カグツチ
軻遇突智 · 火産霊 · 火之夜藝速男神
記紀の火の神。生まれるときに母イザナミを焼いて死に至らしめ、怒った父イザナギに斬られた。その血と屍から多くの神が生じた。
解説
概要
カグツチは、記紀が伝える火の神である。『古事記』は火之夜藝速男神(ほのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ほのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)の三つの名を並べ、『日本書紀』は軻遇突智・火産霊(ほむすび)と記す。神産みの最後に生まれ、その火によって母イザナミを死に至らしめ、怒った父イザナギに斬り殺された。日本神話において、死をもたらすと同時に、その死からおびただしい神を生む結節点にあたる神である。
神話・物語
『古事記』によれば、イザナギとイザナミの神産みの末に生まれたカグツチは、火の神であったために母の陰部を焼いた。イザナミはこれがもとで病み、やがて黄泉へ去る。妻を失ったイザナギは十拳剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」でわが子の首を落とした。
注目すべきは、その血と屍から神々が生じたと語られる点である。剣の先から岩に散った血からは石折神・根折神・石筒之男神、刀身の根元からの血からは甕速日神・樋速日神・タケミカヅチ、柄からの血からは闇淤加美神・闇御津羽神が生まれた。剣・岩・雷・水——火の神を斬った刃から、鉱物と雷と水の神が現れる構図である。さらに屍からは、頭・胸・腹・陰・左手・右手・左足・右足に応じて八柱の山津見神が生じた。火の神の体が、そのまま山々に分かたれたことになる。
『日本書紀』は別の筋も伝える。一書は、イザナミが火の神を生んで身を焼かれる際、土の神である埴山姫と水の神である罔象女(みつはのめ)を生んだとし、さらに軻遇突智が埴山姫を娶って稚産霊(わくむすひ)を生み、その頭上に蚕と桑、臍のなかに五穀が生じたと記す。火と土が結んで穀物が生まれるというこの筋は、焼畑の営みを神話の形で語ったものと解されることが多い。母を殺す破壊者としてのカグツチと、豊穣の起点としてのカグツチが、同じ書物のなかに並んで置かれている。どちらか一方を本来の姿とみる必要はない。
図像と象徴
火の神でありながら、カグツチの古代の図像はほとんど伝わらない。神像として造形されるようになるのは近世以降で、それも火焔を背負う姿や、火防の神としての神像に託される場合が多い。本項に掲げるのは、江戸後期の玉蘭斎貞秀が描いた『神仏図会』の軻遇突智尊である。記紀の神々を人物画として一柱ずつ描き分ける近世の出版物の一図であり、古代の信仰の姿を伝えるものではない。
象徴としてのカグツチを担うのは、像よりむしろ火そのものである。竈の火、鍛冶の火、山焼きの火は、いずれも恵みと災厄の両面をもつ。この神が母を焼き、父に斬られ、その死から山と水と雷を生むという筋書きは、火という現象の両義性を系譜の形に翻案したものと読める。
系譜と関係
父はイザナギ、母はイザナミ。斬られた血と屍から生じた神々は前掲のとおりで、なかでもタケミカヅチは鹿島神宮の祭神として後世に大きな位置を占めた。八柱の山津見神は、山の神の系譜の起点をなす。
母の死の直接の原因となった神であるため、カグツチはイザナミの黄泉下りの物語と不可分である。イザナギが黄泉から帰って行った禊から三貴子が生まれることを思えば、日本神話の主要な神統は、この火の神の誕生を引き金として展開しているといってよい。
文化的足跡
カグツチは、火を防ぐ神として今日も広く祀られている。静岡県浜松市の秋葉山本宮秋葉神社をはじめとする全国の秋葉神社、京都の愛宕神社を中心とする愛宕信仰がその代表で、秋葉信仰は近世に火災の多かった都市部で篤い信仰を集めた。大分県別府市の火男火売神社は鶴見岳の二つの山頂を火之加具土命と火焼速女命として祀り、温泉を恵む神としても信仰される。三重県熊野市の産田神社・花窟神社には、イザナミの陵と向かい合ってカグツチの陵が鎮まると伝えられる。
現代の小説・漫画・ゲームにも火の神として登場するが、その造形と設定は作品ごとの創作であり、記紀の伝える神格とは区別して受け取る必要がある。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。