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PLATE — शाक्यमुनि
DHARMA · 仏教の尊格
शाक्यमुनि

釈迦

釈迦如来 · 釈迦牟尼 · ゴータマ・シッダールタ

仏教の開祖。シャーキャ族の王子として生まれ、菩提樹の下で悟りを開き、四十五年にわたって教えを説いたと伝えられている。

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解説

概要

釈迦(Śākyamuni / शाक्यमुनि)は、仏教の開祖である。姓をゴータマ、名をシッダールタといい、シャーキャ(釈迦)族の出身であることから釈迦牟尼(シャーキャムニ、釈迦族の聖者)と呼ばれる。悟りを開いた者を意味するブッダ(仏陀)の称でも呼ばれ、東アジアでは釈迦如来として造像された。本項は仏教の開祖としての位置づけを主に扱うが、ヒンドゥーの伝統においてはヴィシュヌの第九化身に数えられる場合があり、その扱いについても後述する。

神話・物語

伝記は、律蔵や『ブッダチャリタ』などの仏伝文学によって整えられた。カピラヴァストゥを都とするシャーキャ族の王シュッドーダナと妃マーヤーの子として、ルンビニーの園に生まれたとされる。生後まもなく母を失い、叔母マハープラジャーパティーに育てられた。妃ヤショーダラーとの間に子ラーフラをもうけている。

出家の契機として語られるのが四門出遊である。城の四つの門から出た彼は、老人、病人、死者、そして修行者に出会い、生の苦しみと、そこから離れる道の存在を知った。二十九歳(あるいは十九歳)で城を出て、二人の師のもとで禅定を学んだのち、六年にわたる苦行に入る。だが苦行は悟りに至らぬと見て、これを捨てて村娘スジャーターの乳粥を受け、ネーランジャラー河で沐浴した。

ブッダガヤーの菩提樹の下に坐した彼は、魔王マーラの誘惑と脅迫を退け、明けの明星の輝くころに悟りを得たと伝えられる。以後ブッダと呼ばれる。サールナートの鹿野苑で最初の説法を行い、五人の旧友の修行者を弟子とした。これを初転法輪という。

以後四十五年にわたってマガダ、コーサラなどを遊行し、教えを説いた。舎利弗目連、摩訶迦葉、阿難ら多くの弟子を得、比丘・比丘尼・在家の男女からなる教団が形づくられる。クシナガラの沙羅双樹のあいだで八十歳をもって入滅した。最後の言葉は、あらゆるものは移ろうのだから怠らず努めよ、という趣旨で伝えられる。

図像と象徴

初期の仏教美術は彼の姿を人の形で表さず、菩提樹、法輪、足跡、空の座によって示した。一世紀前後のガンダーラとマトゥラーにおいて人体形の仏像が現れ、以後アジア全域へ広がる。三十二相八十種好と呼ばれる身体的特徴が規定され、頭頂の肉髻、眉間の白毫、長い耳朶などが定型となった。降魔の場面では右手を地に触れる触地印を、初転法輪の場面では転法輪印を結ぶ。東アジアでは釈迦如来として、阿弥陀如来大日如来と並ぶ主要な如来の一尊に数えられる。

系譜と関係

父はシュッドーダナ、母はマーヤー、養母はマハープラジャーパティー。妃はヤショーダラー、子はラーフラ。従兄弟にアーナンダとデーヴァダッタがいる。生年没年については、伝統的に前563年から前483年頃とされてきたが、近代の研究では前5世紀から前4世紀にかけて、おおむね前480年から前400年頃に置く説が有力である。確定した年代はなく、諸説が並ぶ。

文化的足跡

ヒンドゥーのプラーナ文献は、6世紀頃から彼をダシャーヴァターラの第九化身に数えるようになった。その説明には二つの系統がある。ひとつは、ヴィシュヌが悪しき者たちをヴェーダから遠ざけて滅ぼすために誤った教えを説いたとする論争的な語りであり、もうひとつは、動物供犠をやめさせ慈悲を教えるために降ったとする肯定的な語りである。ジャヤデーヴァ『ギータ・ゴーヴィンダ』(12世紀頃)は後者を採り、生類への慈しみを説いた者として讃える。第九をブッダではなくバララーマとする伝えもあり、この位置づけが一様でないことを示している。

いずれにせよ、この化身説は仏教の側から出たものではなく、ヒンドゥーの体系が他の宗教をどう位置づけたかを示す資料として読むべきものである。仏教の伝統において彼は化身ではなく、自ら悟りに至った者として理解される。

教えはインドから中央アジア、東南アジア、東アジア、チベットへと広がり、それぞれの地で独自の展開を遂げた。日本では六世紀に伝来し、釈迦如来像は法隆寺金堂釈迦三尊像をはじめ数多くの作例を残している。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q9441 — 骨格データの出典
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Gautama Buddha — 図像カテゴリ