鬼
オニ · 鬼神 · 赤鬼
日本の伝承に伝わる異界の存在。角と牙をもち金棒を振るう姿で知られるが、その像は中国渡来の死者の霊、仏教の悪鬼、在来の祖霊が重なって成った。
解説
概要
鬼(おに)は、日本の神話・伝承に伝わる異界の存在である。頭に一本または二本の角を生やし、縮れた髪と牙をもち、虎の皮の褌を締めて金棒を握る大男——これが今日の定型である。肌の色で赤鬼・青鬼などと呼び分けられ、五色の配当は五行説と五蓋説を組み合わせたものと説明される。ただしこの造形は近世に固まったものであり、鬼という語が背負ってきた意味は一つではない。死者の霊、仏典の悪鬼、山に棲む異人、人が怨みによって変じたもの——複数の系譜が「鬼」の一語に流れ込んでいる。妖怪のなかでも、鬼はとりわけ幅の広い名である。
由来と諸説
漢字「鬼」の原義は死者の魂である。中国で鬼(guǐ)といえば亡魂を指し、日本語の「幽霊」に近い。餓鬼・鬼哭といった熟語や、異国で死ぬことを「異境の鬼となる」と言う言い回しに、その原義が残る。
一方、日本語の「おに」については、姿を隠して見えないものを意味する「隠(おぬ/おん)」の転とする説が古く、十世紀の『和名類聚抄』が既にこの解を載せる。記紀の段階では「鬼」の字はオニと固定しておらず、カミ・モノ・シコとも訓まれた。『今昔物語集』にも「鬼」をモノと読ませる例がある。オニという訓が一般化するのは平安末期である。
文献上早い例では、和銅六年(七一三)に編纂の始まった『出雲国風土記』が、人を食った一つ目の鬼を語る。養老四年(七二〇)成立の『日本書紀』は、斉明天皇の葬儀を朝倉山の上から笠を着た鬼が見ていたと記す。この一つ目という徴について、隻眼を神の印とみて山の神の名残と読む説(五来重ほか)がある。
文芸評論家の馬場あき子は、鬼を五類型に整理した。祖霊・地霊としての民俗的な鬼、修験道など山岳宗教系の鬼(天狗もここに入る)、夜叉や羅刹といった仏教系の鬼、盗賊など人鬼系の鬼、そして怨みや怒りによって人が変じる変身譚系の鬼である。一つの起源に還元しようとすると、この幅がこぼれ落ちる。
登場する物語
平安から中世の説話に現れる鬼は、人を食う怪物であり、また怨霊の化身である。『伊勢物語』第六段は、女を連れて逃げる男の傍らで、女が鬼に一口で食われる場面を描く。ここから危難に遭うことを「鬼一口」と呼ぶようになった。岡部隆志は、戦乱・飢饉・疫病のなかで人が死に、行方を絶つという現実を、異界がこの世に現れる現象として説明したものと読む。
鬼の頭領として最も名高いのが、大江山に拠ったという酒呑童子である。源頼光と頼光四天王が山伏を装って山に入り、毒酒を飲ませて首を落としたと語られる。この物語を描いた最古の絵巻が南北朝後期から室町初期の『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵)で、以後、御伽草子・能・浄瑠璃・浮世絵へと展開した。
人が鬼になる話も多い。能の『鉄輪』『紅葉狩』は嫉妬から鬼と化した女を描く。平安末の『梁塵秘抄』には、女が男を呪って「角三つ生ひたる鬼になれ」と歌う一首があり、十二世紀末には角のある鬼の像と、呪いによって人を鬼に変えるという発想が既に成立していたことがわかる。
一方で、鬼が福をもたらす話も少なくない。『宇治拾遺物語』の「瘤取り爺」では、鬼たちの宴に加わって踊った爺が瘤を取ってもらう。一寸法師では鬼の落とした打出の小槌が富を生む。鬼は奪う者であると同時に、置いていく者でもある。
図像と象徴
鬼が牛の角と虎の皮で描かれる理由については、鬼門から説く見方がある。陰陽道で艮(うしとら)=北東は邪気の通る方位とされ、丑(牛)と寅(虎)の組み合わせがそのまま鬼の造形になったという解釈である。ただし慎重論もある。鬼門を守るために建てられたとされる延暦寺の創建は延暦七年(七八八)で、平安遷都に六年先立つ。方位観が後から説明として当てられた可能性は残る。
中世までの鬼の図像は、仏典の悪鬼像に多くを負う。大きな身体、一つ目、裂けた口、角、赤い褌、三本指——小山聡子はこれらを経典の図像の影響とみる。十二世紀頃の『吉備大臣入唐絵巻』に現れる阿倍仲麻呂の霊は、まさにこの型で、赤い肌に一本角、三本指の姿をとる。
近世に入ると、鬼は画題として広く流通する。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は鬼一口や羅城門の鬼を図に定着させ、『百鬼夜行絵巻』の系統は鬼と器物の妖怪が行列する画面を反復した。本項に掲げるのは大津絵の代表的画題「鬼の寒念仏」である。僧衣をまとって鉦を叩き勧進する鬼を描き、外面の殊勝さと内心の不一致を諷刺する画題として売られた。恐怖の対象であった鬼が、道徳的な戯画の主役に転じている点で、近世の鬼観をよく示す。
能面もまた鬼の造形の一系統をなす。生成・般若・蛇(真蛇)と段階づけられた女面は、嫉妬が人を鬼へ変えていく過程を、そのまま面の形式に翻案したものである。
関わる伝承と祭礼
鬼は必ずしも払われる側ではない。節分の豆撒きが鬼を外へ追い出す行事である一方、秋田の男鹿半島に伝わるなまはげは、鬼の面をつけた来訪者が家々を回って怠惰を戒め、福をもたらす。国東半島の寺院で修正会に行われる修正鬼会では、松明を持った鬼が現れて災厄を払う。ここでの鬼は祖霊であり、山岳信仰と結びついた歳時の神である。鳥取県伯耆町や青森県の岩木山のように、村を守った存在として鬼を祀る例も各地にある。
仏教の枠組みでは、鬼は六道の地獄に配された獄卒として現れる。十王の筆頭である閻魔の庁で亡者を責める牛頭・馬頭がその代表で、生前の貪欲によって餓鬼道に堕ちた者を餓鬼と呼ぶのも同じ字である。
鬼の正体を歴史上の人々に求める説も繰り返し唱えられてきた。若尾五雄は『鬼伝説の研究』(一九八一年)で、鬼の伝説地と鉱山地の重なりを指摘し、鬼を金属を扱う職能民とみた。坂上田村麻呂伝説の分布から鬼を蝦夷に重ねる読みもある。いずれも示唆に富むが、伝承そのものが「まつろわぬ者」を鬼と呼んできた以上、説明が循環しやすい点には注意がいる。
文化的足跡
「鬼に金棒」「鬼の目にも涙」「疑心暗鬼」——鬼を用いた慣用句は日本語に数多い。強さ、非情さ、一途さのいずれをも表しうるところに、この語の幅がよく出ている。鬼ごっこ・鬼瓦・鬼おろしのように日常の遊びや道具にも名が残り、生物の和名で近縁より大きな種に「オニ」を冠するのも同じ用法である。近現代の小説・漫画・ゲームにも鬼はくり返し登場するが、作品ごとの造形は創作であり、伝承の鬼像とは分けて受け取る必要がある。