ヘルクレース
ヘルクレス · ヘラクレス(ローマ) · Hercle(エトルリア)
ローマで崇拝されたヘーラクレース。エトルリア経由で受け入れられ、フォルム・ボアリウムの大祭壇で商いと利得の守り神として祀られた。ギリシアの英雄譚とは別に、土地固有の来歴を持つ。
解説
概要
ヘルクレース(Herculēs)は、ギリシアの英雄ヘーラクレースがローマで受け入れられた姿である。ただし名はギリシア語から直接ではなく、エトルリア語の Hercle を経て入った。イタリア半島では早くから広く祀られ、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、この神が敬われていない土地はイタリアにほとんど見当たらないと記している。功業譚はギリシアから受け継いだが、祭祀と土地の物語はローマ固有のものであり、両者を一つの神として語ることはできない。
神話・物語
ローマ独自の中心はカークス退治である。ゲーリュオーンの牛を連れて西から帰る途中、ヘルクレースはティベリス河畔で休む。アウェンティヌスの丘の洞窟に棲むカークスが、牛の尾をつかんで後ろ向きに引き入れ、足跡を偽って盗み出したが、離された群れと鳴き交わす声から露見し、洞窟を破られて討たれた。土地の王エウアンドロスがこれを祝って最大祭壇を築いたとされる。ウェルギリウス『アエネーイス』第8巻、リウィウス『ローマ建国以来の歴史』第1巻、オウィディウス『祭暦』第1巻が、それぞれの筆致でこの挿話を語る。
祭壇の祭祀には固有の作法があった。犠牲は頭を覆わないギリシア式で捧げられ、女性の参加は許されない。マクロビウスとプロペルティウスは、渇いたヘルクレースが女神の祭に携わる女から水を拒まれ、以後おのれの祭から女を締め出したという由来譚を伝える。祭祀は当初ポティティウス氏族とピナリウス氏族が世襲したが、前312年に監察官アッピウス・クラウディウス・カエクスが公有奴隷へ移した。リウィウスは、その報いとしてポティティウス一門が一年のうちに絶え、アッピウスが失明したと記す。祭祀の変更を神罰譚で説明する、ローマ的な語りの一例である。
図像と象徴
標識は獅子の毛皮と棍棒で、ギリシアと変わらない。だがイタリアの作例には独自の型がある。サムニウムやアペンニヌス各地の聖所からは膨大な青銅小像が出土しており、棍棒を振りかぶって踏み込む「攻撃するヘルクレース」の姿を取り、獅子皮を幾何学的な染みのように略記する土着の様式を示す。コルフィニウム近郊の前3世紀の聖所だけで百体を超える。
カピトリーニ美術館の金メッキ青銅立像は、フォルム・ボアリウムの祭祀域から出た前2世紀の作である。髭のない若々しい身体にリュシッポス風の造形を借りながら、全面に金を貼るという扱いはギリシアの神像にはないもので、奉献の質そのものがローマ的である。
帝政期には皇帝の自己表象にも用いられた。コンモドゥスは獅子皮をかぶった自身の胸像を作らせ、テトラルキア期にはディオクレティアヌスがユーピテル系(イオウィウス)を、マクシミアヌスがヘルクレース系(ヘルクリウス)を名乗って、統治の二つの側面を神名で分担している。
系譜と関係
父をユーピテル、母を人間の女アルクメーナとする点はギリシアの伝承を引き継ぐ。ユーノーの迫害も同様だが、ラテン語作家は女神が乳を与えた場面を語り、噛まれて押しのけたときにこぼれた乳が天の川になったとする形を伝える。エトルリアの銅鏡には、女神ウニがヘルクレを乳飲み子として抱く場面が刻まれており、乳を与えることで神の一員に加えるという観念がイタリアに根づいていたことを示す。
ガデス(現カディス)のヘルクレース・ガディターヌス神殿は、フェニキアのメルカルト崇拝を受け継いだもので、ハンニバルもイタリア進軍の前にここへ詣でた。ヘーラクレースの柱の名はこの一帯に由来する。ガリアでは、ルキアノスが弁舌の神として老いた姿で描かれるヘルクレース(ケルトのオグミオス)を報告している。イタリアの聖所と移牧路の関係については、家畜の守護神と見る説(K・ガリンスキー)と、立地からそれを疑う説(T・ステク、G・ブラッドリー)が対立しており、決着していない。
文化的足跡
ローマ人にとってヘルクレースは、何よりも労苦と利得の神であった。将軍や商人は戦利品や利益の十分の一(デクマ)を奉じ、祭壇の前で饗宴を催した。「メヘルクレー(ヘルクレースにかけて)」は男の日常的な誓言であり、花嫁の帯は解きにくい「ヘルクレースの結び目」で締められた。フルウィウス・ノビリオルはムーサたちを従える「ヘルクレース・ムーサールム」の神殿を建て、武の英雄に学芸の守護者という一面を加えている。人としての労苦を経て神に列するという主題(アポテオーシス)は、皇帝の神格化の先例として、また後世の君主像や寓意画の型として長く用いられた。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。