仏の三つのあり方(三身)のうち、姿も形もない真理そのものとしての仏をいう。人間として現れた釈迦は応身、衆生を救うために功徳を積んで成った仏は報身とされ、その根底にあって不生不滅であるのが法身である。通常、法身は説法しないと解される。密教はこの前提を破り、法身である大日如来がみずから説くと立てた。この一点が顕教と密教を分ける教理上の分岐であり、大日如来という尊格の位置を決めている。
GLOSSARIUM · DHARMAKĀYA
仏の三つのあり方(三身)のうち、姿も形もない真理そのものとしての仏をいう。人間として現れた釈迦は応身、衆生を救うために功徳を積んで成った仏は報身とされ、その根底にあって不生不滅であるのが法身である。通常、法身は説法しないと解される。密教はこの前提を破り、法身である大日如来がみずから説くと立てた。この一点が顕教と密教を分ける教理上の分岐であり、大日如来という尊格の位置を決めている。