セメレー
セメレ · テュオーネー · Semele
テーバイ王カドモスの娘で、ディオニューソスの母。ゼウスに真の姿を見せるよう迫って雷火に焼かれ、のちに息子によって冥界から連れ戻された。
解説
概要
セメレー(Σεμέλη / Semelē)は、テーバイの建設者カドモスとハルモニアーの娘で、ディオニューソスの母である。人間でありながら神を生み、焼け死んだのち息子の手で神格に引き上げられるという、ギリシア神話でも例の少ない経路をたどる。
名はプリュギア語で「大地」を意味するゼメローに由来し、もとはトラーキアやプリュギアで祀られた大地の女神だったとみる説が有力である。ディオニューソス信仰そのものが外来とされることと合わせて考えられてきた。
神話・物語
ゼウスは人の姿をとって彼女のもとへ通い、彼女は身ごもった。これを知ったヘーラーは、かつての乳母ベロエーに姿を変えて近づき、こう吹き込む。近ごろは神の名を騙って娘を誑かす男が横行している、相手が本当にゼウスなら真の姿を見せてもらいなさい、と。
彼女はゼウスに、愛の証しとして願いを一つ叶えてほしいと持ちかけた。ゼウスがステュクスにかけて誓うと、彼女は神としての本来の姿を見せるよう迫る。雷火をまとった姿を生身の人間が見れば焼け死ぬ。悔いてもステュクスの誓いは神にも破れない。姿を現したゼウスの閃光に、彼女は焼かれて死んだ。誓約が愛する者を殺す装置になっている。
胎児は神の血を引いていたために焼け残った。ヘルメースがこれを取り上げ、ゼウスは自らの腿に縫い込んで残る三か月を養う。こうして生まれたディオニューソスは「二度生まれた者」と呼ばれる。
物語には後日談がある。ギリシアに信仰が確立したのち、ディオニューソスはレルネーの沼を通って冥界へ下り、ギンバイカの木をペルセポネーに贈って母を連れ戻した。息子から神性を分け与えられた彼女は女神となり、テュオーネーと名を改めてオリュンポスに迎えられる。名を変えたのは、他の死者たちの嫉妬を避けるためであったという。
雷に打たれた場所はテーバイの聖域として囲われ、燃え続ける火があったとパウサニアースは記す。死んだ地点そのものが祭祀の対象になっている点は、彼女がもともと土地の女神であったとする見方と響き合う。
図像と象徴
彼女を名指しできる古代の作例は少ない。ディオニューソスの誕生を描く壺絵の主役はゼウスと赤子であり、母は場面から外されることが多い。焼け死ぬ瞬間という主題が、そもそも絵にしにくかったとみられる。
本ページの主画像はヘラルト・デ・ライレッセ《セメレーとユーノー》(17世紀後半、コペンハーゲン国立美術館)で、古代の作例ではない。乳母に姿を変えた女神が娘に近づく場面を選んでおり、破局そのものではなく、それを仕掛ける瞬間を描いている。近世以降の画家がこの物語に見たのは、雷火よりも嫉妬の計略であった。
系譜と関係
父カドモス、母ハルモニアー。姉妹にアウトノエー、イーノー、アガウエー、弟にポリュドーロス。子はゼウスとの間のディオニューソス。
姉妹たちはのちに、彼女がゼウスと交わったという話を信じず、雷に打たれたのは偽りの報いだと言いふらした。エウリピデス『バッコスの信女』で最初に狂気を負わされるのはこの三人であり、姉ペンテウスの母アガウエーが我が子を引き裂く結末は、妹の名誉をめぐる不信から始まっている。
文化的足跡
木星の衛星スィオネ(テュオーネー)と小惑星(86)セメレは彼女にちなむ。
近世の音楽劇では繰り返し主役となった。マラン・マレのオペラ『セメレ』(1709年)、ヘンデルのオラトリオ『セメレ』(1744年)が知られ、いずれも神の姿を求めて滅びるという筋を、人間の欲望の主題として扱っている。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。