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帝釈天
PLATE — 帝釈天
DHARMA · 仏教の尊格
帝釈天

帝釈天

シャクラ · 釈提桓因 · 憍尸迦

帝釈天像(明代、北京・智化寺)/撮影: Nyarlathotep1001, CC BY-SA 4.0 CC BY-SA 4.0

須弥山の頂に住み四天王を従える天部の主。ヒンドゥーのインドラが仏教に取り入れられ、梵天と並ぶ二大護法善神となった。

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解説

概要

帝釈天(たいしゃくてん、梵 Śakra)は、天部に属する仏教の尊格で、梵天と並ぶ二大護法善神とされる。須弥山の頂上にある忉利天(三十三天)の善見城に住み、四天王を配下とする。密教では十二天の一尊。ヒンドゥー教のインドラが仏教に取り入れられたものである。

ただし、その地位は仏教の枠組みのなかでは高くない。忉利天は小千世界の最高の天ですらなく、一仏が大千世界を教化するのに対し、帝釈天が主宰するのは一つの小千世界の一天にすぎない。在来の神々を否定せず、しかし仏の下に位置づけるという大乗仏教の作法が、この一点によく表れている。

名と来歴

梵名はシャクロー・デーヴァーナーン・インドラハ(Śakro devānām indraḥ)で、「神々のうちの帝王シャクラ」を意味する。このうち śakra を「釈」と音写し、deva を「天」と意訳して後ろに付し、indra を「帝」と意訳して冠したのが「帝釈天」である。訳語の成り立ち自体が、音写と意訳の混成という漢訳仏典の実際をよく示している。

人間であった頃の名は憍尸迦(きょうしか、梵 Kauśika)と説かれる。『涅槃経』や『大智度論』によれば、かつてマガダ国に摩伽(まか)という名の、福徳と智慧を備えたバラモンがいた。彼には志を同じくする三十二人の友がおり、ともに福徳を修めて命を終えたのち、須弥山頂に生まれた。摩伽は天主となり、三十二人は輔相大臣となった。合わせて三十三人であることが、三十三天の名の由来とされる。妃の舎脂(シャチー)を憍尸迦夫人と呼ぶのも、この本名による。

神話・物語

経典に伝わる帝釈天の逸話には、一つの型がある。この神はしばしば「試す者」として現れるのである。

阿修羅との戦いは、もっともよく知られる。阿修羅の一族はもともと忉利天に住み、阿修羅は娘の舎脂をいずれ帝釈天に嫁がせようと考えていた。ところが帝釈天は舎脂を力ずくで奪った。怒った阿修羅が戦いを挑み、以後の永い争いが始まったと伝えられる。ある時、阿修羅の軍が優勢となって帝釈天が退いたところ、蟻の行列に行き当たった。踏み殺すまいという慈悲心から帝釈天が軍を止めると、阿修羅はこれを計略と疑って撤退したという。この一件から「修羅場」の語が生まれた。

施身聞偈の話では、ヒマラヤで修行する雪山童子の求道心を試すため、帝釈天が恐ろしい羅刹に身を変じて現れる。羅刹が「諸行無常、是生滅法」と偈の前半を唱えると、童子は後半を聞くために自らの身を捧げると申し出る。羅刹が後半を唱えたのち、童子が身を投じると、羅刹は帝釈天の姿に戻って童子を受け止めた。雪山童子は釈迦の前生とされる。この場面は法隆寺の玉虫厨子に描かれている。

捨身月兎の話でも、帝釈天は僧の姿で兎の布施の心を試す。何も施すものを持たない兎が自らの身を火に投じたとき、炎は毛一筋も焼かなかった。帝釈天はその行いが世に知れ渡るよう、月の面に兎の姿を描いたという。月の兎の由来譚として、『今昔物語集』にも収められている。シビ王が鷹に追われた鳩をかばい、自らの肉を秤にかけた話でも、鷹に化けたのは帝釈天であった。

図像と象徴

日本では、頭に宝髻を結い、大衣と天衣をまとった二臂の立像として表されることが多く、白象に乗る姿も見られる。手には金剛杵や蓮茎を持ち、衣の下に甲冑を着ける例もある。密教では一面二臂で宝冠を戴き、甲冑を着けて独鈷杵を執る。梵天と一対で安置され、両者を合わせて「梵釈」と呼ぶ。

本項に掲げるのは、北京・智化寺に伝わる明代の帝釈天像である。中国では、帝釈天が最高天の主ではないことから女性の姿で造形される場合があり、男神である梵天と組み合わせて表された。日本の武装した像とは印象が大きく異なる。

日本最古の遺存例は、飛鳥時代の法隆寺玉虫厨子に描かれた施身聞偈図である。東大寺法華堂の乾漆造の梵天・帝釈天像、唐招提寺金堂の木像(いずれも奈良時代)、東寺講堂の白象に乗る木像(平安前期)が知られる。

系譜と関係

妃は阿修羅の娘である舎脂。配下に四天王を置き、毘沙門天をはじめとする四尊が須弥山の四方を守る。梵天とは常に対をなす。

前身であるインドラは、ヴェーダにおいて雷を振るい、アスラと戦う神々の王であった。仏教に取り入れられたのちも阿修羅との争いは受け継がれたが、成道以前から釈迦を助け、その説法を聴聞した護法善神として性格を変えている。同じ神格が体系の移動によってどう再配置されるかを見るうえで、恰好の例である。

文化的足跡

帝釈天は天部の最高位に属しながら、独尊として祀られることはほとんどない。東京都葛飾区の題経寺、いわゆる柴又帝釈天が本尊とするのは、きわめて珍しい例である。十八世紀後半、本堂の修復中に紛失していた帝釈天の板本尊が発見され、その日が庚申であったことから庚申の日を縁日とするようになったと伝える。映画『男はつらいよ』の舞台として、この寺の名は全国に知られることとなった。

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領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
インドラ ヒンドゥー神話 同一視
ヴェーダの神々の王インドラが仏教に取り込まれたもの。梵名 Śakro devānām indraḥ の śakra を音写、indra を意訳して「帝釈天」となった。阿修羅との戦いも受け継がれたが、仏の下位に立つ護法善神へ位置づけを変えている
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資料

Wikidata
Q1444745 — 骨格データの出典
Commons
Śakra (Buddhism) — 図像カテゴリ