ヴァジュラパーニ
金剛手 · 金剛手菩薩 · 金剛手秘密主
金剛杵を手に釈迦を守護する尊格。大乗の菩薩のうち最も古い一群に属し、仏の「力」を体現する。ガンダーラではヘーラクレースの姿で表され、東アジアの仁王像の源となった。
解説
概要
ヴァジュラパーニ(वज्रपाणि / Vajrapāṇi)は、金剛杵(ヴァジュラ)を手に執って釈迦を守護する尊格である。名はそのまま「金剛杵を手にする者」を意味し、漢訳では金剛手、また執金剛神という。大乗仏教に現れる菩薩のうち最も古い一群に属し、上座部のパーリ語経典にも名が見える。文殊菩薩が仏の智慧を、観音菩薩が仏の慈悲を体現するのに対し、ヴァジュラパーニが担うのは仏の力である。この三尊で仏の徳を三分する構図は、チベット仏教で三部主尊として定着した。
神話・物語
初期の伝承におけるヴァジュラパーニは、遍歴する釈迦につき従う一柱の神にすぎない。経典によっては帝釈天(シャクラ)の化身とされ、釈迦の誕生に立ち会い、出城のときには城を出るのを助けたと語られる。武器を持って仏の傍らに立つ従者という位置づけであって、後代の菩薩としての地位はまだない。
説話は具体的である。玄奘の記録によれば、ウディヤーナで大蛇を降したのはこの神であった。別の伝えでは、ガルダに狙われるナーガたちが仏の説法を聞きに来るのを、ヴァジュラパーニが鳥の姿に化けて欺き、危害から守ったという。釈迦の入滅にあたっては金剛杵を取り落とし、塵のなかに身を投げて嘆いたと伝えられる。
浮彫の題材としてはさらに明快で、釈迦が外道と論争し、あるいは人々を教えに導く場面にほぼ必ず居合わせる。釈迦が奇跡を行う際、その金剛杵が道具として用いられる場面もある。単なる随伴者ではなく、教えの正しさを力によって裏づける役として描かれている。
図像と象徴
この尊格の図像史は、仏教美術のなかでも際立って面白い。ガンダーラ美術において、ヴァジュラパーニはしばしばギリシアの英雄ヘーラクレースの姿を借りて表された。髭を蓄えた筋骨たくましい裸身に、短い棍棒のような金剛杵。獅子の皮をまとう作例さえある。ヘレニズムの造形が仏教の護法尊へ転用された最も明瞭な例であり、雷霆を属性とするゼウスの像が原型だとする見方もある。この筋肉質の護法者の像が、やがて東アジアの門を守る像へと連なっていく。
インドではアジャンター石窟の第1窟・第2窟に、蓮華の上に立ち金剛杵を執る菩薩形の作例が残る。第6窟の入口では観音と対をなす巨大な門衛(ドヴァーラパーラ)として彫られており、守護者としての性格が造形にはっきり出ている。ジャワのムンドゥット寺には、毘盧遮那仏を中尊として蓮華手菩薩と左右に並ぶ三メートル余の石像が伝わる。
密教では姿が激しくなる。第三の眼を開き、鈴と羂索を持つ忿怒形、四臂・六臂の形、蛇を踏むもの、ガルダの頭と翼をそなえたものなどが説かれ、体色は青黒く表される。
東アジアでは、この尊格は二体一組の像へ展開した。中国では金剛力士、また仁王と呼ばれ、寺門の左右に立って伽藍を守る。一方が口を開いて「阿」を、他方が口を閉じて「吽」を発するとされ、梵字の最初と最後の音に世界の全体を託す趣向である。日本では執金剛神と呼び、東大寺法華堂の塑造執金剛神立像(奈良時代8世紀、国宝)が名高い。長く秘仏とされたため、当初の彩色がよく残っている。
系譜と関係
帝釈天との同一視は早くからあり、註釈家ブッダゴーサもヴァジュラパーニをインドラに結びつけている。そもそも金剛杵という武器自体が、もとはインドラの雷霆であった。密教では金剛薩埵や大日如来の系列に組み入れられ、五智如来のうち阿閦如来に配される。チベット仏教では勢至菩薩と同一の尊格とみなされた。
なお、東アジアで対をなす金剛力士の二体には、密迹金剛と那羅延天という別々の名が与えられている。一尊が二体に分かれたのか、もともと別の護法神が対にされたのかは、伝承のうえでも一様ではない。
文化的足跡
仁王像は日本の寺院建築の顔になった。東大寺南大門の金剛力士立像(鎌倉時代、運慶・快慶らの作、国宝)は八メートルを超え、寄木造の技術が可能にした大作である。門の左右で睨みを利かせるこの像を、ヴァジュラパーニの名で意識する参拝者はほとんどいない。ガンダーラでヘーラクレースの体を借りた護法者が、千年を隔てて日本の山門に立っている——仏教美術の伝播をたどるうえで、これほど示唆に富む例は多くない。呼吸の合うことを「阿吽の呼吸」というのも、この一対の像から出た言い回しである。
現代の創作作品でこの尊格が扱われるときは、ヴァジュラパーニではなく金剛力士や執金剛神の名で登場することが多い。