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ディオスクーロイ
PLATE — ΔΙΌΣΚΟΥΡΟΙ
HELLAS · ギリシア神話
ΔΙΌΣΚΟΥΡΟΙ

ディオスクーロイ

ディオスクロイ · カストール · ポリュデウケース

Gary Todd CC0

カストールとポリュデウケースの双子。一方は人の子、一方はゼウスの子で、不死を分け合って一日交代で天と冥界に住む。船乗りと騎手の守護神。

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解説

概要

ディオスクーロイ(Διόσκουροι / Dioscuri)は、カストールとポリュデウケース(ラテン語ではポッルクス)の双子の兄弟である。名は「ゼウスの子ら」を意味する。母はレーダーだが父は異なり、カストールはスパルタ王テュンダレオースの子で人間、ポリュデウケースは白鳥の姿でレーダーに近づいたゼウスの子で不死とされる。姉妹にヘレネークリュタイムネーストラーがいる。

一方が死ぬべき者、一方が死なぬ者という設定が、この双子のすべてを規定している。そして最後には、不死のほうが半分を分け与えることで、二人はともに半分ずつ生き、半分ずつ死ぬことになる。船乗りと騎手の守護神として、ギリシアとローマの双方で広く祀られた。

神話・物語

出自の伝えは互いに矛盾する。ホメーロス『オデュッセイア』では二人ともテュンダレオースの子であり、ヘーシオドス『名婦列伝』では二人ともゼウスの子である。片方ずつに振り分ける形が最初に確認できるのはピンダロス『ネメア祝勝歌』で、これが以後の通説となった。二つの伝承を接ぎ合わせた結果、不死を分け合うという話が要請されたとみることもできる。M・L・ウェストらは、スパルタの碑文に見える古い呼称ティンダリダイ(テュンダレオースの子ら)を説明するために、後からテュンダレオースが系譜へ持ち込まれ、それが両立しない父系の伝えを生んだ可能性を指摘している。

死生についても定まらない。『イーリアス』では、城壁からアカイア軍を見下ろすヘレネーが兄弟の姿を探すが、語り手は二人がすでに死んで故郷ラケダイモーンに葬られていると述べる。少なくともある古い伝えでは、二人とも死すべき者だったことになる。ところが『オデュッセイア』では、大地が二人を抱いていながら「神々に等しい誉れを受け」、ゼウスの計らいで一日交代に生きるとされる。両方とも神とされることも、両方とも人間とされることもあり、一致するのは、片方だけが不死である場合それはポリュデウケースだという一点だけである。

二人は名高い騎手であり狩人であった。カリュドーンの猪狩りに加わり、のちにイアーソーンアルゴナウタイに乗り組む。航海のさなか、ポリュデウケースはビテュニアの荒々しい民ベブリュケス人の王アミュコスと拳闘して打ち破った。帰還後は、イアーソーンとペーレウスに加勢してペリアースの裏切りに報い、イオールコスを滅ぼしている。

妹ヘレネーがテーセウスにさらわれたときは、アッティカへ攻め入って取り返し、報復としてテーセウスの母アイトラーを連れ去ってヘレネーの侍女とした。アイトラーがようやく故郷へ帰るのは、トロイア陥落後、孫たちの手によってである。

破局は縁者との争いから来る。二人は伯父アパレウスの子である従兄弟イーダースリュンケウスの許婚だったレウキッピデス——レウキッポスの娘ヒーラエイラとポイベー——を奪って妻とした。四人はのちにアルカディアで牛を略奪するが、分配をめぐって決裂する。巨躯のイーダースは、牛を四等分せず、先に自分の分を食べ終えた組が半分を取ると提案し、承知させたうえで自分の分と弟の分を平らげてしまった。欺かれたディオスクーロイは群れを譲り、いつか報いると誓う。

のちに待ち伏せが行われた。細部は資料によって割れる。ディオスクーロイが樫の洞に隠れ、暗闇でも見通すリュンケウスの目に見つけられたとするものと、二人が牛を奪い返しに行き、木に登って見張っていたカストールをリュンケウスが見つけたとするものがある。いずれの版でも、イーダースの槍がカストールを刺し、ポリュデウケースがリュンケウスを討ち、イーダースがとどめを刺そうとしたところへゼウスの雷が落ちてこれを斃した。

死にゆく兄のかたわらで、ポリュデウケースはゼウスから選択を与えられた。ひとりオリュンポスに留まるか、自らの不死を半分与えて兄と分かち合うか。彼は後者を選び、以後二人は一日ごとにオリュンポスと冥界を行き来する。天に上げられたのがふたご座であり、カストール(ふたご座α星)とポリュデウケース(同β星)はその二つの明星となった(カタステリスモス)。エラトステネースは、兄弟愛において他の誰にも優り、どちらが上かを争うことがなかった二人の絆にゼウスが感じ入ったのだと説明する。

図像と象徴

古代美術において、この二人はほぼ一貫して馬とともに描かれる。兜をかぶり槍を持った騎手というのが最も広い型で、本項に掲げたテッサリア出土の大理石奉献浮彫(前2世紀、ルーヴル美術館)も、有翼の勝利女神の上に馬上の二人を配している。

もう一つの目印は、頭にかぶる縁のない felt の帽子ピロスである。古代人自身がこれを、生まれ出た卵の殻の名残と説明していた。帽子の上に星を添える型もある。

抽象的な表現も発達した。ドカナ(δόκανα)と呼ばれる、二本の柱を二本の横木でつないだ木組みがそれで、スパルタに固有の像を用いない表現である。双子であることを、二本の柱の並びだけで示している。同じ発想から、二つのアムポラ、二つの楯、二匹の蛇を対にして描くこともあった。

ドカナには政治史が絡む。ディオスクーロイは軍神として崇められ、その像はスパルタの二人の王が出陣するたびに軍に随行した。ところが前504年、二人の王が互いへの反目からアッティカ侵攻に失敗したため、以後は一人の王だけが軍を率いると定められ、随行する像も一体だけになった。ドカナが分割され、半分がスパルタに残り、半分が出征する王に伴われたと考えられている。像のかたちが国制の変更をそのまま映した例である。

壺絵ではレウキッピデスの略奪、アルゴナウタイ、そしてレーダーのもとへ卵が届けられる場面が繰り返し描かれた。デルポイの宝庫のメトープには、アルゴー船の航海と、イーダースとの牛の略奪が刻まれている。

関係する神格・退治した英雄

祭祀のうえで、この二人は特異な二重の地位を占める。オリュンポスの神として全焼犠牲(ホロコースト)を捧げられる一方、冥界にいる死者として献酒によって慰められもした。神に対する作法と英雄に対する作法を同時に受けたことになる。スパルタ人が「二柱の神にかけて」と誓ったのはこの兄弟であり、テラプネーの丘の祠——ヘレネーとメネラーオスもここに葬られたとされるメネラーイオン——が墓所とされた。

固有の祭儀がテオクセニア(神を饗す)である。食物を並べた卓に二柱を招くもので、この種の供物自体はギリシアで珍しくないが、通常は神域や英雄の祠で行われた。ディオスクーロイの場合は個人の家の炉でも行われ、そこがこの祭祀を他から分けている。図像では、食物を載せた卓の上へ二人が馬を駆って到着する場面が描かれる。

エトルリアではカストゥルとプルトゥケと呼ばれ、まとめて「ティニアの子ら」(tinas cliniiaras)とされた。ティニアはゼウスに対応する神である。エトルリアの鏡の背面に繰り返し表され、フフルンスの場面にも顔を出す。

ローマでの受容は早い。ラウィーニウムから出土した前6世紀から前5世紀の古ラテン語碑文は「カストールとポッルクス、クーロイに」と読め、qurois はギリシア語 κούροις をほぼそのまま写した語である。マグナ・グラエキアを介した直接の伝来を示す資料とされる。前495年のレギッルス湖畔の戦いののち、アウルス・ポストゥミウスの立願によってフォルム・ロマーヌムに神殿が建てられた。伝説では、二人がローマ軍の先頭に立って戦い、勝利の報せを市へもたらしたという。7月15日の祭日には、千八百の騎士が完全武装と勲章を帯びて市中を行進した。プラウトゥスとテレンティウスの喜劇では、女はカストールにかけて誓い(mēcastor)、男はヘルクレースにかけて誓い(mehercule)、ポッルクスにかけては男女ともに誓う(pol)。

文化的足跡

インド・ヨーロッパ語族の諸伝承には、光り輝く双子の騎手という共通の型が見いだされる。ヴェーダのアシュヴィン双神、リトアニアのアシュヴィエニアイ、そしておそらくゲルマンのアルキスである。ただしこれは再構成された神話素であって、ディオスクーロイという名がこれらと語源を共有するわけではない。名の対応ではなく型の対応であることに注意がいる。

キリスト教化ののちも祭祀は容易に消えなかった。5世紀の教皇ゲラシウス1世は、民衆が「カストレースの祭祀」を手放そうとしないと記している。北アフリカの4世紀の陶器と浮彫には、十二使徒やラザロの復活と並んでディオスクーロイが表される。教会は不死という主張を退けつつ、代わりの一組を宛てがった。旅人の守護は聖ペテロと聖パウロが、癒しの役は聖コスマスと聖ダミアヌスが引き継ぐ。『使徒言行録』第28章11節は、パウロがマルタで乗り込んだアレクサンドリアの船の船首像として、この双子を中立的に言及している。

船乗りの守護という側面は、帆柱の先に現れる放電現象——のちにセント・エルモの火と呼ばれるもの——と結びついた。二つの光が見えれば双子の来訪で吉、一つだけなら不吉とされた。黒海沿岸の都市ディオスクリアス(現在のスフミ)、ソコトラ島のギリシア名ディオスクーリドゥーも、この兄弟の名を負っている。

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領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
カストゥルとプルトゥケ エトルリア神話 同一視
エトルリアはギリシアの双子神を早くから受容し、カストゥル/プルトゥケの名で青銅鏡に表した。主神ティニアの子として「ティンの子ら(tinas cliniiaras)」と総称される。ただし鏡の図像にはギリシアの物語にない人物が加わるなど、受容は模倣にとどまらない。
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資料

Wikidata
Q190103 — 骨格データの出典
Commons
Dioscuri — 図像カテゴリ