アピス
ハピス · ハピ・アンク · アピス牛
メンフィスで祀られた聖なる牡牛。特定の斑紋をもつ生きた一頭がプタハの化身とされ、死後はオシリスと結ばれてオシル・ハピと呼ばれた。ヘレニズム期のセラピス信仰の源流でもある。
解説
概要
アピス(ḥp / Apis)は、古代エジプトのメンフィスで祀られた聖なる牡牛である。神像でも神話上の獣でもなく、特定の斑紋をそなえた生きた一頭の牛が神の現れとして選ばれ、飼われ、崇められた。
創造神プタハの「使者(ウェヘム)」とされ、その生命の更新を体現する。死ぬとオシリスと結ばれてオシル・ハピ(オシリス・アピス)となり、この名がヘレニズム期にセラピスへと転じた。第1王朝からその名が知られ、マネトーの『エジプト誌』によれば、正式な神としての崇拝は第2王朝カイエコス王の代に始まるという。
なお、増水を体現するナイルの神ハピ(ḥꜥpj)とは別語の別神である。アピスのエジプト語名もハピ(ḥp)と読まれるため、日本語文献では混同が起こりやすい。
神話・物語
物語の中心は、選定と埋葬という手続きそのものにある。母牛は天からの光——雷光とも月光とも伝えられる——を受けて孕むとされた。生まれた仔牛が神の牛であるかは、身体の徴で判定される。額の白い三角、背に広がるハゲワシの翼の形、舌の下のスカラベ形、右脇腹の三日月、二重の尾毛。ギリシア・ローマの著述家はこれらを競って書きとめており、日本語の文献に見える「二十九の特徴」という数え方も、この系統の伝承に由来する。
条件にかなう仔牛は群れから選び出され、神殿へ迎えられて牝牛の一群を与えられた。牛の動きは神意の現れとして読まれ、神託に用いられる。その息は病を癒し、居合わせる者に力を分けるとされた。神殿には牛を拝むための窓が設けられ、祭日には装身具と花で飾られて市中を練り歩いた。
牛が死ぬと国中が喪に服し、新しいアピスが見つかると各地で祝いが催された。牛が生き、死に、また現れるという循環そのものが、神の更新として演じられていたことになる。
図像と象徴
黒い牡牛として表され、角のあいだに日輪を戴き、その前面にコブラ(ウラエウス)を置く。日輪を頭上に、角をその下に、額の三角形を添えた構図は、全体としてアンク(円環十字)の形を思わせる。母であるハトホルの徴を身につけた数少ない神格である。
牡牛と王権の結びつきは古い。ナルメルのパレットでは、王が牛の尾を帯びた姿で、また城壁を突き崩す牡牛として表されている。「その母ハトホルの強き牡牛」は王の常套の称号であった。
葬送の文脈では、ミイラを背に載せて運ぶ牛の姿が棺の足板に繰り返し描かれる。死者を守る力ある存在として、私人の棺にも登場した。本サイトが主画像に掲げるのは、メトロポリタン美術館蔵の末期王朝〜プトレマイオス朝のアピス牛像である。
系譜と関係
ハトホルの子とされる。仕える相手は時代とともに移り、初めはプタハ、のちオシリス、さらにアトゥムと結ばれた。生前はプタハの現れ、死後はオシリスの現れという二段構えである。
エジプトには三つの大きな聖牛信仰があった。メンフィスのアピス、ヘリオポリスのムネウィス、アルマントのブキスである。いずれも牝牛の女神ハトホルやバトの信仰に連なる。ムネウィスの神官団は、ムネウィスこそアピスの父であると主張していた。聖牛どうしの格付けが、神学の主張として語られたのである。
文化的足跡
歴代のアピスはサッカラのセラペウムに葬られた。確認できる最古の埋葬はアメンヘテプ3世の治世で、ラメセス2世以降は地下の回廊に連なる室へ次々と納められる。石棺は四十トンを超え、埋葬に要した費用は莫大であった。1850年にオーギュスト・マリエットがこれを再発見し、各牛の生年・即位年・没年を記す奉献碑が、19世紀のエジプト年代学を組み立てる資料となった。
ここに一つの食い違いがある。ヘロドトスは、ペルシア王カンビュセス2世がアピスを剣で刺し、その傷がもとで牛が死んだと伝える。ところがセラペウムからは、カンビュセスの治世下に正規の作法で行われたアピス埋葬が確認されている。ギリシア人の記した「狂気の王」像と、現地の記録とは噛み合わない。
プトレマイオス1世がオシル・ハピにギリシア風の姿を与えてセラピスとしたのち、アピスの信仰そのものも並行して続き、ローマ期の後4世紀近くまで絶えなかった。