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七福神
PLATE — 七福神
YAMATO · 日本神話
七福神

七福神

七福神 · 七福神信仰

葛飾北斎・歌川国貞ほか合作(19世紀初頭) PUBLIC DOMAIN

福徳をもたらす七柱の神の総称。恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天・布袋・福禄寿・寿老人からなり、日本・インド・中国の神々を室町期の日本が一つに束ねた、国際色ゆたかな福の神である。

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解説

概要

七福神(しちふくじん)は、福徳をもたらすとして日本で信仰される七柱の神の総称である。恵比寿・大黒天・毘沙門天弁才天・布袋・福禄寿・寿老人からなる。その顔ぶれは出自がまちまちで、日本の神が一柱、インド由来が三柱、中国由来が三柱という、際立って国際色ゆたかな取り合わせをなす。個別に信仰されてきた福の神々を、室町期の日本が「七」という聖数のもとに束ねた——習合の気風が生んだ、日本独自の集合的な信仰である。

由来と成り立ち

「七福神」という数の枠組みは、仏典『仁王経』の「七難即滅 七福即生(しちなんそくめつ しちふくそくしょう)」の句に由来するとされる。七つの災いが消えれば七つの福が生じる、というこの言葉にあやかって、七柱が選び取られた。

七柱の出自は次のように分かれる。日本の神は恵比寿ただ一柱で、西宮の神に発し、事代主神あるいは海に流れ着いた蛭子(ひるこ)と結びつけられた、漁業と商いの神である。インド由来が三柱——仏教を通じて伝わった大黒天マハーカーラ。日本で大国主神と習合した)、四天王の北方を守る毘沙門天、そして水と芸能の女神弁才天。中国由来が三柱——道教に発する福禄寿寿老人(ともに南極星の精とされ、しばしば同体とされる)、および後梁の実在の禅僧契此(かいし)にちなむ布袋である。

この寄り合い所帯が一つの群れとして整うのは室町時代で、応永二十七年(一四二〇)には京都で七福神を扮した風流の行列が行われた記録がある。まず恵比寿と大黒を並べて祀る風が広まり、そこに諸神が加わって七柱の形が定まった。顔ぶれには揺れがあり、福禄寿と寿老人を同体とみて吉祥天を加える例もある。現在の七柱に落ち着いたのは、江戸後期のことである。

図像と象徴

七福神は、それぞれの持物によって見分けられる。恵比寿は鯛と釣り竿、大黒天は打出の小槌と大きな袋に米俵、毘沙門天は甲冑と宝塔・鉾、弁才天は琵琶、布袋は膨れた腹と大きな布の袋、福禄寿は長く伸びた頭と杖、寿老人は鹿を連れて巻物を持つ——といった具合である。荒々しい武神であった毘沙門天や大黒天までもが、この群れのなかでは柔和で福々しい姿に描き直されていくのが面白い。本項に掲げる北斎らの合作も、七柱をにぎやかに一堂に集めた一図である。

七福神を象徴するのが宝船(たからぶね)である。七神が財宝を積んだ船に乗り合わせる図は、福の到来そのものを表し、正月にこの絵を枕の下に敷いて吉夢を願う習わしも生まれた。

関係する神々と信仰

七福神は、それぞれが独立した信仰をもつ神々の連合であって、統一された神話をもつわけではない。だからこそ、神道・仏教・道教という異なる淵源の神が、福という一点で分けへだてなく同座しうる。弁才天のように、仏教の尊格でありながら神道の市杵島姫命とも重ねられる神もあり、七福神は日本の習合信仰の縮図ともいえる。個々の神の来歴は互いに独立しており、一つの体系として語るよりも、多様な信仰が福のもとに寄り集まった様として捉えるのがよい。

文化的足跡

江戸時代に大いに広まった七福神は、浮世絵や縁起物の格好の題材となり、正月の七福神めぐりは今日まで各地で続く年中行事となっている。宝船・打出の小槌・鯛といった意匠は、現代の商業や意匠のなかにも生き続けている。漫画やゲームにも福の神として登場するが、その造形は創作であり、信仰の伝える七福神の姿とは切り分けて捉えるのがよい。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q846858 — 骨格データの出典
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Seven Lucky Gods — 図像カテゴリ