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アッシュル
PLATE — 𒀭𒀸𒋩
SVMER · メソポタミア神話
𒀭𒀸𒋩

アッシュル

アッシュール · アシュール · アッスル

Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg) CC BY-SA 4.0

アッシリアの国家神。都市アッシュルと同じ名を持ち、その土地の神格化から生まれたと解される。アッシリアの真の王はこの神であり、人間の王はその代理とされた。

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解説

概要

アッシュル(𒀭𒀸𒋩 Aššur)は、アッシリアの国家神である。都市アッシュル、そして国家アッシリアと同じ名を持ち、楔形文字の綴りも同一である。文書では、神を指すときに限定符ディンギルを、都市を指すときに地名の限定符を添えて書き分けたが、両方を付した例もある。

この同名性から、アッシュルは都市そのもの、あるいは都市の建つティグリス河岸の丘が神格化されて生まれた神であると解されるのが現在の主流である。そのためこの神は、メソポタミアの他の神々と根本的に異なる性格を持つ。固有の神話がなく、定まった添え名も個性的な人格も乏しく、家族すら持たなかった。アッシュルとは、要するに都市と国家の力そのものである。

神話・物語

アッシュル信仰の核心は物語ではなく、王権のイデオロギーにある。アッシリアの真の王はアッシュル神であり、人間の統治者はその副王(イッシアク)にすぎない。古アッシリア時代の支配者ツィルルの印章は「アッシュルは王、ツィルルはアッシュルの副王」と刻む。中アッシリア時代以降、王は明確に「王(シャル)」を称するようになるが、このイデオロギー自体は帝国の滅亡まで保たれた。アッシュルバニパルの即位式次第では、王が神殿へ進む道すがら「アッシュルは王です、アッシュルは王です」と唱えられる。

もう一つの軸が、バビロニア神学の吸収である。前18世紀のシャムシ・アダド1世は、アッシュル神殿をエンリルの神殿と呼ぶ銘文を残した。両神の同一視を示す最初の例と解されている。中アッシリア時代には「諸国の主」「神々の王」「アッシリアのエンリル」といった称号が用いられ、エンリルの妻ニンリル(アッシリアではムリッス)、その子ニヌルタザババまでがアッシュルのものとされていった。

前689年、センナケリブはバビロンを破壊したのち、アッシュル市に新たなアキートゥ祭の神殿を築き、祭の中心をマルドゥクからアッシュルに置き換えた。同時に『エヌマ・エリシュ』のアッシリア版が編まれ、主人公マルドゥクがアンシャルの名で書かれたアッシュルに差し替えられて、ティアマトを討ち、世界を形づくる創造の主役となる。この改変は、原初の神アンシャルと新しい王アッシュルという二人のアンシャルを同じ物語に生じさせた。これを編者の拙劣さと見る説(ランバート)と、系譜上の優位と政治的優位を同時に与えるための意図的な操作と見る説(フラーム)がある。

図像と象徴

土地の神格化から生じた神であるため、アッシュルは元来定まった人の姿を持たなかった可能性がある。人格神としての図像を明確に獲得するのは、中アッシリア時代、前13世紀ごろとされる。

バビロニアの神々との習合が進むと、その図像もまた借り受けられた。アッシュルの標識には、アヌやエンリルと同じ台座上の有角冠が割り当てられ、銘文を欠く浮彫では三者の区別がつかない。マルドゥクの標識である鋤は採られなかったが、その随獣ムシュフシュは奪われた。古アッシリア時代のアナトリアの商業植民市では、アッシュルの神像とともに短剣や槍が聖所に置かれ、その前で宣誓と判決が行われた。神の武器そのものが神の臨在を代行する。野生の山羊もこの神の聖獣とされる。

本項に掲げるのは、ニムルドのアッシュルナツィルパル2世の北西宮殿から出土した浮彫で、有翼日輪の中に立つ神像を、王が礼拝の所作で仰いでいる。この人物をアッシュルとみる説は広く行われているが、太陽神シャマシュとする説、円盤は別の神格の標識とする説もあり、決着していない。アッシュルの図像を語る際には、この不確かさを飛ばさないほうがよい。

アッシュル市の神殿の中庭にある井戸からは、両脇に水の女神を従え、体の側面から生えた円錐を山羊が食む山神の浮彫が見つかっている。顔面が意図的に破壊されて井戸へ投げ込まれており、前614年の都市陥落の際の所業とみられる。破壊されたという事実そのものが、この像をアッシュルとみる有力な根拠になっている。

系譜と関係

本来のアッシュルに親族はいない。唯一の土着の縁者は女神シェルアだが、その関係は史料によって割れており、トゥクルティ・ニヌルタ1世は娘と呼び、ティグラト・ピレセル3世は妻と呼び、これは娘ではなく妻と呼ぶべきだと明言する新アッシリアの文書まである。

妻とされるニンリル(ムリッス)、子とされるニヌルタとザババは、いずれもエンリルとの同一視に伴って与えられた家族である。新アッシリア期にはムリッスの名がニネヴェやアルベラのイシュタルと重なり、イシュタルが配偶神として現れることもある。アッシリア版『エヌマ・エリシュ』はラフムラハムを両親とするが、センナケリブの銘文はアッシュルが自らを創り出したと述べ、両者は整合しない。

文化的足跡

アッシュルの名は人名の要素として好んで用いられ、『アッシリア王名表』の100名を超える王のうち30人がこの神の名を負う。アッシュル・ウバリト、アッシュル・ナツィルパル、アッシュルバニパルはいずれもそうである。

前614年、メディア軍がアッシュル市を掠奪し、神殿は破壊された。しかし信仰は絶えなかった。新バビロニア時代のウルクにはアンシャルの名の小聖所が営まれ、パルティア時代には破壊された神殿の跡に建物が築かれて、参詣者がアッシュルとシェルアの名を壁に刻んでいる。国家が滅びたのちも、都市の神は数世紀にわたって祀られ続けた。

アッシュルをめぐる帝国のイデオロギーが、ユダ王国のヤハウェ神学、とりわけ第一イザヤの言語に影響したとする議論もある。他方、アッシリアが被征服民にアッシュル崇拝を強制したという古い理解は、今日ではおおむね退けられている。

02

領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
エンリル メソポタミア神話 同一視
前18世紀のシャムシ・アダド1世がアッシュル神殿をエンリルの神殿と呼んだのを早い例とし、中アッシリア期以降は「アッシリアのエンリル」「諸国の主」の称号が定着する。エンリルの妻ニンリルと子ニヌルタ・ザババもアッシュルに移された。
アンシャル メソポタミア神話 同一視
サルゴン2世期に始まりセンナケリブ期に体系化された AN.ŠÁR 表記により、アッシュルは『エヌマ・エリシュ』の原初神アンシャルと同定された。バビロニアのパンテオンの頂点にアッシュルを置くための操作と解される。

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承点線=異伝・別系統

𒀭𒀸𒋩
アッシュル
メソポタミア神話
𒀭𒈹
イシュタル
配偶者
𒀭𒊩𒌆𒅁
ニヌルタ
収載データなし
𒀭𒀸𒋩
アッシュル
メソポタミア神話
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資料

Wikidata
Q685878 — 骨格データの出典
Commons
Ashur (god) — 図像カテゴリ