テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
MUNDUS MYTHICUS · CH. 18 · AFTERLIVES: ART, REVIVAL AND THE PRESENT

神話のその後

神話は古代で終わっていない。十九世紀以降、神話は二度発見された。一度は地中から、もう一度は画布と楽譜の上で。そして発見された神話は、発見した時代の色に染まった。今日われわれが思い浮かべる神々の姿の多くは、古代の記録ではなく、近代の画家と学者と作曲家が作ったものである。この最終章は、その上書きの歴史をたどる。

PLATE 『ラインの黄金とワルキューレ』挿絵
『ラインの黄金とワルキューレ』挿絵, アーサー・ラッカム, 1910年.
アーサー・ラッカム『ラインの黄金とワルキューレ』挿絵(1910年)/WIKIMEDIA COMMONS、パブリックドメイン

地中からの発見

十九世紀の後半、神話の資料が地中から出てきた。

1872年、大英博物館のジョージ・スミスが、ニネヴェ出土の粘土板に洪水の物語を読み取った。ノアの洪水より古い洪水譚が、聖書の外に存在することが分かった瞬間である。シュリーマンは1870年代にトロイアとミュケーナイを掘り、ホメロスの都市を地図の上に戻した。1906年にボアズキョイで始まった発掘は、忘れられていたヒッタイト帝国の文書庫を開き、そのなかにギリシアの神々の世代交代譚とそっくりな物語が含まれていた。1929年、シリアの海岸でウガリットの粘土板が出土し、聖書のなかで貶められていたバアルが、雨をもたらす英雄的な王であったことが判明した。

これらの発見は、神話の見取り図を書き換えた。ギリシアの神話は孤立した奇跡ではなく、東地中海世界の一部だった。聖書の物語には先行するものがあった。神話が伝播したという主張が、初めて文献の年代で検証できるようになったのである。第5章で扱った世代交代譚の伝播説は、この発掘がなければ立てられなかった。

画布と楽譜からの発見

もう一つの発見は、それより少し前に、芸術のなかで起きていた。

十九世紀初頭のドイツで、グリム兄弟は民話を集め、ヤーコプ・グリムは『ドイツ神話学』(1835年)でゲルマンの神々の痕跡を言語と民俗から復元しようとした。それはナポレオン占領下で失われかけた民族の過去を取り戻す運動であり、学問であると同時に政治だった。ワーグナーは『エッダ』と『ニーベルンゲンの歌』から『ニーベルングの指環』(1848〜74年)を作り、オーディンをヴォータンとして舞台に立たせた。今日、北欧の神々を思い浮かべるとき、多くの人が無意識に聴いているのはワーグナーである。

イギリスではラファエル前派が、ギリシア神話とアーサー王伝説と聖書を、細密で象徴的な画面に描いた。第7章で触れた月と太陽の性別も、第9章の「還る神」も、この時代の絵画によって一つの姿に固定された。

図像が原典を上書きする

発見された神話は、発見した側の色に染まった。三つの例を挙げる。

リリスは、聖書に一語しか現れず、中世の説話でアダムの最初の妻とされた夜の悪霊である。今日この名から思い浮かべられる姿——鏡に向かって長い髪を梳く、危険な美しさをまとった女——は、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが1867年に描いた《レディ・リリス》のものである。原典にそのような描写はない。画家が作った像が、原典の位置に座った。

ベルゼブブは、聖書では悪霊の頭目の名であり、姿の記述はない。1863年、コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』第六版に、ルイ・ル・ブルトンが翅に髑髏の模様を持つ巨大な蝿を描いた。それ以来、この悪魔は蝿である。誤読された「蝿の王」という名が、二千年を経て、版画家の手で姿を得た。

バルドルを「光の神」と呼ぶ説明は、十九世紀に付け加えられたものである。『エッダ』のバルドルは美しく、誰からも愛され、殺される神だが、光を司るとは書かれていない。ロマン主義の学者が、殺される美しい神に太陽の象徴を読み込んだ。その読み込みが辞典に載り、今では原典の記述のように扱われている。本サイトが各記事の末尾に「文化的足跡」の節を置くのは、この種の上書きを、原典から切り離して記録するためである。

動員される神話

発見と再解釈は、政治と無縁ではなかった。グリムの神話学が民族の過去の回復であったように、ゲルマン神話の復興はドイツ民族主義と結びついて進んだ。ワーグナーとバイロイトは、その象徴になった。二十世紀に入ると、ナチス政権は古代ゲルマンの遺産を研究する機関を設け、ルーン文字と神々の名を党の記号に転用した。神話は、民族の起源を語る物語として、排除の論理に組み込まれた。

同じことは他の地域でも起きている。スラヴでは、二十世紀半ばに『ヴェレスの書』と称する文書が公刊された。九世紀の木板に刻まれた古代スラヴの聖典とされたが、言語学者はこれを近代の偽作と判定している。それでもこの書は、失われた神々の記録を求める人々に受け入れられ、今日のロドノヴェーリエ——スラヴ土着信仰の復興運動——の一部で経典として扱われている。第16章で見たように、スラヴの神々は記録される前に消えた。その空白を、偽書が埋めた。

本サイトはこの歴史を省かない。神話がどう使われたかは、神話が何であるかの一部だからである。ただし、復興運動を信じる人々を嘲る立場も取らない。失われたものを取り戻したいという願いは、グリムにもあり、スノッリにもあった。問題は願いではなく、偽書を原典として扱うことにある。

心のなかへ

二十世紀は、神話をもう一つの場所へ運んだ。人間の心のなかである。

カール・グスタフ・ユングは、神話の類似を伝播でも同源でもなく、人類共通の無意識の構造——元型——で説明した。ジョゼフ・キャンベルはこれを継いで、あらゆる英雄譚を一つの旅の変奏とみる単一神話を説いた。この読み方は1977年の『スター・ウォーズ』が公然と参照したことで、創作の世界に浸透した。

心理学化は、神話を現代に生き延びさせた功績がある。同時に、それは第2章で述べた方法上の問題を抱えている。似ている例だけを集めれば、共通の構造は必ず見つかる。文化ごとの差異——エジプトに雷神がおらず、仏教に創造神がいないこと——は、共通性を探す視線からは見えない。本サイトが元型を説明原理として使わないのは、それが誤りだからではなく、差異を消すからである。

神話は今どこにいるか

今日、神話は小説とゲームと映画のなかにいる。そこで参照されているのは、多くの場合、原典ではない。ワーグナーのヴォータン、ロセッティのリリス、ル・ブルトンのベルゼブブ、キャンベルの英雄である。十九世紀以降の像が、原典の位置を占めている。

これを劣化と呼ぶことはできる。だが、それはスノッリがキリスト教徒として北欧の神々を書き留めたときにも、修道士がアイルランドの神々を聖書の年表に接ぎ木したときにも、起きていたことである。神話は常に、それを受け取った時代の色に染まってきた。染まらなかった神話はない。第1章で見たように、記録者は当事者ではなかった。近代の画家と学者もまた、記録者だった。

本サイトにできるのは、どの層がいつ塗られたかを、一枚ずつ剥がして見せることである。原典と、中世の注釈と、十九世紀の絵画と、二十世紀の心理学を、同じ記事のなかで別々の節に置く。混ぜない。それが、神話が生きていることと、神話を正確に読むことを、両立させる唯一の方法だと考えている。

この章で、柱記事は一巡した。冒頭で問うたのは「誰が書き留めたか」であり、末尾で見たのは「誰が描き直したか」である。二つは同じ問いである。