クル
クル・ヌ・ギ · Kur-nu-gi · キガル
シュメール語で「山」「異国」「冥界」を意味した語。神話では神々に敵対する怪物として擬人化されることがあるが、竜とみる読みは今日では退けられている。
解説
概要
クル(𒆳 KUR)は、シュメール語の多義語である。楔形文字の字形そのものが山の象形であり、原義は「山」にあたる。シュメールの平野から見て周囲の山地は常に脅威であったため、そこから「異国」の意が派生し、さらに「土地」一般を指すようにもなった。同時にこの語は冥界の呼び名の一つでもある。メソポタミアの冥界にはアラリ、イルカラ、ククー、キガル、ガンジルなど多くの名があり、クルもその一つとして用いられた。
問題は、この語が神話のなかで擬人化され、神々に敵対する存在として語られる場合があることである。シュメール学者サミュエル・ノア・クレイマーは、そうした箇所を根拠にクルを竜の姿をした怪物とみなした。この読みは20世紀半ばの概説を通じて広まったが、今日では支持されていない。ジェレミー・ブラックとアンソニー・グリーンの図像事典、およびフランス・ヴィッゲルマンの研究は、当該箇所を怪物ではなく山あるいは冥界そのものと解しており、クルという独立した怪物の存在を認めない。当サイトは擬人化の伝承を記録として扱いつつ、竜としての実体を前提としない立場をとる。
登場する物語
クレイマーが根拠としたのは、「ギルガメシュ、エンキドゥ、冥界」の序歌である。天と地が分かたれた原初の時、アンが天を、エンリルが地を取り、女神エレシュキガルがクルへ贈り物として渡され、エンキがクルへ向けて船出したという場面が語られる。船は石に打たれ、亀に噛まれる。クレイマーはこれを、エンキが冥界の怪物クルと戦う物語の断片と読んだ。しかし同じ箇所は、エンキが冥界そのものへ航行する記述としても読める。
ルガル・エでは、ニヌルタがアサグの率いる石の軍勢を討ち、山(クル)を積み上げて水路を整える。ここでのクルは明らかに山地であり、平野の住民が山地に対して抱いた警戒がその背後にある。アサグをクルと交わって石の子を生んだ存在とする詩の記述も、この文脈で理解される。
冥界としてのクルは、帰らざる国と呼ばれる場所である。地の下に広がる暗く乾いた洞のような領域で、死者は塵を食み濁り水を飲む。生前の行いによる裁きも報いもなく、待遇を分けるのはむしろ子孫の数であった。「あの遠き日々に」と呼ばれるシュメールの詩では、冥界から戻ったエンキドゥが、子の数に応じて死者がどう遇されるかをギルガメシュに語って聞かせる。子を七人もつ者は下位の神々に交じって玉座に座り、跡継ぎのない者は焼き固めた煉瓦のようなパンを食むという。
図像と象徴
クルを描いた図像は知られていない。冥界としてのクルは場所であって存在ではなく、怪物としての姿もクレイマーの解釈に由来するものであるため、同定の対象となる作例そのものが存在しない。楔形文字 𒆳 の字形が山を表すこと、そしてその字が国名の前に置かれて「〜の国」を示す限定符として働いたことが、この語の広がりを最もよく示す資料である。
関係する神格
冥界を統べるのはエレシュキガルであり、その宮はガンジルと呼ばれた。夫はアヌの運河監督官グガランナ、のちの物語ではネルガルとされる。七つの門にはネティという門番が立ち、ナムタルがエレシュキガルのスックルを務める。死者を引きずり降ろすガルラの群れ、乳児を襲うラマシュトゥ、風の霊パズズもこの領域に属するとされた。牧夫の神タンムーズは一年の半分をここで過ごし、その間は姉ゲシュティンアンナが代わって死者の名を記録する。
文化的足跡
エレシュキガル(Eresh-ki-gal)の名が「偉大なる大地の女主人」を意味し、キガルがクルとほぼ同義であることは、この語群の広がりを示す。冥界を「山」の語で呼ぶ発想は、ジウスドラが住まわされた「KUR ディルムン」の解釈をめぐる議論にも影を落としている。クレイマーの竜としての読みは、今日でもゲームや一般向けの読み物のなかで生きているが、それが学術的に退けられた解釈であることは記録しておくべきである。