四天王
四大王 · 四大天王 · チャトゥル・マハーラージャ
仏教の護法神で、須弥山中腹の四方から仏法を守護する。東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天(毘沙門天)。帝釈天に仕え、八部鬼衆を支配する。日本では甲冑の武将姿で邪鬼を踏む。
解説
概要
四天王(梵 Caturmahārāja チャトゥル・マハーラージャ)は、仏教における神々であり、六欲天の第一天である四大王衆天の主である。四大王ともいう。
東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天——毘沙門天——の四神である。それぞれ須弥山中腹にある四天王天の四方にて仏法僧を守護する。
信仰
須弥山頂上の忉利天に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹でともに仏法を守護する。
持国天は東勝身洲を守護し、乾闥婆と毘舎遮を眷属とする。増長天は南贍部洲を守護し、鳩槃荼と薜茘多を眷属とする。広目天は西牛貨洲を守護し、龍神と富単那を眷属とする。多聞天は北倶盧洲を守護し、夜叉と羅刹を眷属とする。
この天に住む者の身長は半由旬、寿命は五百歳で、その一昼夜は人間界の五十年に相当する。
日本での信仰。 『日本書紀』によれば、仏教伝来ののちの崇仏派と排仏派の争いにおいて、厩戸皇子(聖徳太子)が四天王像を作って戦勝を祈願し、勝利ののち四天王寺を建立したと伝えられる。以後、護国の神として盛んに祀られた。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、ビルマ美術における四天王の図である(リチャード・カーナック・テンプル『三十七のナット』1906年)。
日本では一般に、革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。足下に邪鬼を踏みつける造形が定型である。奈良・東大寺戒壇院の塑像(8世紀)、興福寺の木像(鎌倉時代)が代表作として知られる。
仏堂内では、本尊を囲んで四隅に配置される。向かって右手前に持国天、左手前に増長天、左後方に広目天、右後方に多聞天という配置が原則である。
関わる神格・伝承
帝釈天の外臣。四神はいずれもインド神話のインドラの配下で、のちに仏教に守護神として取り入れられた。
多聞天は単独で毘沙門天としても信仰され、七福神の一尊でもある。四神のうち独立の信仰を持つのは多聞天のみで、他の三天は四天王の組としてのみ造像されるのが通例である。
文化的足跡
「四天王」という語は、日本において転じて、ある分野の四人の傑出した人物を指す慣用句になった。頼光四天王、徳川四天王など、武将の集団の呼称として用いられ、今日ではあらゆる分野で用いられる。
なお仏教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。