ネメシス
ネメシス · ネメシース · アドラーステイア
分を越えた者に報いを配分するギリシアの女神。ラムヌースの聖域で祀られ、ヘレネーを生んだ卵の母とする伝えもある。
解説
概要
ネメシス(Νέμεσις / Nemesis)は、人に釣り合った分を配分する女神である。名は「割り当てる」を意味する動詞に由来し、もともとは神格ではなく、受けるべきものを受けるという事態そのものを指す語であった。
彼女が働くのは、分を越えた幸運や思い上がりに対してである。罪の有無を問うエリーニュスとも、寿命を割り当てるモイライとも役割は重ならない。過剰を均すという一点に限定された神格であり、そのため祈願されるより恐れられた。
神話・物語
ヘーシオドス『神統記』は彼女をニュクスの娘とし、タナトス、ヒュプノス、エリス、モイライらの姉妹に置く。オーケアノスの娘とする説、ゼウスの娘とする説もある。
固有の物語は多くないが、一つだけ大きなものがある。散逸叙事詩『キュプリア』によれば、彼女はゼウスに求められて逃れ、魚となり獣となって姿を変え続けた末、鵞鳥となったところを白鳥に化した神に捕らえられた。彼女が産んだ卵を羊飼いが見つけ、スパルタ王妃レーダーに渡す。その卵からヘレネーが生まれた——つまりこの版では、レーダーは育ての母にすぎず、トロイア戦争の原因となる娘の母は報いの女神である。変身を重ねて逃れようとする筋はテティスやプローテウスと同じ型であり、ここでは追う側が勝つ。
アッティカのラムヌースには彼女を主神とする聖域があった。ペルシア軍が戦勝記念碑を作るために運んできた大理石が、敗戦によって残された。その石からアゴラクリトス——ペイディアスの弟子——が女神像を彫ったと伝えられる。思い上がりの罰を、思い上がりの証拠そのものから作るという筋書きであり、この神格の性格をこれ以上なく示す逸話として、パウサニアース以来くり返し引かれてきた。
なお、ナルキッソスの物語では、彼を愛したエーコーの願いを容れ、彼が自分の姿に恋するよう仕向けたのは彼女である。
図像と象徴
持物は、肘から指先までの長さを測る尺(ペーキュス)、手綱、車輪、天秤である。いずれも「度を測る」「抑える」「巡る」ことを示す道具であり、罰の道具ではない。衣の襟元を指でつまむ所作も定型で、慎みを示すものと解される。有翼で表されることもある。
本ページの主画像はアテネ国立考古学博物館蔵のローマ期の模刻(inv. 3349)で、前430年頃のアゴラクリトスによるラムヌースの神像を写したものとされる。林檎の枝と献酒用の皿を手にする姿に復元されている。原作は断片のみが現存する。
ローマ期には闘技場の守護神として広く祀られ、勝敗の均衡を司る神として競技場に祭壇が置かれた。この時期の作例では車輪と翼が強調される。
系譜と関係
母ニュクス(異伝ではオーケアノスあるいはゼウス)。姉妹にヒュプノス、タナトス、エリス、モイライ、エリーニュスら。
『キュプリア』の系統では、ゼウスとの子がヘレネーとなる。この場合、彼女はディオスクーロイの母でもあることになるが、その点に触れる資料は乏しい。ローマではフォルトゥーナやインウィディアと結びつけられ、複数の神格が重なった。
文化的足跡
英語の nemesis は「宿敵」「因果応報」の意で日常語となり、日本語でも作品名や商品名に広く用いられる。ただし原義の「分を越えたものを均す」という限定は、この用法ではほとんど失われている。
小惑星(128)ネメシスのほか、太陽の伴星として仮説的に提唱された「ネメシス星」にもこの名が用いられた。周期的な大量絶滅の原因とされた仮説であり、報いをもたらす者という含意で命名されている。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。