プロイトス
プロイトス · プロエトス · Proitos
ギリシア神話のティーリュンス王。双子の兄弟アクリシオスとアルゴスの王位を争い、キュクロープスに城壁を築かせた。娘たちの狂気とベレロポーンの物語でも知られる。
解説
概要
プロイトス(Προῖτος / Proitos)は、アルゴス王アバースの子で、アクリシオスと双子の兄弟である。母の胎内にいるときから争い、成長して王位を奪い合った末、ティーリュンスの王となった。
彼にまつわる三つの話——双子の争い、娘たちの狂気、そしてベレロポーンに持たせた手紙——は、いずれも他人を介して事を運ぶという点で共通している。自ら手を下す場面がほとんどない王である。
神話・物語
双子の争いは決着の仕方が資料で割れる。アポロドーロスによれば、敗れたプロイトスはアルゴスを追われ、リュキア王イオバテースのもとに身を寄せてその娘を娶り、リュキア軍を率いて帰還してティーリュンスを得た。パウサニアースは勝敗がつかず、土地を分けてアクリシオスがアルゴスを、プロイトスがティーリュンス・ミデア・ヘーライオンを領したとする。この戦いのなかで楯が発明されたとも伝えられる。争いの原因を、プロイトスが姪ダナエーを穢したことに求める説もある。
ティーリュンスの城壁は、彼の招きに応じてリュキアから来たキュクロープスたちが築いたという。ストラボーンは彼らを七人と数える。実際のティーリュンスの城壁は巨石を粗く積み上げたキュクロプス式石積みで、後世のギリシア人が人の手わざと思えなかったことが、この伝承の背景にある。
娘たちの狂気は、原因の説明が伝承ごとに違う。ヘーシオドスはディオニューソスの祭を拒んだためとし、アクーシラーオスはヘーラーの木像を侮ったためとし、アイリアーノスはアプロディーテーの仕業として裸で放浪したと書く。予言者メラムプースが国土の三分の一と引き換えに治療を申し出ると、プロイトスは高すぎるとして断った。すると狂気は激しさを増し、国中の女たちに広がって、子を殺し家を捨てて彷徨うに至る。折れた王が改めて頼むと、メラムプースは弟ビアースの分としてさらに三分の一を求めた。要求を呑んだ結果、王国の三分の二が失われる。値切ったことでかえって高くつくという構図であり、ここでも彼は事態を後追いしている。長女イーピノエーは癒される前に死んだ。
ベレロポーンの物語では、彼は殺人の穢れを負って来たこの若者を清めた。ところが妻——ホメーロスはアンテイアと呼び、悲劇はステネボイアと呼ぶ——が彼に恋し、拒まれると逆に讒言する。客を自ら殺すことを避けたプロイトスは、義父イオバテースに宛てた手紙を当人に持たせて送り出した。中身は使者を殺せという指示である。『イーリアス』第6巻に語られるこの挿話は、ギリシア文学において文字が現れるほとんど唯一の場面として知られ、「ベレロポーンの手紙」の語を生んだ。イオバテースは殺す代わりにキマイラ退治などの難題を課し、若者はペーガソスの力でそれを果たす。
最期については、メドゥーサの首を持ち帰ったペルセウスに石に変えられたとオウィディウスは伝える。一方で、彼の直系はメガペンテース以降も続き、カパネウスやステネロスといった後代の英雄に連なった。
図像と象徴
彼自身を主題とする古代の作例は知られていない。物語の見せ場——手紙を渡す場面、狂った娘たちを追う場面——はいずれも他の人物が主役であり、王は画面の外に置かれた。
本ページの主画像は、彼が築かせたと伝えられるティーリュンスの城壁である。前13世紀のミュケーナイ文明の遺構で、数トンの巨石を粗く組み上げた壁が今も残る。神話が説明しようとしたのは、まさにこの実在の石積みであった。
前630〜625年頃、アイトーリアのテルモンにあったアポローン神殿の彩色テラコッタ・メトープ(アテネ国立考古学博物館)には、胸をあらわにした二人の女性が描かれており、狂気に陥った娘たちと解する説がある。ただし同定は確定していない。
系譜と関係
父アバース、母アグライアー。双子の兄弟アクリシオス。妻はイオバテース(あるいはアムピナクス)の娘アンテイア、別名ステネボイア。子はリューシッペー、イーピノエー、イーピアナッサの三姉妹と、跡を継いだメガペンテース。娘の名をエレゲー、ケライネーとする伝えもある。
癒された二人の娘は、報酬としてメラムプースとビアースの妻となった。妻ステネボイアはベレロポーンの結婚を知って自ら死んだとも、彼に殺されたともいう。
なお、ギリシア神話にはこの名を持つ人物が複数いる。ナウプリオスの子、シーシュポスの孫、テーバイの門の名祖などである。
文化的足跡
「ベレロポーンの手紙」は、持参者自身の破滅を命じる文書を指す言い回しとして西欧に定着した。シェイクスピア『ハムレット』でローゼンクランツとギルデンスターンが持たされる書状も、同じ型に属する。
コリントスには彼が創建したというアポローン神殿が、シキュオーンにはヘーラー神殿があったと伝えられる。ティーリュンスは前12世紀に衰退したが、その城壁は古典期のギリシア人にとってすでに太古の遺構であり、パウサニアースはエジプトのピラミッドに劣らぬものとして記録している。