シグルズ
シグルド · シグルズル · ジークフリート
ゲルマン英雄伝説最大の英雄。竜ファフニールを討ち、その血を舐めて鳥の言葉を解した。呪われた黄金を得て、やがて策略により命を落とす。
解説
概要
シグルズ(Sigurðr)は、ゲルマンの英雄伝説に登場する英雄。竜ファフニールを討ったことで知られ、添え名はファフニールの殺害者(ファーヴニスバニ)。ヴォルスング一族の出で、オーディンの血を引くとされる。
ドイツでは同じ人物がジークフリート(Siegfried)の名で語られるが、両者の物語は大きく異なる。北欧の『ヴォルスンガ・サガ』と『古エッダ』の英雄歌篇が伝える筋と、ドイツの『ニーベルンゲンの歌』の筋は、竜退治と呪われた黄金、そして裏切りによる死という骨格を共有しながら、人物の配置も動機もかなり違う。同じ伝承が二つの言語圏で別々に育ったと考えられている。
神話・物語
父シグムンドは戦死し、シグルズは母ヒョルディースの再婚先で育つ。養育者は鍛冶レギン——竜となったファフニールの弟である。
レギンは若者に兄の黄金の話を吹き込み、剣を鍛えてやる。二度の剣は試し打ちで折れ、三度目に、父シグムンドの折れた剣グラムの破片から鍛え直したものが金床を割った。シグルズは名馬グラニ(スレイプニルの血を引くとされる)を選び、まず父の仇を討ってから、竜のもとへ向かう。
竜退治の手口は、正面からの決闘ではない。ファフニールが水を飲みに通う道に穴を掘り、そこに潜んで、頭上を通る腹を下から刺し貫く。オーディンの助言によるとされる。
死にゆく竜との問答のあと、レギンは兄の心臓を抉り出し、焼くよう命じて眠る。焼け具合を確かめたシグルズは指を火傷し、思わずしゃぶった。心臓の血が舌に触れた瞬間、鳥たちの囀りが言葉として聞こえる——レギンがおまえを殺すつもりだ。シグルズは養父の首を落とし、心臓を食べ、黄金を馬に積んだ。指輪アンドヴァラナウトもそのなかにある。
その後の筋は、北欧版では悲劇として展開する。炎に囲まれた山でワルキューレのシグルドリーヴァ(ブリュンヒルド)を目覚めさせ、契りを交わす。だがギューキ王の館で忘却の飲み物を与えられ、記憶を失ってグズルーンと結婚し、義兄グンナルのためにブリュンヒルドを騙して連れてくる。真相を知ったブリュンヒルドの怒りが、シグルズの殺害を招く。彼女は後を追って火に入った。
黄金は残り、呪いは続く。グズルーンの兄弟はアトリ(フン王アッティラの反映)に殺され、グズルーンは復讐する。アンドヴァリの呪いは、一族が絶えるまで働き続ける。
図像と象徴
シグルズは、北欧の伝承のなかで最も多く彫刻に残された人物である。シグルズ図像と総称される一群がそれで、11世紀から13世紀にかけて、スウェーデン、ノルウェー、イングランド、マン島に分布する。
最もよく知られるのがスウェーデン・セーデルマンランドのラムスンドの刻画(Sö 101、11世紀前半)である。岩面を巡る蛇の帯がそのまま竜の胴体をなし、銘文をその中に収める。下から剣を突き上げるシグルズ、串で心臓を焼く姿、指をしゃぶる所作、木に止まる鳥、首を落とされたレギンと散らばる鍛冶道具、そして荷を積んだ馬グラニ——物語のほぼ全編が一枚の岩に彫られている。ノルウェーのヒュレスタード木造教会の門柱(12〜13世紀)にも同じ連続場面が浮彫にされている。
指をしゃぶる所作が、この英雄の図像上の徴である。剣を振るう姿より、口に指を運ぶ姿のほうが同定しやすい。物語の要が戦闘ではなく、そこで得られる知識のほうにあることを、図像の側が示している。
これらの多くがキリスト教の記念物である点も注目される。ラムスンドの刻画は橋の建造記念であり、ヒュレスタードは教会の入口を飾る。異教の英雄が、教会堂の敷居に彫られていた。
系譜と関係
父はシグムンド、母はヒョルディース。ヴォルスング一族の祖はオーディンに遡る。養父はレギン、妻はグズルーン、恋人はブリュンヒルド。馬はグラニ、剣はグラム。
北欧とドイツの差は、人物の関係に最も表れる。『ニーベルンゲンの歌』のジークフリートは竜の血を浴びて全身が硬くなり、背中の一点だけが弱点として残る——菩提樹の葉が張りついた箇所である。北欧のシグルズにはこの設定がなく、血は身体ではなく知覚に作用する。ドイツ版では殺害者はハゲネであり、動機も宮廷内の政治に置き換わっている。
文化的足跡
リヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』は、主に北欧の資料に拠っている。ジークフリートが森の小鳥の言葉を解する場面も、剣を鍛え直す場面も、『ニーベルンゲンの歌』にはなく、エッダとヴォルスンガ・サガから採られたものである。19世紀ドイツの国民的題材として受容された結果、20世紀にはこの英雄像が政治的に利用される局面もあった。
J・R・R・トールキンは、この物語を生涯論じ続け、古英語詩の韻律を用いた自作『シグルズとグズルーンの伝説』を残している(没後2009年刊)。折れた剣を鍛え直して受け継ぐ、宝を守る竜と対話する、呪われた指輪が持ち主を破滅させる——彼の作品の主要な仕掛けの多くが、ここに源を持つ。
現代の創作で「竜を倒す英雄」が定型として通用するのは、この物語がヨーロッパ中世を通じて語り継がれたためである。ただし原典のシグルズが手にしたのは栄光ではない。呪われた黄金と、そこから始まる一族の全滅である。