モンチュ
メンチュ · モンチュウ · モント
古代エジプトの隼頭の軍神。テーベ一帯で崇められ、第11王朝の王たちが王名にその名を負った。アメンが台頭する以前、テーベの主神はこの神であった。
解説
概要
モンチュ(mntw / Montu)は、古代エジプトの軍神である。隼の頭に日輪と二枚の高い羽根飾りを戴く姿で表され、テーベとその周辺で崇められた。
もとは太陽神ラーの灼けつく相を担う神で、モンチュ・ラーの名で呼ばれた。その破壊的な性格が戦の力へと読み替えられ、マアトの敵を撃つ神となる。アメンが国家神へ昇るより前、テーベの主神はこの神であった。
神話・物語
第11王朝の王たちは、モンチュを王朝の守護神とし、その名を自らの名に取り込んだ。メンチュヘテプ(「モンチュは満ち足りる」)を名乗る王が四人続き、前2055年頃、彼らの軍事的成功が第一中間期の分裂を終わらせて中王国を開く。この時期のモンチュは事実上の最高神の位置にあった。だが以後、同じテーベの神アメンが台頭し、モンチュはその座を譲る。神格の交替が王朝の交替と重なって進んだ例である。
エジプトの軍勢は「四柱のモンチュ」——テーベ、アルマント、メダムード、エル=トードという主要な祭祀地それぞれのモンチュ——の標識を掲げて進んだ。いずれも槍で敵を貫き踏みつける姿で表される。トトメス3世は「戦場の勇猛なるモンチュ」と讃えられ、アメンヘテプ2世の碑文は、戦車を駆りながら銅の的を射抜いた若き王の技をモンチュの力になぞらえる。王がモンチュに擬されるのは、新王国期の王権表現の常套であった。
夜の航行では、悪霊と戦って太陽の船を守る神ともされた。
図像と象徴
隼頭の人の姿が基本である。頭上に日輪、その前面に一匹または二匹のコブラ(ウラエウス)、そして二枚の高い羽根飾りを立てる。隼は天を、羽根は威を示す。手には曲刀、槍、弓矢、短刀などの武器を持ち、こうした軍装の図像は新王国期に広く行き渡った。
もう一つの相が牡牛である。荒れる牡牛が力と戦の象徴とされたため、モンチュはアルマントで飼われた聖牛ブキス——白い身体に黒い鼻づらをもつ牛——として現れると信じられた。後期には牡牛の頭をもつ姿でも描かれる。聖牛には多数の世話係が付き、冠と胸飾りを着けられた。
異色の作例に、カーメス王の王妃アハヘテプ2世の副葬品である儀礼用の戦斧がある。ここでモンチュは有翼のグリフィンとして表されており、シリア方面に由来する意匠の影響が指摘されている。エジプトの神像が外来の造形語彙を取り込んだ例である。
系譜と関係
配偶神には、テーベの女神チェネニェトとイウニト、そしてラーの女性形ラエト・タウィが挙げられる。いずれも知られるところは少ない。ホルスと結ばれた形では「腕強きホルス」の添え名を負う。
テーベで主神の座をアメンに譲ったのちも、モンチュは消えなかった。テーベ三柱神と並ぶ形で像や護符に表され、アメン・コンスとモンチュを組み合わせた胸飾りも作られている。
ギリシア人はモンチュを自らの軍神アレースに擬した(インテルプレタティオ・グラエカ)。同時に、太陽神としての輝きゆえにアポローンと重ねられることもあった。一柱の神が、受け手の関心に応じて別々の神に振り分けられている。
文化的足跡
祭祀の中心はアルマント(ギリシア名ヘルモンティス)、メダムード、エル=トード、そしてカルナック北のモンチュ神域である。アルマントには聖牛ブキスの墓地ブケイオンが営まれ、歴代の牛が石棺に葬られた。
王子の名にも痕跡が残る。モンチュヘルケペシェフ(「モンチュはその腕とともにあり」)はラメセス2世、ラメセス3世、ラメセス9世それぞれの子の名として知られる。戦う王の理想像が、三千年にわたってこの神の名で呼ばれ続けたことになる。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。