ツクヨミ
月読尊 · 月読命 · 月夜見尊
日本神話の月神。イザナギの禊から化生した三貴子の一柱で、夜を統べるよう命じられる。しかし記紀を通じてほとんど活躍が語られず、三貴子のうち最も影の薄い神でもある。
解説
概要
ツクヨミ(月読命 / 月夜見尊 / 月弓尊)は、日本神話における月神である。イザナギが黄泉の穢れを禊によって清めた際、天照大神・スサノオとともに生まれた三貴子の一柱にあたる。昼を司る太陽神アマテラスと対をなし、夜を統べる神とされるが、その位置づけとは裏腹に、記紀を通じて固有の物語をほとんど持たない。三貴子のなかで最も語られることの少ない神であり、性別や神格の細部も判然としない。この寡黙さそのものが、かえってツクヨミという神の特色となっている。
神話・物語
『古事記』では、イザナギが右目を洗ったときに化生したと伝えられる(アマテラスは左目、スサノオは鼻から生まれる)。イザナギは三貴子の誕生を喜び、ツクヨミには「夜之食国(よるのおすくに)」の統治を委ねた。しかし記述はここで途切れ、以後ツクヨミが物語に登場することはない。
異伝の多い誕生譚は、この神の輪郭の曖昧さをよく映している。『日本書紀』第五段の本書は、日の光に次ぐ輝きを放つ月の神が生まれ、天に送られて日と並んで世を統べる存在とされた、と簡潔に記すのみである。一方その第一の一書は、イザナギが左手に白銅鏡(ますみのかがみ)を執ったときにアマテラスが、右手に執ったときに月弓尊が生まれた、と別の化生を語る。
ツクヨミが唯一まとまった物語をもつのは、『日本書紀』の一書が載せる保食神(ウケモチ)殺しの一段である。アマテラスの命でウケモチを訪れたツクヨミは、女神が口から飯を、また体から海山の幸を取り出してもてなすさまを穢らわしいと怒り、剣を抜いてこれを斬ってしまう。事の次第を知ったアマテラスは激しく怒り、二度と顔を合わせまいと言った——これによって日と月とは一日一夜を隔てて別々に現れるようになった、と説く。日月分離の起源譚である。ただし『古事記』は、ほぼ同型の食物起源神話を、殺す神をスサノオ、殺される女神をオオゲツヒメ(大気都比売)として語る。同じ筋書きが、伝本によって担い手を替えているのである。
図像と象徴
ツクヨミの造形は、記録の乏しさを反映して定型を欠く。円光や鏡と結びつき豊かな図像をもつ姉神アマテラスとは対照的に、月神ツクヨミには確立した持物も姿もない。近世の神仏習合的な図像集——たとえば『神仏図会』——には月読尊の姿が描かれるが、それは経典や神道書の記述をもとに描き起こされたもので、古代からの一貫した伝統を引くわけではない。
象徴の核にあるのは、名そのものである。「ツクヨミ」は月を「読む」、すなわち満ち欠けによって時を数える営みに通じるとされ、暦と結びつけて理解されることが多い。夜と月と時間の計測——これがこの神に託された観念の束である。江戸期の国学者本居宣長は、名の「ヨミ」を黄泉(よみ)に重ねて考えており、月と死者の国とを連想でつなぐ解釈も後世に生まれた。
系譜と関係
イザナギの禊から生まれた三貴子の一柱であり、アマテラス・スサノオと兄弟神の関係にある。ただし三貴子の出自は伝本で割れる。『古事記』ではイザナギ単独の禊から生まれる(このときイザナミはすでに黄泉にある)のに対し、『日本書紀』本書ではイザナギ・イザナミの二神が共に生んだとする。
保食神殺しの筋がスサノオのオオゲツヒメ殺しと通じることなどから、ツクヨミとスサノオを同一の神の別の姿とみる説も唱えられてきた。祭祀の面では、伊勢神宮に月読宮・月夜見宮が別宮として置かれ、京都の松尾大社の摂社にも月読神社があるなど、月神としての信仰は各地に受け継がれている。
文化的足跡
語られる物語が乏しいことは、後世にとってはむしろ余白であった。定まった人物像をもたないツクヨミは、和歌や物語のなかで月そのものの象徴として自在に扱われ、近現代の小説・漫画・ゲームでもたびたび題材となっている。原典における寡黙さと、二次創作における多弁さの落差は、この神ならではのものである。なお現代の作品に描かれるツクヨミ像の多くは創作上の肉付けであり、記紀の伝える姿とは切り離して捉える必要がある。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。