ニュクス
Nyx
ギリシア神話の夜の女神。世界の始まりに生じた原初神のひとつで、眠りや死、運命など夜が生む力を子に持つ。ホメロスはゼウスさえ憚る存在として描いた。
解説
概要
ニュクス(Νύξ / Nyx)は、夜そのものを神格化したギリシアの女神である。ヘシオドス『神統記』では世界の始まりの原初神のひとつに数えられ、カオスから生じたとされる。単なる自然現象の擬人化にとどまらず、宇宙の根源に近い力として畏れられた。ホメーロス『イーリアス』第14歌には、ゼウスさえ夜を怒らせることをためらう場面があり、その古さと権能の大きさを物語る。
神話・物語
宇宙開闢の筋書きには複数の系統がある。ヘシオドスでは、カオスから闇のエレボスとニュクスが生まれ、両者の交わりからアイテール(澄明な上天)とヘーメラー(昼)が生じる。さらにニュクスは配偶者を持たず、モロス(定業)、ケール、タナトス(死)、ヒュプノス(眠り)、夢たち、モーモス、オイジュス、ヘスペリデス、モイライ(運命)、ネメシス、アパテー、ゲラス(老い)、エリスといった、多くは夜にまつわる暗い力を独りで産んだ。
一方オルペウス教の宇宙論では、ニュクスの位置はさらに高い。そこでは彼女はパネス(あるいはエロース)の娘とも、あるいは万物に先立つ最初の存在ともされ、宇宙を統べる最初の王として登場する。洞窟から神託を告げ、ウーラノス・クロノス・ゼウスと続く後継者たちに助言を与えたという。アリストテレスは『形而上学』で、万物を夜から導く神学者たちがいたことを伝えている。
図像と象徴
古典期のニュクスの作例は多くない。文献では、黒い衣をまとい、星をちりばめた夜空を背に、馬の曳く車で天を渡る姿として語られる。パウサニアスが記録したキュプセロスの櫃には、両腕に眠りと死——ヒュプノスとタナトス——を抱く母なるニュクスが表されていたという。10世紀の写本『パリ詩篇』の挿絵には、預言者イザヤの傍らに擬人化された「夜(ΝΥΞ)」が女性の姿で描かれ、名を添えて明確にニュクスと同定できる希少な図像として知られる。
系譜と関係
カオスから生まれ、闇のエレボスと対をなす。子には昼のヘーメラーや上天のアイテールのほか、眠り・死・運命・報い・諍いといった抽象の力が並ぶ。ローマではノクス(Nox)の名で夜を指し、キケロも同じ系譜のもとに夜を数えている。夜を司る神格は各文化に見られるが、ニュクスの特色は「夜が何を生むか」を子の系譜として語り尽くした点にある。
文化的足跡
夜と、そこから生まれる眠り・死・夢という主題は、後世の詩と絵画がくり返し取り上げてきた。星をまとい闇を広げる女神という像は、寓意画のなかで夜の擬人像として生き続けている。ニュクスはFGO・女神転生など現代の創作にも登場する。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。