ミトラ
ヴェーダのミトラ · ミトラ神 · Mitrá
ヴェーダの契約と誓約の神。名がそのまま「契約」を意味し、ほとんど常にヴァルナと対で呼ばれる。単独の讃歌は一篇しかなく、独立した図像もほとんど残らなかった。
解説
概要
ミトラ(मित्र / Mitrá)は、ヴェーダの契約と誓約を司る神である。名はインド・イラン共通語の *mitra に遡り、「結ばせるもの」すなわち契約そのものを意味する。アーディティヤ神群の一柱に数えられるが、『リグ・ヴェーダ』でミトラ単独に捧げられた讃歌は第3巻59歌のただ一篇にとどまり、その内容もヴァルナへの讃歌とほとんど区別がつかない。ミトラは、ほぼ常に「ミトラ=ヴァルナ」という双数形で呼ばれる神である。
神話・物語
最古の証言はインドの外にある。前14世紀、北メソポタミアのミタンニ王がヒッタイトと結んだ条約文には、誓約の保証者としてミトラ・ヴァルナ・インドラ・ナーサティヤの名が並ぶ。契約の神が国家間の条約の証人に立てられるという用法は、名の意味そのままである。
『リグ・ヴェーダ』のミトラ=ヴァルナは、若く、輝く衣をまとい、千の柱と千の門をもつ黄金の宮に住む王として讃えられる。太陽を目とし、欺かれることのない斥候を放って人を見張り、宇宙の理法リタを守り、偽りを病で罰する。二神はともにアスラと呼ばれるが、ここでのアスラは後代のような悪魔の意ではなく、マーヤーと呼ばれる不可思議な力を備えた主権者を指す。
両者の分業が意識されるのは後期ヴェーダ以降である。ブラーフマナ文献はミトラを昼と朝の光に、ヴァルナを夜に配し、さらにミトラを祭官(プローヒタ)、ヴァルナを王権に対応させた。ミトラだけに帰される働きもある。人々を集め、それぞれの持ち場に就かせる作用(ヤータヤティ)がそれで、共同体を秩序づける神という性格がここに出る。
叙事詩・プラーナ期に入るとミトラはほとんど姿を消し、名詞ミトラも「友」を意味する日常語へと転じた。それでも、天女ウルヴァシーを見た両神が精を同じ壺に落とし、そこから聖仙ヴァシシュタとアガスティヤが生まれたという説話には、二神一対の型が残っている。
図像と象徴
ミトラには、独立した図像がほとんど存在しない。乗物も持物も定められておらず、造像規定を備えた後代のヒンドゥー美術では、太陽神スーリヤの別名・一側面として吸収されてしまった。ヴェーダの神格が造形化される時代より前に主役の座を降りたことの帰結であり、ヴァルナがマカラと縄という具体的な図像を得たのとは対照的である。
したがって象徴として語りうるのは、二神一対の讃歌が繰り返し用いる比喩のほうである。目としての太陽、欺かれない斥候、そして偽った者を縛る縄。見られていることが誓約を成り立たせるという発想が、この一対の中心にある。
系譜と関係
女神アディティの子とされ、ヴァルナとは兄弟の関係に置かれる。イランのミスラとは名も職能も同源で、インド・イラン共通期にまで遡る古い神格である。ただし両者はその後まったく異なる道をたどった。インドのミトラが埋没していったのに対し、イランのミスラは契約と光の神として存在感を保ち、さらに西へ渡ってローマ帝国のミトラス教を生んでいる。同じ神から出て、片方は忘れられ、片方は帝国の軍団に運ばれた。
文化的足跡
ミトラの名は、宗教よりも日常語のほうへ生き延びた。現代の多くのインド系言語で「ミトル」が「友」を意味するのは、契約が友誼の基礎であるという語義の転換の産物である。祭祀の面では、日の出の時刻に唱えられる礼拝の詩句がミトラに向けられ、ベンガルではイトゥ・タクルの名で農事にかかわる月ごとの供養が続いている。神話の主役ではなくなった神が、暦と生活の側に残った例である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。