フェニックス
不死鳥 · 火の鳥 · ポイニクス
五百年ごとに死んで蘇るとされたギリシア・ローマの霊鳥。ヘロドトスが記したのは没薬に包んだ親の亡骸をヘリオポリスへ運ぶ鳥であり、炎に焼かれて灰から甦る筋書きは、後代の著述家が数世紀かけて育てたものである。
解説
概要
フェニックス(古代ギリシア語: φοῖνιξ / phoînix)は、寿命を終えると死に、そこから新たに生まれ変わるとされた霊鳥である。ラテン語形 phoenix が英語などに入り、日本語では不死鳥・火の鳥とも呼ばれる(同じ訳語を当てられるスラヴのジャール・プチーツァは、灰から甦らない別系統の鳥である)。ギリシア神話の文献に現れる鳥でありながら、その棲み処はつねにギリシアの外側——アラビアか、エジプトか、インドの東——に置かれた。誰も見たことがなく、しかし誰もが絵では知っている鳥だった。
語源は定まらない。φοῖνιξ は「深紅」「ナツメヤシ」「フェニキア人」をも意味する多義語で、アカネから採る赤い染料を指す西セム語からの借用と見る説が有力である。ミュケーナイ期の線文字Bに現れる po-ni-ke はおそらくグリフォンを指す語であり、この一語の来歴自体が東方との往来を映している。
登場する物語
最古の言及はヘーシオドスに帰される『ケイローンの教訓』断片で、ケンタウロスがアキレウスに寿命の長さを説く比喩として現れる。人間のおよそ九百七十二倍という桁が、この鳥の時間の尺度を最初に定めた。
まとまった記述はヘロドトス『歴史』第2巻73節が最初である。ヘリオポリスの人々の話として彼が伝えるのは、五百年に一度エジプトへ来る鷲ほどの大きさの鳥で、羽は半ば赤く半ば黄金、親鳥が死ぬと没薬の球で亡骸を包み、太陽神の神殿まで運んで葬るというものだった。この段階では、鳥は焼けもしないし灰からも甦らない。 ヘロドトス自身、信じがたい話だと断りを入れている。
炎と灰の筋書きは、その後の著述家が積み上げたものである。プリニウス『博物誌』とローマのクレメンスは、香料を集めて棺とし、朽ちた亡骸から生じた虫が羽を得て次の代になると記した。ポンポニウス・メラは、自ら積んだ香木の炎の中で死に、その炎から生まれ直すと書く。2〜4世紀の『フィシオロゴス』では、ヘリオポリスの祭壇の炎で焼け死に、翌日その場に生じた虫が三日目に元の姿まで育って飛び去る。「灰から甦るフェニックス」は原典のどこか一冊にあるのではない。この積み重ねの果てにある。
寿命の数字も割れる。多くが五百年とするのに対し、プリニウスとソリヌスは五百四十年、タキトゥスは千四百六十一年を挙げた。最後の数字は、シリウスが日の出直前に昇る日とエジプト暦の元日が一致する周期(ソティス周期)に基づく。
図像と象徴
主画像はアンティオキア近郊ダフネ出土の舗床モザイク(ルーヴル美術館)である。薔薇を散らした白地の中央に岩の丘に立つ大きな鳥が横向きに据えられ、その頭から光条が放射する。この光輪こそ図像の核で、初期の作例では七本の光条をもつことが多い。同じ意匠は太陽神ヘーリオスのもので、鳥が太陽の隠喩であることを一目で示す。
姿の細部は古代を通じて一致しない。大きさをヘロドトス・プリニウスらは鷲並みとし、ラクタンティウスと悲劇作家エゼキエルはそれより大きく駝鳥をも超えるとした。色も、タキトゥスが「他のどの鳥とも違う」と述べるにとどまるのに対し、孔雀のようだとする者、ヘロドトスに従って赤と黄金とする者があり、ラクタンティウスは眼をサファイアの青、脚を黄金の鱗、爪を薔薇色と描き分けた。プリニウスは頭部の冠羽に触れ、エゼキエルは雄鶏に喩えた。決まった姿がないことが、この鳥の図像上の特徴なのである。
ローマ帝国はこの鳥を永続の徽章として貨幣とモザイクに鋳込んだ。中世に入るとキリスト教が復活の予型として読み替え、10世紀の『エクセター写本』所収の古英語詩「フェニックス」がラクタンティウスの詩を敷き直してその読みを定型化する。錬金術は賢者の石の生成になぞらえ、紋章学は炎から立ち上がる鷲の頭・胸・翼として図案化した。
関係する神格・類似の幻獣
ヘロドトスがこの鳥をヘリオポリスに結びつけたことから、19世紀の学者はエジプトの聖鳥ベンヌを原型と見た。ベンヌはラーのバー(魂)とされ、原初の水ヌンの上を飛んで創造の起点となった鳥で、新王国の図像では二本の冠羽をもつ蒼鷺として描かれる。ただしこの同定には留保が要る。エジプト側の資料はベンヌの死を語らない。 エジプトの文献のほうがギリシアのフェニックス観念に影響された可能性も指摘されており、どちらが源かは決着していない。
日本ではフェニックスと中国の鳳凰がしばしば重ねられるが、両者を歴史的に同一視した記録はない。鳳凰は死と再生の鳥ではなく、聖王の治世に現れる瑞鳥である。星座 Phoenix を「ほうおう座」と訳すのは近代の訳語上の対応であって、神話の同一を意味しない。
文化的足跡
不死鳥の名は、災害からの復興の標語として現代日本の各地に生きている。福井市の市民憲章「不死鳥のねがい」は、空襲・地震・水害による三度の壊滅を踏まえたものである。ゲームや漫画の題材としても定着しているが、そこで燃える鳥は、ヘロドトスの没薬の球からはずいぶん遠い場所にいる。