テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
毘沙門天
PLATE — वैश्रवण
DHARMA · 仏教の尊格
वैश्रवण

毘沙門天

ヴァイシュラヴァナ · 多聞天 · ヴェッサヴァナ

「金毘沙門天」(13世紀、西夏カラホト出土、紙本、エルミタージュ美術館蔵 XX-2385) PUBLIC DOMAIN

四天王の一尊として須弥山の北方を守る武神。インドの財宝神クベーラを前身とし、日本では七福神の一柱にも数えられる。

01

解説

概要

毘沙門天(びしゃもんてん、梵 Vaiśravaṇa)は、天部に属する仏教の尊格で、四天王の一尊として北方を守る武神である。四天王の一員として安置する場合は多聞天と呼び、独尊として祀る場合は毘沙門天と呼び分けるのが日本の通例である。

インドの財宝神を前身としながら、中央アジアを経る過程で武神へ転じ、日本では七福神の一柱にまで至った。一つの尊格が土地ごとにこれほど性格を変えた例は多くない。

由来と歴史

インドにおける前身は、ヴェーダ以来の古い神格ヴァイシュラヴァナである。ヒンドゥー教ではクベーラと呼ばれ、財宝を司る神であって、戦闘的な性格はほとんど持たなかった。初期仏教の段階で既に仏塔の守護者として四天王に配されていたことは、バールフットの浮彫からも知られるが、インドでは中世に至るまでクベーラの名が用いられた。美術史研究者の田辺勝美は、夜叉の一種にすぎなかったクベーラがヴァイシュラヴァナへ、そして毘沙門天へと変化するには、インドの中心から離れたガンダーラでなければならなかったと説く。北方の守護者としての毘沙門天と、その武装した像容は、中央アジアで生まれたものである。

上座部仏教のパーリ仏典では、ヴェッサヴァナの名で北倶盧洲を含む北方を守り、夜叉を従える。ここで注目すべきは、この存在が永続する神ではなく、寿命の尽きれば後任が務める「役職」として理解されている点である。釈迦の誕生に際して帰依し、林中で修行する比丘を危険な夜叉から守るための護呪『アーターナーティヤの護経』を伝えたとされ、これはパリッタ(護呪)の初期の形とされる。

中央アジアを経て中国に伝わる過程で、武神としての性格が定まった。「毘沙門」は音写だが「よく聞く所の者」とも解せるため、多聞天とも訳された。帝釈天の配下として須弥山の北方に住み、夜叉や羅刹を従えるとされ、密教では十二天の一尊として北方を守る。

日本での庶民の信仰は、平安時代の鞍馬寺を起点に広まった。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天と並ぶ人気を得、室町末期には七福神の一尊とされる。江戸期以降はとくに勝負事に利益ありとされた。ムカデを使いとするのは日本独自の信仰である。信貴山朝護孫子寺と鞍馬寺が、日本における毘沙門信仰の中心地である。

図像と象徴

三昧耶形は宝棒と宝塔だが、姿にはっきりした規定はなく、表現の幅が広い。日本では一般に、革製の甲冑をつけた唐代の武将風の姿で表され、邪鬼と呼ばれる鬼形の者を踏む。両界曼荼羅では右手に宝棒、左手に宝塔を捧げるが、東大寺戒壇堂の四天王像では左右が逆になり、京都・三室戸寺像のように宝塔を持たず三叉戟を執る例もある。

地域による違いも大きい。中国の民間信仰では緑色の顔で右手に傘、左手に銀の鼠を持つ姿に描かれる。チベット仏教では金銀宝石を吐くマングースを抱え、インドにおける財宝神としての性格をそのまま残している。本項に掲げるのは、西夏の都カラホトから出土した十三世紀の紙本「金毘沙門天」(エルミタージュ美術館蔵)である。

特異な像容として兜跋毘沙門天がある。鎖を編んだ金鎖甲をまとい、腕に海老籠手を着け、筒状の宝冠をかぶる異国風の姿で、邪鬼ではなく地天女と二鬼(尼藍婆・毘藍婆)の上に立つ。東寺の像はかつて羅城門の楼上に安置されていたと伝える。「兜跋」は西域の兜跋国、すなわち現在のトゥルファンとする説が一般的である。

中国ではさらに、唐初の武将李靖と習合して托塔李天王という尊格が生まれた。現在では多聞天とは別の神とされ、むしろ四天王を率いる総大将と位置づけられる。『西遊記』や『封神演義』に現れるのがこれである。

系譜と関係

四天王は、持国天(東)・増長天(南)・広目天(西)・多聞天(北)からなり、いずれも帝釈天の配下とされる。

日本では、毘沙門天を中尊とし、妃または妹とされる吉祥天と、子とされる善膩師童子を脇侍とする三尊形式が朝護孫子寺・鞍馬寺などに伝わる。吉祥天はヒンドゥーのラクシュミーが仏教に取り入れられたもので、夫婦としての結びつきもインド以来の系譜を引く。このほか、毘沙門天と不動明王を一対で安置する例(高野山金剛峯寺)、千手観音を中尊として不動明王と毘沙門天を左右に配する例(天台系寺院に多い)がある。

文化的足跡

戦国期には武神としての側面が前面に出た。上杉謙信が旗印に「毘」の一字を掲げたことはよく知られる。国宝に指定された多聞天像には、東大寺戒壇堂・浄瑠璃寺・興福寺の四天王像中の作例がある。『信貴山縁起絵巻』は、毘沙門天の霊験譚を伝える絵巻として名高い。今日でも七福神めぐりの一尊として、財と武運の双方を担い続けている。

02

領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
クベーラ ヒンドゥー神話 同一視
仏教への受容による同一視。ヴァイシュラヴァナ(毘沙門天・多聞天)は四天王の北方を担い、クベーラがローカパーラとして北方を守る性格をそのまま継承する。
03

資料

Wikidata
Q866315 — 骨格データの出典
Commons
Vaiśravaṇa — 図像カテゴリ