語のパピルスのうち、ある離婚証書には「サティ」の名で誓いが立てられている。エジプトの地方女神の名が、まったく別の言語と宗教の法文書のなかに現れている例である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。