ファフニール
ファーヴニル · ファヴニール · ファフナー
ゲルマン英雄伝説に登場する竜。もとは人の姿をした者で、黄金を独占するために竜の姿へ変じ、洞に籠もった。英雄シグルズに腹を刺し貫かれて死ぬ。
解説
概要
ファフニール(Fáfnir)は、ゲルマンの英雄伝説に登場する竜。もとは人に近い姿をした者で、黄金を独り占めするために竜(古ノルド語でオルム=蛇、あるいはドレキ)の姿に変じ、荒野の洞に籠もった。英雄シグルズに腹を貫かれて死ぬ。
その正体が何であったかは、資料が割れている。弟レギンは『ノルナ・ゲストの話』でドヴェルグとされ、「小人ほどの背丈」と描かれる。一方『ファフニールの言葉』では、レギン自身が兄を「古き巨人」と呼ぶ。ドヴェルグの縁者がドヴェルグなのかも、そもそもドヴェルグがどんな姿と考えられていたのかも定かでない。中世の資料においてこの一族の姿は一定しておらず、アンドヴァリのように自在に形を変える者もいる。
名は「抱く者」と解される。faðma(抱く、両手を広げて測る)に由来し、宝の上にとぐろを巻いて抱え込む姿と重なる。同時に「多くのファゾム(尋)を持つ者」とも読め、蛇の長さを指す掛詞になっている可能性がある。英語の fathom は同じ語根である。
登場する物語
発端は、神々の過失である。
『レギンの言葉』によれば、オーディン・ロキ・ヘーニルの三神が旅の途中、滝のほとりで川獺を石で打ち殺した。それはフレイズマルの子オトルが姿を変えたものだった。三神は捕らえられ、償いとして毛皮を覆い尽くすだけの黄金を求められる。ロキは滝に棲むドヴェルグのアンドヴァリを網で捕らえ、財宝を奪い、隠していた指輪アンドヴァラナウトまで取り上げた。アンドヴァリは、この黄金が持ち主すべてに死をもたらすと呪いをかける。
呪いはすぐに働きはじめる。ファフニールと弟レギンが父に分け前を求め、拒まれると、ファフニールは父を殺した。弟にも分けず、黄金を抱えてグニタヘイズの荒野へ去り、そこで竜となる。恐れの兜(エーギスヒャールムル)を戴き、宝の上に伏せた。
『ファフニールの言葉』が最期を語る。レギンはシグルズをそそのかし、剣グラムを鍛えて与える。シグルズは竜が水を飲みに通う道に穴を掘って身を潜め、上を通過する腹を下から刺し貫いた。
死にゆく竜と英雄が言葉を交わすのが、この詩の中心である。ファフニールは相手の名を問い、シグルズは初め謎で答える。やがて竜は黄金に触れるなと警告し、それが死を招くと告げる。シグルズは、誰にでも死へ向かう日は来ると応じる。そこから竜は、ノルンの正体や、神々がスルトと相まみえる島の名といった知識を語りはじめる。死にかけの怪物が、知恵の授け手になる。北欧の竜退治譚のなかでも、この場面は際立って奇妙である。
続きも呪いのままに進む。レギンは兄の心臓を剣リジルで抉り出し、焼くようシグルズに命じて眠る。串で焼いていたシグルズは、焼け具合を確かめて指を火傷し、思わずしゃぶった。心臓の血が口に入った途端、そばの鳥たちの声が意味を持つ——レギンがおまえを殺して黄金を奪うつもりだ、と。シグルズはレギンの首を落とし、心臓を食べ、二人の兄弟の血を飲んだ。
図像と象徴
『ファフニールの言葉』の竜は、翼を持たず、脚も持たない。腹這いで進む大蛇である。ところが後代の『ヴォルスンガ・サガ』では肩を持つと書かれ、脚か翼、あるいはその両方が想定されている。キリスト教化と大陸の騎士物語の流入にともなって、ゲルマンの竜の造形が蛇から獣へ移った、その過渡が同じ物語のなかに残っている。
彫刻の証言は豊富である。シグルズ図像と総称される一群がそれで、スウェーデンのラムスンドの刻画(11世紀)、ノルウェーのヒュレスタード木造教会の門柱(12〜13世紀)、マン島のジャービー十字架などに、竜退治から心臓を焼く場面までが連続して彫られている。とりわけラムスンドでは、銘文を収める蛇の帯そのものが竜の胴体を兼ねる。ルーン石碑の装飾様式と物語の主題が、一つの図像として重なっている。
これらの多くがキリスト教の記念物である点は見過ごせない。ラムスンドの刻画は橋の建造を記念するもので、ヒュレスタードは教会の入口である。竜を貫く英雄という図式が、聖ゲオルギオスや悪を打ち破るキリストの像と重ねて読まれた可能性が論じられている。
関わる神格・伝承
父はフレイズマル、兄弟はレギンとオトル。討つのはシグルズ。黄金の出所は神々であり、呪いの主はドヴェルグのアンドヴァリである。
ゲルマン圏には、名を伏せた同型の竜退治が広く分布する。『ベーオウルフ』は、ヴェルスの子シゲムンドが竜を倒した話を歌う——北欧ではシグルズの父にあたる人物が、ここでは竜殺しになっている。ドイツの『ニーベルンゲンの歌』ではジークフリートが竜を倒して血を浴び、不死身になる。心臓の血で鳥の言葉を解する北欧版と、血を浴びて硬くなるドイツ版で、血の働きが違っている。
文化的足跡
この竜の影響は、近代のファンタジーの骨格に及んでいる。
リヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』では、巨人ファゾルトを殺した弟ファフナーが竜に姿を変え、宝と指輪を守って洞に籠もる。黄金への欲が姿を変えてしまうという筋が、ここで音楽劇の主題になった。
J・R・R・トールキンは、この物語を繰り返し論じ、自ら韻文に書き直してもいる。『ホビットの冒険』のスマウグは、宝の上に伏せ、盗まれた杯に激怒し、侵入者と対話し、その会話に相手を油断させる罠が仕込まれている——ファフニールとシグルズの問答から直接引かれた造形である。指輪に取り憑かれて姿を変えるゴクリの設定にも、この物語の影が指摘される。
今日のゲームや小説で竜が宝の山に伏せているのは、生物学的な習性ではなく、この北欧の一族が父を殺してまで黄金を抱え込んだことに由来する。竜は財宝を守るものだという通念そのものが、ファフニールの遺産である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。