ダガン
ダガン · ダゴン(シリア) · Dagan
シリアのユーフラテス中流域で崇拝された「神々の父」で、土地の主、繁栄の神、王権の正統性の源とされた。主な神殿はトゥットゥルとテルカ。妻はシャラシュ、子はハダド。サルゴンらメソポタミアの王は、西方の征服をダガンの賜物とした。魚の神とする解釈は中世の誤解。
解説
概要
ダガンあるいはダゴンは、古代シリアのユーフラテス川中流域で崇拝された神である。主な神殿はトゥットゥルとテルカにあり、祭祀の記録の多くはマリやエマルなどの都市から得られる。メソポタミア神話の体系に含めて扱う。
ユーフラテス上流域の集落では、エンリルやフルリのクマルビと同じく「神々の父」とされ、土地の主、繁栄の神、王権の正統性の源とみなされた。男女双方の多くの人名にその名が含まれ、人気のある神であったことがわかる。
フェニキアや旧約聖書に現れるダゴンは同じ神の名である。本項は、シリアとメソポタミアのダガンを扱う。
信仰
ダガンには神話や賛歌が伝わらず、文書も比較的少ないが、研究によっていくつかの働きが明らかにされている。
エマル、アレッポ、マリの資料は、ダガンを典型的な「神々の父」、創造神として描く。死者への供物とも結びつくが、これは祖先神としての役割の延長とみられ、冥界の神とする現代の説はおそらく誤りである。
穀物の豊かな実りを保証することは、最もよく記録された働きの一つである。ただし農耕の神というより、繁栄全般の源であった。前三千年紀のトゥットゥルでは王権を授ける神とされ、マリでも同様の役割を持った。誓いの証人として呼ばれることもあった。エブラの文書によれば、その持ち物は戦車と棍棒であった。
テルカの神殿はエ・キシガ(「家、静かな場所」)と呼ばれた。マリでは、ダガンとアッドゥ(ハダド)が王の守護神として即位の儀礼に関わった。王ジムリ・リムの治世には、祭で最も多くの供物を受ける神の一つであった。
メソポタミアでの受容
メソポタミアの支配者たちは、ダガンを西方の地の主とみなし、その地の征服を可能にした神として感謝した。碑文によれば、アッカドのサルゴンはトゥットゥルでダガンに祈り、ダガンは彼に「上の地」、とりわけエブラ、マリ、ヤルムティの支配を与えた。ナラム・シンの治世の碑文は、帝国の西の辺境の住民を「ダガン神が彼に与えた民」と呼んでいる。
名の由来
ビュブロスのフィロンによれば、フェニキアの著述家サンクニアトンはダゴンを「穀物」を意味する語と説明した。しかしダガンの研究書を著したルイス・フェリウはこれを退け、名はシリア内陸部で話されていたセム語以前の言語に由来すると結論している。
ヘブライ語の「魚」(ダグ)と結びつけた中世の聖書解釈から、ダガンを魚の姿をした水の神とする誤った解釈が生まれた。
図像と象徴
固有の図像は伝わらず、本サイトも主画像を掲げない。
系譜と関係
ダガンの親や誕生を語る文書は知られていない。妻はシャラシュ、子はハダド(ウガリットのバアルにあたる)と、おそらくヘバトである。ウガリットの神話ではダガンは何の役も演じないが、バアルはしばしばその「子」と呼ばれる。イシャラをダガンの妻とする説は、今日では通説ではない。
ヘブライ語聖書によれば、ダガンはペリシテ人の国の神でもあり、アシュドドとガザに神殿があった。ただし聖書以外に、これを裏づける証拠はない。
文化的足跡
『サムエル記上』5章によれば、ペリシテ人は奪った契約の箱をアシュドドのダゴンの神殿に置いた。翌朝、ダゴンの像は箱の前にうつ伏せに倒れていた。像を戻すと、次の朝には再び倒れ、首と両手が切り落とされていた。
みなみのうお座の星フォーマルハウトの周りに見つかった天体フォーマルハウトbは、ダゴンにちなんで名づけられた。