勢至菩薩
大勢至菩薩 · 大勢至 · 得大勢菩薩
阿弥陀如来の右脇侍をつとめる菩薩。観音が仏の慈悲を、勢至が仏の智慧を担う。智慧の光であまねく照らし、迷いと争いの世界から衆生を引き上げるとされる。
解説
概要
勢至菩薩(महास्थामप्राप्त / Mahāsthāmaprāpta)は、大乗仏教の菩薩の一尊である。梵名は「大いなる勢いを得た者」を意味し、大勢至菩薩、得大勢菩薩とも訳された。観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍をつとめ、この三尊をあわせて阿弥陀三尊という。観音が仏の慈悲を、勢至が仏の智慧を担うという分担は、文殊菩薩と普賢菩薩が智と行を分けるのと同じ発想であり、大乗の菩薩がしばしば対で立てられることをよく示している。
神話・物語
勢至の性格を定めたのは浄土教の経典である。『観無量寿経』は「智慧をもってあまねく一切を照らし、三途を離れしめて無上の力を得せしむ、ゆえに大勢至と名づく」と説く。三途とは火途・血途・刀途、すなわち迷いと争いの世界を指す。そこから衆生を智慧によって引き上げ、仏道へ導くのがこの菩薩の働きである。同じ経は勢至を月に、観音を日に配しており、光の質の違いで二尊を書き分けている。
『首楞厳経』では、勢至自身が悟りに至った経緯を語る。阿弥陀仏を念じつづける行によって三昧を得たというもので、浄土教が勢至を重んじる根拠となった。『法華経』でも、序品において霊鷲山に集った菩薩の一人として名を連ね、常不軽菩薩の物語を説く章では釈迦の呼びかけの相手となる。
大乗の八大菩薩の一尊に数えられ、文殊・普賢・観音・地蔵・弥勒・虚空蔵らと並ぶ。
図像と象徴
日本で勢至が単独で祀られる例はきわめてまれで、多くは阿弥陀三尊の脇侍として造られた。見分ける手がかりは宝冠にある。観音が宝冠の正面に化仏(阿弥陀の小像)を戴くのに対し、勢至は水瓶を戴く。三昧耶形は未敷蓮華、すなわちまだ開かない蓮の蕾で、種子はサク(saḥ)である。
来迎図では、二尊の姿勢の違いがさらに明快になる。臨終の人を迎えに降りてくる阿弥陀のかたわらで、観音は往生者を載せる蓮台を捧げ持ち、勢至は合掌する。動作の役割が分かれているため、遠目にも見分けがつく。中世に広まった善光寺式阿弥陀三尊では、両脇侍とも胸前で手を合わせる形に統一された。
古い作例としては、東京国立博物館の蔵する中国・隋代の金銅勢至菩薩立像が挙げられる。日本では京都・三千院往生極楽院の勢至菩薩坐像(平安時代・国宝)が名高く、上体をわずかに前へ傾けた「大和坐り」の姿勢が、まさに迎えに来る途中の一瞬を捉えている。
系譜と関係
中国では大勢至(ダーシーチー)と呼ばれ、日本と同じく阿弥陀の脇侍として重んじられた。江蘇省南通の狼山がその道場とされる。中国仏教では、観音と同じく女性的な姿で表されることもある。
チベット仏教では、勢至はヴァジュラパーニと同一の尊格とみなされる。仏の力を体現する尊格と、大いなる勢いを名に負う菩薩とが結びついたもので、名の含意からすれば無理のない同一視といえる。ただし東アジアの浄土教における勢至と、チベットにおける金剛手とでは、実際に信仰される姿はかなり違う。
文化的足跡
浄土宗では、開祖法然を勢至菩薩の化身とする説が中世から行われた。法然の幼名が勢至丸であったこと、「智慧第一の法然坊」と呼ばれたことがその背景にある。弟子の親鸞は「大勢至菩薩和讃」を詠み、その末尾で勢至菩薩こそ法然の本地であると述べた。京都の知恩院には勢至堂が建てられ、法然の本地としての勢至菩薩像が安置されている。中国でも近代の浄土宗僧・印光が勢至の生まれ変わりと信じられており、高僧を菩薩の化身とみる発想は東アジアに広く共通する。
日本では十三仏の一尊として一周忌の本尊とされ、午年生まれの守り本尊とする俗信も広まった。単独の像がほとんど造られなかった尊格が、暦と法要の体系のなかには確かな場所をもっている。