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四天王
PLATE — CATURMAHĀRĀJA
DHARMA · 仏教の尊格
CATURMAHĀRĀJA

四天王

四大王 · 四大天王 · チャトゥル・マハーラージャ

ビルマ美術における四天王(リチャード・カーナック・テンプル『三十七のナット』1906年) PUBLIC DOMAIN

須弥山の中腹で四方から仏法を守る仏教の護法神。東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天(毘沙門天)からなり、帝釈天に仕えて八部鬼衆を従える。日本では甲冑の武将の姿で邪鬼を踏み、聖徳太子の四天王寺の縁起で知られる。

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解説

概要

四天王(梵 Caturmahārāja チャトゥル・マハーラージャ)は、仏教の護法神で、須弥山の中腹にある四大王衆天(四天王天)の主である。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天(毘沙門天)の四神からなり、それぞれ四方から仏法を守る。

信仰

四天王は、須弥山の頂の忉利天に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を従える。

持国天は東勝身洲を守護し、乾闥婆と毘舎遮を眷属とする。増長天は南贍部洲を守護し、鳩槃荼と薜茘多を眷属とする。広目天は西牛貨洲を守護し、龍神と富単那を眷属とする。多聞天は北倶盧洲を守護し、夜叉と羅刹を眷属とする。

四大王衆天に住む者の寿命は五百歳で、その一昼夜は人間界の五十年にあたると説かれる。

『日本書紀』によれば、仏教伝来ののちの崇仏派と排仏派の争いにおいて、厩戸皇子(聖徳太子)が四天王像を作って戦勝を祈願し、勝利ののち四天王寺を建立したと伝えられる。以後、護国の神として盛んに祀られた。

図像と象徴

日本では一般に、革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。足下に邪鬼を踏みつける造形が定型である。奈良・東大寺戒壇院の塑像(8世紀)、興福寺の木像(鎌倉時代)が代表作として知られる。

本サイトの主画像は、ビルマのナット信仰を扱ったリチャード・カーナック・テンプル『三十七のナット』(1906年)の挿絵である。仏堂内では、本尊を囲んで四隅に配置される。向かって右手前に持国天、左手前に増長天、左後方に広目天、右後方に多聞天という配置が原則である。

系譜と関係

帝釈天に仕える。四方を守る神々という観念は、インドの護世神(ローカパーラ)に由来し、北方の毘沙門天はインドの富の神クベーラにあたる。

多聞天は単独で毘沙門天としても信仰され、七福神の一尊でもある。四神のうち独立の信仰を持つのは多聞天のみで、他の三天は四天王の組としてのみ造像されるのが通例である。

東南アジア仏教の海の守護女神マニメーカラーは、四天王の配下とされる。

文化的足跡

「四天王」という語は、日本において転じて、ある分野の四人の傑出した人物を指す慣用句になった。頼光四天王、徳川四天王など、武将の集団の呼称として用いられ、今日ではあらゆる分野で用いられる。

なお仏教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1068367 — 骨格データの出典