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ヘバト
PLATE — ḪEPAT
SVMER · メソポタミア神話
ḪEPAT

ヘバト

ヘパト · ヘパ · Ḫepat

フラクトゥンの岩壁浮彫、ヘバトに献酒する王妃プドゥヘパ(前13世紀)/撮影: Krähenstein, CC BY-SA 3.0 CC BY-SA 3.0

シリアのアレッポに起源をもつ女神で、天候神の妻として知られる。アレッポのハダドの妻とされ、フルリの宗教ではテシュブの妻としてヒッタイト王家の神々の女王となった。

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解説

概要

ヘバト(Ḫepat, Ḫebat)は、前3千年紀の北シリアに起源をもつ女神で、アレッポ(ハラブ)と深く結びついていた。最もよく知られる役割は天候神の妻で、アレッポの天候神ハダド(アダド)の妻とされたのち、フルリの宗教ではテシュブの妻として神々の女王の座を占めた。ヒッタイト王家のパンテオンでもテシュブと並ぶ主神となっている。本サイトでは、テシュブと同じくフルリ・ヒッタイトの神々をメソポタミア神話の体系に含めて扱う。

名の由来には二つの説がある。アルフォンソ・アルキは、エブラ文書に見える女神ハラバイトゥをその初期の形とみて、「ハラブ(アレッポ)の女」を意味する帰属形と解する。これに対し、「愛する」を意味する語根 ḫbb から「愛された者」と読む説もあり、両方の含意が重なっていた可能性も指摘されている。

「女王」「天の女王」と呼ばれ、王権とも結びついた。テシュブの「王権(šarrašši)」の儀礼に対して、彼女には「女主権(allašši)」の儀礼があった。出産の儀礼で呼びかけられる母性の面ももち、子の誕生を彼女の助けに帰するフルリ語の人名が多く残る。

神話・物語

フルリの「クマルビ神話群」では、王権をめぐってクマルビと争う息子テシュブの側に立つ。『ヘダムの歌』では、争いが続けば人間が害され、テシュブもヘバトも自ら食べ物を得るために働かねばならなくなると、エアがテシュブに警告する。

『ウルリクンミの歌』では、石の巨人ウルリクンミが彼女の神殿の入口をふさぎ、ヘバトは神々との連絡を絶たれる。夫の安否を知るため、彼女は侍女タキトゥを遣わす。のちにテシュブの弟タシュミシュが夫の知らせを届けると、彼女は神殿の屋根から落ちそうになり、侍女たちに引き止められる。

図像と象徴

ヒッタイトの都ハットゥシャ近郊の岩窟聖所ヤズルカヤでは、中央の浮彫で豹の背に立ち、子のシャルマ、アランズ、クンジシャリを伴ってテシュブと向き合う。その後ろに続く女神の行列は、彼女に捧げられた供物表(カルティ)の順序を映しており、イシュハラ、シャラシュ、ダムガルヌンナ、ニッカル、アヤらが名とともに刻まれている。

主画像に掲げたのは、カイセリの南にあるフラクトゥンの岩壁浮彫(前13世紀)の中央の場面で、ヒッタイトの王妃プドゥヘパ(右)がヘバト(左)に献酒している。二人のあいだには鳥の形の器を載せた祭壇が置かれ、左の場面では夫のハットゥシリ3世が天候神に同じ儀礼を行う。

シリアのエマルでは、神を象徴するとみられる立石(シカーヌ)が彼女に結びつき、女祭司の就任の儀礼でその石に油が注がれた。

系譜と関係

アレッポでは天候神ハダドの妻とされ、この組はエブラ文書にさかのぼるとみられ、のちアララハやエマルでも確かめられる。メソポタミア本土で天候神の妻とされたのはふつうシャラであった。フルリの宗教ではテシュブの妻となり、この組の最古の証拠は古バビロニア期のマリ文書に見える。前1千年紀には、テシュブにあたるルウィの天候神タルフンズの妻ともされた。ウガリットでは、テシュブの妻としてのみ知られる。

子はシャルマ、アランズ、クンジシャリで、彼女はしばしばシャルマと一組で祀られた。侍女(スッカル)はタキトゥとティヤベンティである。ヤムハド王国のアレッポではダガンの神々の圏にも属し、ルイス・フェリウは、彼女がダガンとシャラシュの娘とみなされていた可能性を考える。

ヒッタイトでは、王家のパンテオンと国家のパンテオンを調和させるため、アリンナの太陽女神と重ねる試みがなされた。王妃プドゥヘパの祈りがその代表例だが、ゲイリー・ベックマンはこれを「まれで例外的な」ものとし、民間の信仰に広まったとは考えられていない。ウガリットの神名表では、土地の女神ピドライが彼女に対応するとされる(ピドライとタライとアルツァイ)。

文化的足跡

ヘバトの名は人名を通じて広く残った。ミタンニの王女ケル・ヘパとタドゥ・ヘパ、ヒッタイトの王妃プドゥヘパ、アマルナ文書に現れるエルサレムの支配者アブディ・ヘバ(「ヘバトの僕」)はいずれも彼女の名を含む。

ヒッタイトでは、ハットゥシリ1世がフルリの国ハッシュムを攻めた際に奪った神像の一つとして初めて現れ、のちキズワトナ出身の王朝のもとでテシュブとともに王家の主神となった。前1259年ごろのヒッタイトとエジプトの和約のエジプト語版にも名が見えるが、エジプトの書記は彼女を男神と取り違えつつ、「天の女王」の称号をそのまま訳している。前1千年紀にもタバルなど新ヒッタイトの国々で祀られた。リュディアでサバジオスの配偶とされ、のちオルペウス教で幼いディオニューソスの乳母とされたヒプタを、彼女の後代の姿とみる説もある。

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領分・別名

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。

収載データなし
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資料

Wikidata
Q425430 — 骨格データの出典
Commons
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