ヘイムダル
ヘイムダッル · ヘイムダッルル · リーグ
北欧神話の見張りの神。九人の姉妹から生まれ、虹の橋ビフレストの袂に住んで神々の世界を守る。角笛ギャッラルホルンを吹き、ラグナロクの到来を告げる。
解説
概要
ヘイムダル(Heimdallr)は、北欧神話の神。アース神族に属し、虹の橋ビフレストの袂に建つ館ヒミンビョルグに住んで、神々の世界へ近づく者を見張る。角笛ギャッラルホルンを吹き鳴らしてラグナロクの到来を告げるのがこの神の役目である。
姿の描写は謎めいている。「神々のなかで最も白い」と呼ばれ、歯は黄金で、それゆえグッリンタンニ(黄金の歯)の名を持つ。鳥より眠りが浅く、夜も昼のように見え、百里の先まで見通す。羊の毛が伸びる音、地面の草が育つ音まで聞き取る。そして「頭はこの神の剣と呼ばれる」——意味の通らないこの一句が、『詩語法』にそのまま置かれている。
名の語源は定まっていない。「世界を照らす者」とする解釈が提出されているが、確定していない。別名のハッリンスキジは意味不明、ヴィンドレール(ヴィンドフレール)は「風を防ぐ者」とも「風の海」とも読める。この神を主題とする詩『ヘイムダラルガルドル』は失われ、二行だけが引用のかたちで残っている。そこで神は、自分は九人の母の子であると名乗る。
神話・物語
ヘイムダルは物語の主役になりにくい。見張りとは、何も起きていないあいだじゅう立っている役だからである。それでも三つの場面が伝わる。
一つはロキとの争いである。『詩語法』によれば、ヘイムダルはヴァーガスケルとシンガステインへ赴き、フレイヤの首飾りブリーシンガメンをめぐってロキと戦った。両者はアザラシの姿をとっていたという。この場面は、980年代のフースドラーパがすでに主題としており、伝承が異教期に遡ることがわかる。二人はラグナロクで互いに相手を殺す定めにある。
二つめは『スリュムの歌』である。トールの槌が盗まれ、神々が集まって思案するなか、トールを花嫁に仕立てて巨人のもとへ送ろうと言い出すのがヘイムダルである。見張りの神が、この詩では発案者の役を務める。
三つめがリーグスュラである。リーグと名乗る神が海辺を歩き、貧しい家、農家、館の三軒に泊まって、いずれも夫婦のあいだで一夜を過ごす。九か月後、それぞれの家に子が生まれた——奴隷スレル、自由農民カール、貴族ヤール。身分制の起源を、神が寝床を訪ねて回ったこととして説明する詩である。散文の前書きはリーグをヘイムダルとするが、この役はむしろオーディンにふさわしいとして、前書きを後代の付加と見る研究者もいる。『巫女の予言』が冒頭で人々を「ヘイムダルの子ら」と呼びかけるのは、この伝承と響き合う。
イングランド東部ソルトフリートビーで2010年に見つかった鉛製の紡錘車には、若いフサルクによる銘が刻まれ、オーディン・ヘイムダル・サルファの三者に助けを求める呪文と読まれている。写本の外でこの神の名が現れる、数少ない例である。
図像と象徴
持物は角笛。徴は白さと黄金の歯。ただしこれらを描いた異教期の造形は、確実な形では残っていない。
候補は二つある。マン島の石十字架には、角笛を口に当て、腰に剣を帯びた人物が刻まれている。カンブリアのゴスフォース十字架にも、角笛と剣を持ち、口を開けた二頭の獣の前に立つ人物がいる。どちらもヘイムダルとギャッラルホルンと解されてきたが、銘はない。角笛を吹く人物は、キリスト教の最後の審判のラッパとも読めるため、この二つの主題は同じ図像に重なりうる。ゴスフォース十字架がそもそも異教とキリスト教の場面を同じ石に彫っていることを思えば、判別しがたいのは当然でもある。
写本の図像はさらに奇妙な経路をたどる。18世紀アイスランドの写本 SÁM 66 は、この神をローマのメルクリウスと重ねて描いている。中世末以降のアイスランドでは、北欧の神々をギリシア・ローマの神に読み替える習慣があり、ヘイムダルは伝令の神に当てられた。橋の番人という職掌が、旅と境界の神メルクリウスと結びついたのだろう。
19世紀以降、この神は角笛を高く掲げる姿で定型化した。スウェーデンのニルス・アスプルンドが描いた《ヘイムダル》をはじめ、虹の橋を背にラッパを吹く構図が繰り返される。角笛だけが持物として残り、白さも黄金の歯も、絵にはほとんど反映されなかった。
系譜と関係
父はオーディン。母は九人の姉妹である。この九人をエーギルとラーンの九人の娘——波の擬人化——と見る説が広く行われている。とすればヘイムダルは波から生まれたことになり、「世界の縁で生まれた」という伝承とも噛み合う。
この神には、境界と結びついた属性が集まっている。神々の世界の境を守り、人間には海辺で出会い、その角笛が世界の時間の切れ目を告げる。加えて、雄羊との関係が指摘されている。ヘイムダリという語形は『詩語法』で「雄羊」の意で二度用いられ、別名ハッリンスキジも同様である。白い毛、金色の歯、鋭い聴覚と、雄羊の特徴を重ねる読みもあるが、なぜ雄羊なのかは説明されていない。
ロキとは終始対立する。ブリーシンガメンをめぐるアザラシの争い、『ロキの口論』での応酬、そしてラグナロクでの相討ち。北欧神話には対の敵手が何組かあるが、この二柱は最も明確に配置されている。
文化的足跡
ヘイムダルが残した最大の痕跡は、リーグスュラを通じた身分制の物語である。神が家々を訪ねて身分の祖を生ませるという筋は、中世北欧の社会秩序を神話に接続する試みとして、社会史の側からも繰り返し論じられてきた。
近代以降、この神は「虹の橋の番人」というひとことで定着した。現代の映画やゲームでもその役どころは変わらない。ただし原典のヘイムダルは、番人であると同時に人類の父であり、雄羊であり、頭を剣と呼ばれる神でもある。整理のつかなさこそがこの神の資料上の姿であって、一行にまとめられるほど単純ではない。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。