バト
バアト · バト女神 · シストラムの館の女主
エジプト最古層の牝牛の女神。内向きに湾曲した角と牛の耳を持つ人面で表される。中王国までにハトホルへ吸収されたが、その像はシストラムの上に残り続けた。
解説
概要
バト(Bat)は、エジプト神話の牝牛の女神である。牛の耳と、内側に湾曲した角を備えた人間の顔、あるいは女の姿で表される。
信仰はエジプトの宗教記録の最も古い層にまで遡る。中王国の頃までに、その属性と姿は隣接するノモスの女神ハトホルのうちに吸収された。ただし図像はシストラム——神殿で最も頻繁に用いられた聖なる楽器——の上に残り続けた。
神話・物語
固有の物語は伝わらない。伝わるのは、祭祀の場所と、楽器と、そして吸収の過程である。
祭祀の中心は上エジプト第7ノモスのセシェシュ、別名フゥ、ギリシア名ディオスポリス・パルウァであった。信仰の起源は後期旧石器時代の牧牛文化にまで遡る可能性が指摘されている。名は「魂」を意味するバー(ba)に女性接尾辞 t を付した形と関係するかもしれない、とされる。
この女神を明確に描いた絵画や彫刻は稀である。ただし例外があり、ナルメルのパレットの上部に牝牛の姿でその像が刻まれている。エジプト統一を記す最も名高い遺物の縁に、この女神が二度置かれているわけである。ほかには星に囲まれた天の牝牛として、あるいは女の姿で表された。護符に用いられる場合が最も多く、人間の顔に牛の耳と内向きの角を添えた形をとる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、エジプト学の慣行に沿って描かれた線図である。
この女神を特徴づけるのはシストラムである。祭祀の中心地は「シストラムの館」と呼ばれた。アンク形をしたこの楽器には、女神の頭と首が柄と台にあたる形で作られ、鳴子は角のあいだに配される。しかも像は楽器の両面に繰り返され、二つの顔を持つ。『ピラミッド・テキスト』にその自称がある——われは賛美なり、われは威厳なり、われは二つの顔を持つバトなり、われは救われし者にして、あらゆる悪しきものより身を救えり。
正面向きに描かれるという点も見逃せない。エジプトの二次元の図像は人物を横顔で表すのが原則だが、バトとハトホルはいずれも正面から、見る者に顔を向けて描かれる。この二柱は、その原則の例外として並んでいる。
関わる神格・伝承
ハトホルとの関係が、この女神をめぐる主題のほぼすべてである。
図像はきわめてよく似ている。決定的な違いは角の向きにあり、バトの角は内側へ、ハトホルの角はやや外側へ湾曲する。飼育された牛の品種が時代によって異なったことの反映かもしれないと考えられている。
ハトホルの祭祀の中心は上エジプト第6ノモス、バトの第7ノモスの隣にあった。先王朝時代には同一の女神であった可能性が指摘されるゆえんである。中王国までに、ハトホルの信仰がバトの信仰を再び吸収した。エジプトの神々のあいだで繰り返された統合の一例にあたる。
吸収されたあとも、シストラムの上の二つの顔は残った。楽器の形が、失われた女神の姿を保存したことになる。
文化的足跡
日本語圏でバトの名が紹介されることはまずない。牝牛の女神といえばハトホルであり、その前身は言及されないのが常である。
しかしナルメルのパレットを見る者は、必ずこの女神を見ている。エジプト統一を語るあの浮彫の最上部で、王の名を挟んで左右に置かれた二つの牛面が、それにあたる。名を失った神格が、最も有名な遺物の上に残り続けている。