大日如来
摩訶毘盧遮那 · 大毘盧遮那如来 · 遍照如来
密教の教主とされる如来。姿も形もない真理そのもの(法身)でありながら、みずから説法すると説かれる。両界曼荼羅の中心に坐し、日本では一切の仏菩薩の本体とされた。
解説
概要
大日如来(だいにちにょらい/梵 Mahāvairocana)は、密教の教主とされる如来である。摩訶毘盧遮那と音写し、大遍照・遍一切処と意訳する。毘盧遮那の語はもともと太陽を意味するサンスクリットのヴィローチャナに遡り、「大日」はその意を汲んだ漢訳である。
この尊格を理解する鍵は法身にある。仏の三つのあり方のうち、法身は姿も形もない真理そのものであり、通常は説法しないとされる。密教はこの前提を破り、法身である大日如来がみずから説くと立てた。ここが顕教と密教の分岐点であり、この尊格が存在する理由そのものである。
神話・物語
如来には誕生譚も闘争譚もない。語られるのは、経典が与えた位置である。
『華厳経』は毘盧遮那仏を説法の主とし、無数の世界が互いを映し合う宇宙を展開する。釈迦はその法身から遣わされた者、あるいはその化身と解される。7〜8世紀に成立した『大日経』(大毘盧遮那成仏神変加持経、善無畏訳)と『金剛頂経』(不空訳)は、この毘盧遮那を摩訶毘盧遮那=大日如来として密教の中心に据えた。
日本へは9世紀初め、空海が唐からこの二経の系統を将来する。空海は両者を一体として体系化し、真言宗を開いた。天台にも密教が入り(台密)、そこでは釈迦如来を大日如来の化身と解する。東密は釈迦と大日を別体とする。同じ尊格が、宗派によって釈迦との関係を変える。
華厳の毘盧遮那仏と密教の大日如来は、本来べつの系統の教説に属する。東アジアではこの二つを同体とするのが通例となったが、東大寺の大仏は『華厳経』にもとづく盧舎那仏であって、密教の大日如来ではない。同体とされたことと、もとから同じであったこととは別である。
図像と象徴
如来でありながら菩薩の姿をとる——これが最大の特徴である。他の如来は出家した釈迦に倣って装身具を着けず簡素な衣をまとうが、大日如来は宝冠を戴き、瓔珞・腕釧・臂釧を着け、上半身に条帛をかけ、頭上に肉髻をもたず髻を結う。密教世界を包括する存在には王者の装いがふさわしい、と解される。像はすべて坐像である。
同定を決めるのは印相である。金剛界の大日如来は智拳印——左手の人差し指を立て、右手で握る——を結び、胎蔵界の大日如来は両手を重ねて腹前に置く法界定印を結ぶ。同じ尊格が二つの体系のどちらに属するかを、手の形だけが区別する。金剛界では周囲に阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の四仏を配して五智如来をなし、胎蔵では中台八葉院の中央に坐す。
曼荼羅はこの尊格の図像の本体である。日本密教の両界曼荼羅は『大日経』にもとづく胎蔵曼荼羅と『金剛頂経』にもとづく金剛界曼荼羅の一対からなり、いずれも中央に大日如来を置く。東寺講堂の諸像は、曼荼羅を彫像で組み上げたものである。彫刻では奈良・円成寺の大日如来坐像(平安時代末期、運慶の現存最古の作、国宝)が名高い。本ページの主画像は根津美術館蔵の《大日如来坐像》(平安時代・12世紀、重要文化財)で、五智宝冠を戴き智拳印を結ぶ、『金剛頂経』の説く金剛界大日の独尊像である。
系譜と関係
如来に系譜はない。関係は教理と習合の履歴として書かれる。
日本では本地垂迹説のなかで、天照大神(大日孁貴)の本地を大日如来とする説が中世の伊勢で形成された(両部神道)。富士の浅間大神の本地ともされた。覚鑁は大日如来と阿弥陀如来を同体とし、密厳浄土と西方浄土を一つのものと説いている。
体系ごとの位置の違いは大きい。日本密教は大日如来を根本仏とするが、チベット密教では『大日経』系の行タントラ、『金剛頂経』系の瑜伽タントラの主尊ではあっても、後期密教の根本仏は金剛薩埵や持金剛仏とされる。「密教の中心=大日如来」は日本での定式であって、密教一般の定式ではない。
なお、名の起源をゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーに求める学説(宮坂宥勝ほか)があるが、定説ではない。
文化的足跡
両界曼荼羅と五智如来の構成は、日本の寺院空間の設計そのものを規定した。東寺講堂の立体曼荼羅はその最も明快な例である。運慶が二十代で彫った円成寺像は、鎌倉彫刻の出発点として美術史に位置づけられる。
大日如来は現に信仰されている尊格である。本稿は図像と教理の解説にとどめ、信仰の当否には立ち入らない。密教のモチーフは現代の創作にもしばしば引かれるが、それらは経典の説くところとは別のものである。