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ネプトゥーヌス
PLATE — NEPTUNUS
ROMA · ローマ神話
NEPTUNUS

ネプトゥーヌス

ネプチューン · ネプトゥヌス · ポセイドーン(ギリシア)

Riad Salih CC BY 4.0

ローマ神話の水の神。ポセイドーンと同一視されて海神となったが、その祭は真夏の渇水期に置かれる。もとは泉と川、すなわち涸れる水を司る神であった。

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解説

概要

ネプトゥーヌス(Neptunus)は、水を司るローマの神である。ギリシアのポセイドーンと同一視され(インテルプレタティオ・ロマーナ)、ユーピテルとプルートーの兄弟として天・地・冥界を分かつ三柱の一つに数えられた。ディー・コンセンテースの一柱であり、妻はサラーキア

海神として知られる。だがローマ在来のネプトゥーヌスがまず握っていたのは、淡水である。セルウィウスはこの神を川と泉と水の神と明言している。祭日ネプトゥーナーリアが7月23日——一年で最も水が乏しくなる真夏の盛り——に置かれていることが、本来の職分を示す。海の神の祭を渇水期に置く理由はない。涸れる水の神の祭なら、置く場所はそこしかない。

印欧語の淡水神との連続を想定する説がある。川と井戸の主であるアイルランドのネフタンとの対応が挙げられるが、語源そのものは確立していない。海との結びつきは、ギリシアの神格を受け入れた結果として後から強まったと見るのが自然である。前1世紀までにはこの神が海戦の勝利をも司るようになり、それまでその役にあったポルトゥーヌスを退けた。セクストゥス・ポンペイユスは自らを「ネプトゥーヌスの子」と称している。

神話・物語

固有の神話はほとんど残っていない。三兄弟の籤引きも、アテーナイの領有争いも、オデュッセウス追跡も、すべてポセイドーンからの移入である。ローマの側にあるのは、暦と祭祀の記録のほうである。

ネプトゥーナーリアは、ティベリス川とサラリア街道のあいだの林で行われた。参加者は木の枝で小屋を掛け、その下で泉の水と葡萄酒を飲んで暑さをしのぐ。男女が普段の作法を離れて交わることを許された祝祭でもあった。犠牲には牡牛が捧げられる。牡牛を捧げてよい神は、ユーピテル、アポロー、マールス、ネプトゥーヌスの四柱に限られていた。この四柱に入ること自体が、ローマにおけるこの神の格を示している。誤った犠牲を捧げてしまえば、贖いの儀礼を追加しなければならなかった。

ギリシア風の祭祀に組み込まれるのは前399年、疫病に際する最初のレクティステルニウムである。ディアーナ、ヘルクレースとともに寝椅子へ迎えられ、以後この神はポセイドーンの姿をとることになる。

パレードラエ——神に付き従い、その力の相を表す存在——として、サラーキアとウェニーリアの名が伝わる。ウァッロはサラーキアを salum(海)に、ウェニーリアを ventus(風)に結びつけた。フェストゥスはサラーキアに波の動きを帰し、デュメジルは、サラーキアを噴き上げ溢れる水、ウェニーリアを静かに流れる水と解する。アウグスティーヌスは『神の国』の一章を割いて、深海を人格化したはずのサラーキアが引く波でもあるという説明の矛盾をあげつらった。波は表面の現象ではないか、というのである。ローマ神学の内部でも、この二柱の位置は定まっていなかった。

図像と象徴

持物は三叉戟。乗物は海馬(ヒッポカンポス)の牽く車。図像そのものはヘレニズムの型を借りており、ポセイドーンと視覚的に区別できない。碑文か出土地がなければ、どちらの神かを決めるのは難しい。

この神の図像史で際立つのは、主題より媒体である。ネプトゥーヌスの姿が最も豊かに残るのは彫像ではなく、ローマ期北アフリカの床モザイクである。スース(ハドルメートゥム)の3世紀半ばのモザイクは、二頭の海馬に牽かせた車の上に立つ神を中央に据え、まわりを海獣と魚とネーレーイスで埋める。円形の構図が床という媒体に合っている。チュニジアの諸都市に同種の作例が並ぶのは偶然ではない。属州アフリカはローマへ穀物を送る海運の要であり、床の上の海神は、その土地の生業をそのまま映している。

もう一つ、ネプトゥーヌス・エクエステル(騎馬のネプトゥーヌス)の相があり、競馬の守護とされた。ただし馬との結びつきは、ポセイドーンでは古層に属するのに対し、ネプトゥーヌスでは在来のものと言いきれない。地下の穀倉と競馬に関わる神コンススとの職能の重なりが指摘されている。

系譜と関係

ギリシア由来の系譜では、サートゥルヌスとオプスの子、ユーピテルとプルートーの兄弟。妻はサラーキア。

在来の関係は別である。ファリスキ人は自らを「ネプトゥーヌスの裔」(Neptunia proles)と称した。マールス、ヤーヌス、サートゥルヌス、ユーピテルと並んで、ラテン系の一部族が祖神と仰いだ数少ない神格である。

ローマ市内の神殿は一つしかない。フラミニウス競技場の近く、カンプス・マルティウスの南に立ち、少なくとも前206年に遡る。前40年頃にグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスが修復し、それを記念する貨幣が打たれた。堂内にはスコパス・ミノルの手になる海の群像が据えられていたと伝えられる。のちにアグリッパがアクティウムの海戦を記念してネプトゥーヌス・バシリカを建て、古い神殿はその陰に隠れた。ローマ最大の海軍国家に、海神の神殿が一つきりだったという事実は、この神の性格を考える手がかりになる。

文化的足跡

1846年に発見された太陽系第八惑星に海王星(Neptune)の名が与えられ、以後この神の名は海よりも宇宙で通りがよくなった。その最大の衛星がトリートーンと呼ばれるのは、ギリシア側の系譜を持ち込んだ命名である。

近世以降のヨーロッパでは、噴水の中心にネプトゥーヌスを置くのが定型になった。ボローニャのジャンボローニャ作の噴水、フィレンツェのシニョリーア広場の噴水がその代表である。ローマのトレヴィの泉の中央像はしばしばネプトゥーヌスと呼ばれるが、本来はオケアヌスとして構想されたものであり、これも取り違えの一例にあたる。とはいえ、水の湧くところにこの神を立てるという発想そのものは、海神より泉と川の神という古い相に近い。ローマ人がこの神をどこに祀ったかを思えば、噴水は正しい場所である。

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領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
ポセイドーン ギリシア神話 同一視
interpretatio romana。ネプトゥーヌスは本来川と泉の神(セルウィウス)で、祭ネプトゥーナーリアが渇水期の7月23日に置かれることがこれを示す。海神としての性格はポセイドーン受容による。名も同源ではなく、両者は別エンティティとして扱う

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承点線=異伝・別系統

収載データなし
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資料

Wikidata
Q3954 — 骨格データの出典
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Neptune (god) — 図像カテゴリ