スルト
スルト · スルトゥル · スルトル
北欧神話の炎の巨人。炎の国ムスペルヘイムの境を守り、太陽より明るい剣を持つ。ラグナロクの日に軍勢を率いて現れ、世界を焼き尽くす。
解説
概要
スルト(Surtr)は、北欧神話の炎の巨人。炎の国ムスペルの境に立って番をし、ラグナロクの日にその軍勢を率いて現れ、世界を焼き尽くす。
名は古ノルド語で「黒い」を意味する。炎の存在に黒の名がついているのは奇妙に見えるが、燃えたあとに残るものの色、あるいは煤けた肌の色と解されている。現代アイスランド語ではスルトゥル(Surtur)。
北欧神話の敵役のなかで、この巨人の位置は特別である。ロキは神々の一員だったものが敵に回り、フェンリルは神々のもとで育てられて縛められた。スルトにはそうした経緯がない。世界が始まる前からムスペルの境に立っており、最後にそこから出てくる。神々と関わりを持たないまま、彼らを終わらせる。
登場する物語
『巫女の予言』が、その到来を歌う。スルトは南から来る。枝を焼く炎とともに、その剣からは太陽の光が輝く。岩山は砕け、女巨人たちが道を行き、戦士たちがヘルの道を踏み、天は裂ける。続く節でオーディンが狼に討たれ、スルトは「ベリの殺害者」——フレイを指すケニング——と戦う。
この一節には、解釈の分かれる箇所がある。剣を「神々の剣」と読む写本があり、その読みを採るなら、スルトがフレイを斬る剣は、かつてフレイが恋のために手放したその剣ということになる。武器を失った代償が、最後にその武器で払われる。
『ギュルヴィたぶらかし』は、より整った形で語る。第4章によれば、ムスペルはニヴルヘイムより先に存在した、燃え輝く地であり、そこの生まれでない者は立ち入れない。その境にスルトが座している。炎の剣を持ち、世界の終わりに出て行って神々をことごとく破り、全世界を焼く。
第51章では、天が開いてムスペルの子らが騎行する。スルトが先頭に立ち、その前後に炎が燃える。剣は太陽よりも明るく輝く。彼らが橋ビフレストを渡ると、橋は砕ける。戦場ヴィーグリーズには狼と大蛇が現れ、ロキがヘルの民と霜の巨人を率いて到着する。だがムスペルの子らは別の陣を組む——その一団はきわめて明るい、と語り手は付け加える。
フレイとの戦いは、剣を持たぬ神の敗北に終わる。そしてヘイムダルとロキが相討ちになったあと、スルトは大地に火を放ち、世界を焼き尽くす。焼け残ったのは、森ホッドミーミルの木立に隠れた二人の人間、リーヴとリーヴスラシルであった。
図像と象徴
異教期の造形は知られていない。持物は一つ、輝く剣である。太陽より明るいというのが、この剣に与えられた唯一の描写である。
図像が生まれるのは19世紀のドイツ語圏で、F・W・エンゲルハルトが1882年の『北方ゲルマンの神々と英雄』のために描いた《炎の剣を持つスルト》がその代表である。炎の軍勢を率いて進むスルトの傍らで、ドヴェルグたちが岩へ逃げ込もうとしている。ジョン・チャールズ・ドルマンも1909年に《炎の剣を持つ巨人》を描いた。いずれもラグナロクを主題とする挿絵の一部であり、単独像として描かれた例は少ない。
象徴としての要は「南から」である。北欧の資料で巨人はふつう東に住む。ルドルフ・ジメクは、スルトが南から来るとされるのは炎と熱との結びつきによるものだろうと述べている。北の国の神話で、破滅は暑い方角から来る。
関わる神格・伝承
倒す相手はフレイ。配偶者として『フィヨルスヴィズの言葉』の破損した一節からシンマラの名を読む説があるが、他に典拠がない。系譜も、親も、伝わらない。
ジメクは、この巨人の観念が疑いなく古いと論じる。10世紀のスカルド、エイヴィンド・スカルダスピッリルとハッルフレズ・ヴァンドレーザスカルドがすでにその名を用いており、アイスランド西部の溶岩洞スルツヘトリル(「スルトの洞窟」)は『植民の書』にすでに記録されている。火山の島で、地下から熱と溶岩が出てくる場所に、この名がついていた。アイスランド人にとってスルトは、地の下を支配する強大な巨人だったのだろう。
『詩語法』の結びには、神々を古代の人物に読み替える文脈で、「スルトの火と呼ばれたのは、トロイアが燃えたことである」という一文がある。キリスト教徒の著述家が異教の終末を歴史の火事に置き換えた例である。
文化的足跡
1963年、アイスランド沖の海底火山が噴火して新しい島が生まれたとき、その島はスルツエイ(Surtsey、スルトの島)と名づけられた。生物がどう定着するかを観察するため人の立入りが厳しく制限され、1972年に噴火が終わってからも研究が続いている。2008年に世界遺産に登録された。炎の巨人の名が、火山島の学術名として生き続けている。
現代の創作では、炎の剣を持つ巨大な敵役として繰り返し登場する。原典に照らして注意がいるのは、スルトが悪ではないことである。北欧神話にはそもそも善悪の対立がない。彼は敵意から世界を焼くのではなく、境を守っていた者が、時が来たので出てくる。世界の終わりは、誰かの悪意ではなく、最初から予定に組み込まれている。