酒呑童子
酒顛童子 · 酒天童子 · 朱点童子
丹波の大江山に拠ったと伝わる鬼の頭領。都から人をさらって食らい、山伏を装って近づいた源頼光らに毒酒を飲まされ、首を落とされたと語られる。
解説
概要
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波と丹後の境の大江山、あるいは山城と丹波の境の大枝(老ノ坂)に拠ったと伝わる鬼の頭領である。大酒を好んだことから配下にこの名で呼ばれたという。茨木童子ら多くの鬼を従え、都から若い男女をさらって食らったとされ、源頼光らに討たれた。中世日本でもっとも名高い鬼であり、その物語は絵巻・御伽草子・能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵へと繰り返し翻案された。表記も酒顛童子・酒天童子・朱点童子と一定しない。
登場する物語
最古の伝本は南北朝後期から室町初期の『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵、重要文化財)で、旧蔵者にちなみ香取本と呼ばれる。ここでは、都で人が次々に神隠しに遭い、安倍晴明の占いによって大江山の鬼の仕業と知れる。帝の命を受けた源頼光と藤原保昌の一行が山伏を装って山に入り、酒宴の席で神から授かった毒酒「神便鬼毒酒」を飲ませ、動けなくなった童子の首を落とす。切り落とされた首はなお頼光の兜に噛みついたという。
江戸に広く流布した御伽草子版(渋川版、享保五年/一七二〇)では、藤原保昌が頼光の郎党に格下げされ、渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・卜部季武の頼光四天王が主役となる。古い形では頼光と保昌は対等の関係にあり、室町中期以降に頼光と四天王へ功を集中させる改変が進んだとみられる。この版で童子は、だまし討ちを責めて「鬼に横道はない」と言い放つ。討たれる側に理を語らせるこの一句は、後世の酒呑童子像を大きく規定した。
住処については、大江山とする系統と、近江の伊吹山とする系統(サントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』)に大きく分かれる。出自の伝えも一様ではない。越後国の生まれで国上寺の稚児であったが、寄せられた恋文を焼いたために女たちの怨念が煙となって鬼に変じたとするもの、伊吹山の神(ヤマタノオロチと同一視される伊吹大明神)の子とするもの、比叡山の稚児であったが鬼の面が外れなくなったとするもの——いずれも中世以降に各地で育った異伝であり、一本に整理すべきものではない。
図像と象徴
『大江山絵詞』の描く童子は、身の丈五丈、頭と体は赤、手足は黒・黄・白・青と五色に分かれ、五本の角と十五の目をもつ異形である。今日一般に思い浮かべられる、赤ら顔で角を生やした大男の姿は、御伽草子から浮世絵にかけて整えられたものといってよい。宴席で盃を傾ける童子、寝所を襲う頼光主従、噛みつく生首——絵巻はこの三場面を繰り返し描いてきた。
討伐に用いられたと伝わる刀にも物語が付随する。東京国立博物館の太刀「童子切安綱」は国宝であり、天下五剣の一つに数えられる。兵庫県川西市の多田神社が伝える「鬼切丸」にも同様の伝承がある。物語が名物の刀剣に結びつくことで、伝承は物として残った。
関係する神格と英雄
討ち手の源頼光は摂津源氏の武将で、頼光四天王を従えたとされる。渡辺綱が羅城門(一条戻橋とも)で鬼の腕を斬った説話は、酒呑童子譚と結びついて茨木童子の名で語られる。
歴史学者の高橋昌明は、大江山の岩穴を生と死の境と読み、正暦五年(九九四)に大流行した疱瘡との関わりを論じている。小松和彦は、退治されたのち遺骸が宇治平等院の宝蔵に納められたという共通点から、酒呑童子・玉藻前・大嶽丸を中世の三大妖怪として並べる。退治譚が支配の記念物を生むという指摘である。
文化的足跡
能『大江山』、歌舞伎舞踊『大江山酒呑童子』など、伝統芸能の演目に定着した。老ノ坂峠の首塚大明神は、討たれた首を葬ったと伝える社で、首から上の病に霊験があるとされる。現代の漫画・ゲームにも頻出するが、造形や設定は作品ごとの創作であり、中世の伝本が伝える像とは区別して受け取る必要がある。