アンバー
アムバー · カーシヤの長女 · シカンディンの前世
婿選びの場からビーシュマに連れ去られたカーシー国の長女。恋人にも彼にも拒まれ、復讐を誓って苦行の末に転生した王女である。
解説
概要
アンバー(Ambā / अम्बा)は『マハーバーラタ』に登場する女性で、カーシー国王カーシヤの長女、アンビカーとアンバーリカーの姉である。名はサンスクリットで「母」を意味する。婿選びの場からビーシュマに力ずくで連れ去られ、恋人シャールヴァにも、ビーシュマ自身にも受け入れられぬまま行き場を失った。復讐を誓って苦行に入り、シヴァの恩寵を得てドルパダの子シカンディンとして生まれ変わる。その転生がクルクシェートラの戦いでビーシュマの死を招いた。誓いを立てた男と、その誓いによって行き場を失った女という対の物語である。
神話・物語
物語は『マハーバーラタ』第一巻アーディ・パルヴァに始まり、第五巻ウドヨーガ・パルヴァの「アンボーパーキヤーナ」(アンバーの挿話)で詳しく語り直される。ドゥルヨーダナに、なぜシカンディンを討たぬのかと問われたビーシュマ自身が、その理由として語る形をとる。
カーシーで三姉妹の婿選びが開かれたとき、彼女は密かにサウバラ王シャールヴァと想い合っており、彼に花環を掛けると約していた。そこへ現れたビーシュマは、異母弟ヴィチトラヴィーリヤの妃として三人を連れ去ると宣言し、居並ぶ求婚者に挑む。追った王たちを退け、決闘を挑んだシャールヴァをも傷つけて命だけは助けた。彼女の思いを知らぬまま、ビーシュマは三人をハースティナプラへ連れ帰る。
事情を明かした彼女に、ビーシュマは自ら決めるべきだとして礼を尽くしてシャールヴァのもとへ送った。ところがシャールヴァは受け入れなかった。彼女はすでにビーシュマに正当に勝ち取られた身であり、自分は敗れて辱められた——クシャトリヤの法を盾に、彼はそう答える。
行き場を失った彼女はハースティナプラへ戻り、ビーシュマに婚姻を求めた。だが彼は不淫の誓いを理由に断る。ヴィチトラヴィーリヤもまた、他の男を想う女は迎えられぬとして拒んだ。三人の男に退けられたことになる。
図像と象徴
固有の像容は伝わっておらず、独立した礼拝像の伝統もない。図像に現れるとすれば、戦車で連れ去られる場面か、火に身を投じる場面である。象徴となるのは、彼女がついに掛けることのなかった花環である。誰を選ぶかを決める権利そのものが、この物語で奪われたものにほかならない。
系譜と関係
父はカーシー国王カーシヤ、母はカウサリヤー。妹はアンビカーとアンバーリカー。二人はカウラヴァとパーンダヴァそれぞれの祖母となったが、彼女だけが婚姻の外に置かれた。母方の祖父にあたるのが、のちに助言を与える聖仙ホートラヴァーハナである。転生後の父はドルパダ、兄弟にドリシュタデュムナ、妹にドラウパディー。
叙事詩は彼女に、自らの不運の責を誰に帰すべきかを考えさせている。ビーシュマの戦いのあいだに戦車から逃げなかった自分自身、連れ去ったビーシュマ、拒んだシャールヴァ、婿選びを開いた父——そのすべてを数えたうえで、彼女は主たる下手人をビーシュマと定めた。復讐の対象を自ら思案して選び取るという叙述は、この叙事詩の女性の造形のなかでも際立っている。
文化的足跡
彼女はまず諸国の王に、ビーシュマを討って正義をもたらすよう訴えて回った。だが大戦士の怒りを買うことを恐れて誰も応じない。森に退いた彼女を、聖仙シャイカヴァティヤが慰め、苦行を導くと約した。通りかかった祖父ホートラヴァーハナの勧めにより、次に頼ったのはパラシュラーマである。ビーシュマのかつての師であった彼は、弟子を討ってその驕りを砕くと約した。
クルクシェートラの野で交えた師弟の決闘は二十三日に及び、決着しなかった。二十四日目にビーシュマが必殺の武器を用いようとしたところで、聖仙ナーラダと神々の求めによってパラシュラーマが戦いを収め、引き分けとなる。ビーシュマの庇護を求めよという師の勧めを、彼女は退けた。苦行によって目的を果たすと言い残して去る。
ヤムナー河の谷で、彼女は食と眠りを断ち、風のみを糧として六か月のあいだ立ち続けた。やせ衰えた末にシヴァが現れ、来世で男として生まれ変わりビーシュマを討つであろうという恩寵を与える。彼女は薪を積んで火を放ち、自ら身を投じた。生まれ変わったのがドルパダの子シカンディンであり、戦の十日目、女性であった者に矢を向けぬというビーシュマの信条が、その死を招くことになる。
近現代の再話では、彼女はしばしば「与えられなかった選択」の象徴として読まれてきた。婿選びとは本来、女が自ら夫を選ぶ場である。その場から連れ去られたことがすべての起点であり、以後の彼女の行動は、奪われた選択権を生涯を越えて取り戻す試みとして解釈される。ビーシュマの誓いが叙事詩において称えられる一方、その誓いが一人の女の生涯を破壊したことを叙事詩自身が記録している点は、しばしば指摘されるところである。