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不動明王
PLATE — 不動明王
DHARMA · 仏教の尊格
不動明王

不動明王

アチャラナータ · 大日大聖不動明王 · 無動明王

絹本著色不動明王二童子像(青不動、11世紀、青蓮院蔵、国宝) PUBLIC DOMAIN

大日如来の教令輪身とされる明王。剣と羂索を執り火焔を背負う忿怒の相で、救いがたい者をも力ずくで導くとされる。

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解説

概要

不動明王(ふどうみょうおう、梵 Acalanātha)は、密教に特有の尊格である明王の一尊であり、その中心に位置づけられる。大日如来教令輪身、すなわち忿怒の姿をとって現れた大日如来そのものとされる。五大明王の中央に配され、真言宗・天台宗のみならず禅宗・日蓮宗、そして修験道にまで広く信仰された。「お不動さん」の名で親しまれ、日本における造像例は他の明王を圧している。

名と起源

梵名のアチャラは「動かない」、ナータは「守護者」を意味し、あわせて「揺るぎなき守護者」となる。最古の記述は六世紀から七世紀前半のインド初期密教文献『底哩三昧耶王経』に見え、そこでは片目を閉じる特徴にちなむ不動独眼・不動隻眼といった異名も用いられている。

漢訳としては、八世紀前半に菩提流志が訳した『不空羂索神変真言経』巻九の「不動使者」が最初とされる。『大日経』は大日如来の使者として「不動如来使」の名を挙げ、『大日経疏』に至って「不動明王」の語が現れる。

密教は三輪身の説を立て、一つの仏が自性輪身(如来)・正法輪身(菩薩)・教令輪身(明王)の三つの姿で現れるとする。真理そのものを体現する如来、それを平易に説く菩薩に対し、教令輪身は、教えに従わない者を恐ろしい姿で威し、力ずくで引き戻す。不動明王が忿怒相をとるのは、最も救いがたい衆生をも救うためだと説明される。

起源をヒンドゥー教のシヴァに求める説は古くからある。アチャラナータはシヴァの異名でもあり、シヴァが多くの名で仏教に取り込まれたことは事実である。ただしこの説は明治期の一部の学者が唱えたもので、造形上の共通点は後世の変化によるものであり、本来の共通点は「山岳の主」という一点にとどまる、むしろヴィシュヌやヴァルナのほうが相似点が多い、という批判もある。定説はない。

歴史

空海が唐から将来した密教には、五仏の教令輪身としての五大明王があり、その中心が不動明王であった。平安時代を通じて鎮護国家の修法の本尊として用いられている。天台宗でも、円仁が唐で不動明王に助けられたと伝えられ、円珍が比叡山での修行中に黄不動を感得したことから、信仰が篤くなった。

十世紀半ば、藤原純友の乱に際して天台僧の延昌が不動法を修し、平将門の乱では天台阿闍梨の尊意が延暦寺で不動安鎮法を修した。同じ乱に真言僧の寛朝が神護寺護摩堂の不動明王を東国へ下向させ、調伏の祈祷を行って満願の日に乱が平定されたという。この不動明王が現在の成田山新勝寺の本尊であると伝えられる。

摂関期には、現世の利益を求める貴族の私的な息災法・増益法に用いられ、怨霊や物の怪の調伏、治病、安産祈願にまで及んだ。修験道では本尊とされ、修験者は不動明王との一体化を目指して修行した。元寇の際には高野山南院の波切不動が筑前へ移され、外敵退散の祈祷が行われている。中世には浄土信仰とも結びつき、地蔵・観音と並ぶ庶民の仏へと位置を変えていった。

図像と象徴

明王像は多面多臂の異形をとるものが多いが、不動明王は一面二臂を基本とする。右手に降魔の三鈷剣、左手に羂索を執る。剣は煩悩と因縁を断つものであり、羂索は悪を縛り上げ、また衆生を縛ってでも煩悩から引き上げるための投げ縄である。剣に竜が巻きつく形は倶利伽羅剣と呼ばれる。身色は青黒く、頂は七髷、右の牙を上に左の牙を外へ出すのが一般とされ、背後に火焔光背を負う。

型は一様ではない。東寺講堂像は空海の創意によるとして「弘法大師様」と呼ばれ、両目を見開き、上唇で下唇を噛み、両牙を下に出す。後世に多く作られた天地眼(片目を半眼にする)・牙上下出の像とは図像的に異なる。園城寺の黄不動は上半身裸形で筋骨隆々とし、虚空を踏んで立つ。高野山南院の波切不動は頭部を右下に向け、左目をすがめる。

本項に掲げるのは、青蓮院に伝わる絹本著色不動明王二童子像、通称「青不動」(十一世紀、国宝)である。日本仏教絵画の頂点に数えられる作で、火焔を背に二童子を従えた不動三尊の姿をよく伝えている。

インドや中国には造像の遺例が乏しく、不動明王が尊格として大きく展開したのは日本においてであった。

眷属と関係

不動明王は八大童子と呼ばれる眷属を従える。実際の造形では、そのうち矜羯羅童子と制吒迦童子を両脇に置く不動三尊の形式が多い。矜羯羅童子は童顔で合掌して不動を見上げ、制吒迦童子は金剛杵と金剛棒を手にいたずら小僧のように表される。高野山金剛峯寺不動堂に伝わった八大童子像は運慶の作とされ、国宝に指定されている。このほか三十六童子、四十八使者も立てられる。

五大明王としては、降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王の中央に配される。日蓮宗の十界曼荼羅にも種子で書かれ、そこでの不動明王は生死即涅槃を、愛染明王は煩悩即菩提を表すとされる。

文化的足跡

不動明王を本尊とする寺は各地にあり、成田山新勝寺、高幡不動、目黒不動などが知られる。いずれも護摩の修法を中心に据え、火焔を背負う尊格と火の儀礼とが分かちがたく結びついている。毎月二十八日の縁日は「お不動さんの日」として今も営まれる。忿怒の相をとりながら親しみをもって呼ばれる点に、この尊格の受容のされ方がよく表れている。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q337624 — 骨格データの出典
Commons
Acala — 図像カテゴリ