ディオニューソス
ディオニュソス · バッコス · バッカス
ギリシア神話の神。葡萄と葡萄酒、植物の豊穣、そして陶酔と演劇を司る。人に恍惚と解放を与えると同時に、狂気と破滅ももたらす両義の神である。
解説
概要
ディオニューソス(Διόνυσος / Dionysus)は、ギリシア神話の神で、葡萄の栽培と葡萄酒、植物の生命力、そして陶酔・忘我・演劇を司る。ゼウスとテーバイの王女セメレのあいだに生まれた、オリュンポス十二神のうち唯一、母を人間にもつ神である。後世は「外から来た新参の神」として描かれることが多いが、ミュケーナイ時代の線文字B文書にすでにその名が読めることから、起源はむしろ古い。境界を溶かし、常の秩序を一時的に手放させる働きが、この神の核にある。
神話・物語
誕生からして常軌を逸している。ゼウスに愛されたセメレは、ヘーラーの奸計に乗せられ、神の本来の姿を見せてほしいと願う。雷光をまとったゼウスの神威に耐えられず彼女は焼け死ぬが、ゼウスは胎児を救い出して自らの腿に縫い込み、月満ちて取り出した。母胎と腿の二度にわたって生まれたことから、ディオニューソスは「二度生まれ」と呼ばれる。一方、オルペウス教の伝承では、ゼウスとペルセポネの子ザグレウスとして生まれ、ティーターンたちに引き裂かれて食われたのち再生したと語る(異伝)。
成長した神は各地に葡萄酒をもたらしながら遍歴し、その神性を拒む者に狂気を送った。エウリピデス『バッカイ』は、故郷テーバイに現れたディオニューソスと、これを認めない王ペンテウスの対決を描く。信女マイナデスに加わった王の母アガウエが、我を失ったまま息子を野獣と見て素手で引き裂く結末は、この神の恵みと恐怖の表裏を凝縮する。また海賊に捕らえられた場面(ホメーロス風讃歌)では、船に葡萄の蔓が這い、神を侮った海賊たちはイルカに変えられる。クレタで見捨てられた王女アリアドネを妻に迎えた話もよく知られる。
図像と象徴
古い時代の図像では、髭を蓄え衣をまとった成熟した男神として、酒杯カンタロスと杖テュルソスを手に描かれた。前4世紀以降になると表現は一変し、髭のない若々しい、しばしば中性的で官能的な裸身の青年像が主流になる。主画像に掲げたルーヴル所蔵の立像は、この若い酒神像の系譜に連なる(ギリシア原型のローマ期彫刻)。持物と随伴は一貫している。テュルソス、葡萄と蔦の冠、豹や山猫、そして忘我の女信徒マイナデスやサテュロス、老シレノスからなる一行(ティアソス)である。黒絵式の名品では、帆船に横たわる神の周りに葡萄が茂り、海賊が海へ落ちる場面が描かれ、図像そのものが物語を語る。豹の毛皮、蔦、松かさは、いずれも野生と生命力の記号として反復される。
系譜と関係
父はゼウス、母はテーバイ王女セメレ。妻はアリアドネ。ローマでは、古いイタリアの豊穣神リーベルと習合したのち、ギリシアの神を承けたバックス(バッカス)として崇拝された(インテルプレタティオ・ロマーナ)。ただしローマのリーベル信仰には固有の来歴があり、その熱狂的な密儀バッカナリアは前186年に元老院決議で厳しく統制された。ギリシアのディオニューソスとローマのバックスを単一の神として混ぜて語ることはできない。さらにヘロドトスは、この神をエジプトのオシリスと同じ神とみなした。死と再生を core にもつ点で、豊穣の役割(豊穣神)を横断的に担う神格の一つに数えられる。
文化的足跡
アテナイの大ディオニュシア祭では、神に捧げる合唱から悲劇と喜劇が育った。西洋演劇はこの神の祭儀を母胎とする、といってよい。後世の美術ではティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」やカラヴァッジョ「バッカス」が名高く、ニーチェは秩序のアポロン的なものに対する陶酔のディオニュソス的なものという対概念を立てた。現代でも『Fate』『女神転生』をはじめとする作品に酒神として登場する。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。